Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

自句自解(8) モノトーン

2010年02月13日 10時53分26秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★誰やねむる色なき墓に曼珠沙華
★伸びきって高き雲呼ぶ彼岸花
★ひかり立つ芒を背にし黒き墓
 散歩道の先に公営の霊園がある。体力回復も兼ねて、最初は杖をつきつつ妻に同行してもらいながら、霊園を往復した。
 体力が落ちている頃は、日常の振る舞いでは気づかないが、周囲をじっくり観察しようとすると、たとえば散歩で無縁となっているような墓など目にするとそこはモノトーンのように見えた。また、色彩が豊かな景色は自然と避けて見ていたようにも思う。モノトーンに見える場所から視線を移しても周囲の景色はモノトーンのまま。
 霊園のモノトーンの墓から、首をめぐらして見る横浜の今を象徴する港の高層ビル群も色あせていた。夏の暑さがようやくひいていたものの、冬の木枯らしの吹く頃にはまだ遠く、決して時期的にモノトーンの世界ではないが、衰えた気力では、秋に色づく景色を色の重ね合わせとして認識する視線も弱々しいのだろう。
 墓地の中の彼岸花も白が目についた。元気なときならば鮮やかな赤の彼岸花が印象に残ったのかもしれない。
 尾根道から谷の底までの両斜面に位置する霊園は、高低差が厳しい。狭い区画を区切る細い道から見上げる墓もある。その墓の脇に自生した彼岸花を見つけた。彼岸花を下から見上げたのは初めてだ。その花の先に秋の白い雲が目に飛び込んできた。すっと伸びた茎の先に、細い花と豊かなふくらみの雲が同時に咲いているようにも見える。茎から花がゆたかな丸みを帯びて離れていく気配にも見えた。そのときだけ空が青い色を見せてくれたようでもあった。
 空の高さ、雲の高さを認識したのは、空の青い色を認識してからだった。そして彼岸花の茎の伸びが、過不足なく地面と空に配置されていると感じた。
 3句目は陳腐な取り合わせといわれればそのとおりだが、傾きかけた日に輝く芒は温かみがあって、気持ちを和ませてくれる。言葉の取り合わせや、目のつけ方がすでに先人が目に付けてしまって、使い古された景色であっても、当人にははっとして気持ちが動かされれば、それを句にしてなんらとがめられることもないと思う。それで身を立てるならばそうなのかもしれないが。