ここのところ毎日テレビと新聞は冬季オリンピックばかり。どうも私は争うスポーツは好きになれない。否、嫌いだ。
ひとりで走るなり、歩くなり、スキーをするなり、スケートをすれば気分も爽快になる。その過程で人は自然とさまざまなことを学んで身に着ける。自分の体の限界も特性も、自然との対話も、同好の士とのかかわりも含めて人間の集団のルールも身につく。スポーツの効能はこれで必要かつ十分。
団体競技といわれる集団スポーツは私には基本的に理解できない。過剰な集団のルールの押し付けは、スポーツとは無縁ではないのだろうか。
ことに「相手の意表をつく」ことを基本に「相手をだます」「相手を出し抜く」ことを集団プレーの基礎とする集団スポーツは、人間が集団で生存する限り、その過剰な存在は必須のものなのかもしれないが、私は参加するのも、見るのも、そのプレーヤーを賛美することもご免蒙りたい。中学生時代からトラウマかもしれない。しかしそれだけではないとも思う。本質的に私にはそのようなものが理解できない性格なのかもしれない。
集団プレーでは、野球とサッカーで大きくファンが分かれるように、応援スタイルに大きな差がある。専門外ではあるが、野球ではトリッキーな駆け引きは、基本的には投手と打者との関係である。これも静的であり、時間の推移が大きなファクターを占める。投手と走者は従である。そして打者と内野手との駆け引きも静的である。
サッカーの駆け引きは動的であり、瞬間的であり、ある意味武道の要素があるともいわれる。バスケットボール等でも同じだろう。だが、武道とは位相が違うのではないだろうか。
この動と静の駆け引きを比べれば私などはまだしも野球のほうが落ち着いてみていられる。ファンの応援も野球は人さまざま、非集団的だ。これがサッカーの応援団となるともう、これはひとりであることを鼻から拒否をした、集団のヒステリーである。こんなものには近づきたくもないし、それに参加する人間とも会話すらしたくない。
そんな私からみたら、今のオリンピックの報道など、スポーツ観戦の範疇を超えている。
私のスポーツ体験は、中学・高校時代とバレー・バスケット・サッカーをそれぞれ1年間通してやらされた。しかし私にはどれもがチンプンカンプン、理解できなかった。「どうしてそんなところにいるんだ。今は向こう側に行かなければパスをつなげない」などとことあるごとに教師に怒鳴られた。大声の指導ではなく私に野蛮な罵声としか聞こえなかったし、怒鳴られたから次の「正しい」位置に体が向かうことなどありえなかった。どうも3種類の競技の担当の3人の教師とも、スポーツの集団が前提としていることは常に普遍的であると錯覚しているとしか思えなかった。事前の丁寧な集団としての約束事やチームプレーの前提など教わった記憶もない。パスの仕方の基本のあとは即座にチームプレーになる。この溝の飛び越え方が素人には困難なのである。教育とはこの溝の越え方を、手取り足取りではなく、自分で考えながら体得するように仕向けることである。集団のあり方と個人の溝の埋め方のアドバイスを教えなくてはならない。
集団の了解は、まったくの他人が理解し、行動に移るまでには大きな溝・障壁を乗り越えたり、理解の回路の構築に時間がかかるということを、教える側が理解できていなかったと思う。あるいは当時の体育の指導の理論がその程度の水準だったのかもしれない。
これらの三種のスポーツと平行して柔道を6年間やらされた。畳の上でのくんずほぐれつは、楽しいこともあったが、やはり教師が私には理解不能の人間であった。「お前が生活態度優秀などという教師がいるのはけしからん、髪の毛が耳にかかっている」といって教室4つ分の廊下を他の生徒の前で耳を引っ張られてひきづられたことがある。教師の人間性の問題もあったのだろう。他の同窓生の意見を聞くと、「返し技などの理論的な指導は丁寧でわかりやすかった」というが、私はそのような指導は記憶がない。私はきわめて嫌われていたらしい。
もっとも日本の武道、これは演舞や型などといわれるものの存在なども含めて私は好きだ。トリッキーな動きを圧倒するような踏み込みの速さや連続技、相手の力を利用した返し技、それらの組み合わせ、攻守不思議に入れ替わりながら、受けと攻めの区別なく連続する展開など、見る楽しみは他のスポーツでは味わえないものがある。
私は不器用で、学区の公立の中学にいったら器械体操やらマット運動をやらされると聞いていて、それのない私立にどうしても行きたかった。できないことでの「いじめ」がとてもいやだったから。
しかし目的の私立に入ったものの、「体育」はこの有様でとてもいやだった。ただし特筆すべきは同窓生の「いじめ」はなかった。これは救いだった。多くの同窓生が小学校で何らかの「いじめ」を受けた傷をお互いに披露しあうことがあった。皆この「いじめ」の経験を客観的に対象化しようとしていた思う。こと体育に対する姿勢では、教師より中学生の生徒同士の方がより集団を維持することの難しさと危うさを無自覚ではあろうが先天的に了解していたのかもしれない。
大学を卒業する頃から友人と夏山の縦走に行き始めて、初めて体を動かすことの楽しみを覚えた。登山に耐えられるように始めたジョギングは30km走-120分までこなせるようになった。登山の楽しみを教えてくれた複数の友人には心から感謝している。天候や山の起伏、植生との対話、自分の体調との対話、歴史を含めた景観との対話、同行者がいる場合の体調管理のあり方、集団登山のルール、信仰の山での登山のルール、道具の使い方、歩き方、道具と身体の関係‥、実にいろいろなことを自分で学んだ。友人からはちょっとしたアドバイスだけで、それ以上は自分の力で理解しなくてはならなかった。お互いにそう思っていた。スポーツとはもともとそういうものなのだろう。それがスポーツの本質なのだと思う。
先日仕事の帰りにホームの端に立っていたら、近くのスポーツ公園での少年野球の練習の声が聞こえて慄然とした。小学生を相手にした練習で「指導者」らしき人間の罵声・怒声に恐れおののいた。「馬鹿ヤロー」「何度も同じことを言わせるな」「やめちまえ」「明日からユニフォーム着てくるな」「誰がそんなことを教えた」‥‥。ひとりの声である。これは教育ではない。これを電車が来るまでの7~8分聞かされた。
身体を通したさまざまな対話、他の人間との関係の習得、人間の行動の予測、合理的な体の動かし方・反応の仕方、瞬発力と持久力の違い、ルールの重要性、さまざまなことがらの基本を身に着けることが「体育」「スポーツ」の基本である。
これを教わることができないのは、この少年野球のチームに入った者の一生の不幸である。このチームの子からは将来もスポーツをしようとする者は出て来ないだろう。それ以上に人間不信となってこの集団からはなれていくだろうと思った。
人間不信を生む集団、ここに思い至り私は暗澹とした気持ちで帰路に着いた。
現代のスポーツの報道を時たまスポーツ紙やテレビのニュース番組でみることがある。その報道の在り様は、集団からの異質な分子の徹底した排除の論理である。報道する側はみずからの属する集団の論理をそのままに体現しているのであろう。あの徹底した排除の論理は職場でのぎすぎすした厳しい競争論理の職場が透けて見える。集団では多様な個性の集合とその許容の微妙なつりあいの上に成り立つ。外野と外野を利用する外的要因と、ファンと称する余計なおせっかい集団と、それに右往左往する報道と、報道が依拠すると称する「大衆」、これを政治的に利用する集団、もはやこれはスポーツの論理ではない。集団の規範の強固な押し付けが高じて異質なものの排除にまでいたっている。これが日本のあらゆる場面に普遍的な集団性になっているのだろうか。身震いがするほど、いやな想定である。
しかし、この排除の論理を体現するような先の少年野球の「指導者」の言動が、日本のスポーツの世界の主流になのかもしれない。スポーツ科学の進展はあるかもしれないが、集団に対する指導と教育方針は、50年前から何らの進歩もないのかもしれない。そうではないことをひたすら願うのみだが、昨今の風潮からはそれを想定するのは難しい。個人競技では幾分は趣が違うが、どうだろうか。
ひとりで走るなり、歩くなり、スキーをするなり、スケートをすれば気分も爽快になる。その過程で人は自然とさまざまなことを学んで身に着ける。自分の体の限界も特性も、自然との対話も、同好の士とのかかわりも含めて人間の集団のルールも身につく。スポーツの効能はこれで必要かつ十分。
団体競技といわれる集団スポーツは私には基本的に理解できない。過剰な集団のルールの押し付けは、スポーツとは無縁ではないのだろうか。
ことに「相手の意表をつく」ことを基本に「相手をだます」「相手を出し抜く」ことを集団プレーの基礎とする集団スポーツは、人間が集団で生存する限り、その過剰な存在は必須のものなのかもしれないが、私は参加するのも、見るのも、そのプレーヤーを賛美することもご免蒙りたい。中学生時代からトラウマかもしれない。しかしそれだけではないとも思う。本質的に私にはそのようなものが理解できない性格なのかもしれない。
集団プレーでは、野球とサッカーで大きくファンが分かれるように、応援スタイルに大きな差がある。専門外ではあるが、野球ではトリッキーな駆け引きは、基本的には投手と打者との関係である。これも静的であり、時間の推移が大きなファクターを占める。投手と走者は従である。そして打者と内野手との駆け引きも静的である。
サッカーの駆け引きは動的であり、瞬間的であり、ある意味武道の要素があるともいわれる。バスケットボール等でも同じだろう。だが、武道とは位相が違うのではないだろうか。
この動と静の駆け引きを比べれば私などはまだしも野球のほうが落ち着いてみていられる。ファンの応援も野球は人さまざま、非集団的だ。これがサッカーの応援団となるともう、これはひとりであることを鼻から拒否をした、集団のヒステリーである。こんなものには近づきたくもないし、それに参加する人間とも会話すらしたくない。
そんな私からみたら、今のオリンピックの報道など、スポーツ観戦の範疇を超えている。
私のスポーツ体験は、中学・高校時代とバレー・バスケット・サッカーをそれぞれ1年間通してやらされた。しかし私にはどれもがチンプンカンプン、理解できなかった。「どうしてそんなところにいるんだ。今は向こう側に行かなければパスをつなげない」などとことあるごとに教師に怒鳴られた。大声の指導ではなく私に野蛮な罵声としか聞こえなかったし、怒鳴られたから次の「正しい」位置に体が向かうことなどありえなかった。どうも3種類の競技の担当の3人の教師とも、スポーツの集団が前提としていることは常に普遍的であると錯覚しているとしか思えなかった。事前の丁寧な集団としての約束事やチームプレーの前提など教わった記憶もない。パスの仕方の基本のあとは即座にチームプレーになる。この溝の飛び越え方が素人には困難なのである。教育とはこの溝の越え方を、手取り足取りではなく、自分で考えながら体得するように仕向けることである。集団のあり方と個人の溝の埋め方のアドバイスを教えなくてはならない。
集団の了解は、まったくの他人が理解し、行動に移るまでには大きな溝・障壁を乗り越えたり、理解の回路の構築に時間がかかるということを、教える側が理解できていなかったと思う。あるいは当時の体育の指導の理論がその程度の水準だったのかもしれない。
これらの三種のスポーツと平行して柔道を6年間やらされた。畳の上でのくんずほぐれつは、楽しいこともあったが、やはり教師が私には理解不能の人間であった。「お前が生活態度優秀などという教師がいるのはけしからん、髪の毛が耳にかかっている」といって教室4つ分の廊下を他の生徒の前で耳を引っ張られてひきづられたことがある。教師の人間性の問題もあったのだろう。他の同窓生の意見を聞くと、「返し技などの理論的な指導は丁寧でわかりやすかった」というが、私はそのような指導は記憶がない。私はきわめて嫌われていたらしい。
もっとも日本の武道、これは演舞や型などといわれるものの存在なども含めて私は好きだ。トリッキーな動きを圧倒するような踏み込みの速さや連続技、相手の力を利用した返し技、それらの組み合わせ、攻守不思議に入れ替わりながら、受けと攻めの区別なく連続する展開など、見る楽しみは他のスポーツでは味わえないものがある。
私は不器用で、学区の公立の中学にいったら器械体操やらマット運動をやらされると聞いていて、それのない私立にどうしても行きたかった。できないことでの「いじめ」がとてもいやだったから。
しかし目的の私立に入ったものの、「体育」はこの有様でとてもいやだった。ただし特筆すべきは同窓生の「いじめ」はなかった。これは救いだった。多くの同窓生が小学校で何らかの「いじめ」を受けた傷をお互いに披露しあうことがあった。皆この「いじめ」の経験を客観的に対象化しようとしていた思う。こと体育に対する姿勢では、教師より中学生の生徒同士の方がより集団を維持することの難しさと危うさを無自覚ではあろうが先天的に了解していたのかもしれない。
大学を卒業する頃から友人と夏山の縦走に行き始めて、初めて体を動かすことの楽しみを覚えた。登山に耐えられるように始めたジョギングは30km走-120分までこなせるようになった。登山の楽しみを教えてくれた複数の友人には心から感謝している。天候や山の起伏、植生との対話、自分の体調との対話、歴史を含めた景観との対話、同行者がいる場合の体調管理のあり方、集団登山のルール、信仰の山での登山のルール、道具の使い方、歩き方、道具と身体の関係‥、実にいろいろなことを自分で学んだ。友人からはちょっとしたアドバイスだけで、それ以上は自分の力で理解しなくてはならなかった。お互いにそう思っていた。スポーツとはもともとそういうものなのだろう。それがスポーツの本質なのだと思う。
先日仕事の帰りにホームの端に立っていたら、近くのスポーツ公園での少年野球の練習の声が聞こえて慄然とした。小学生を相手にした練習で「指導者」らしき人間の罵声・怒声に恐れおののいた。「馬鹿ヤロー」「何度も同じことを言わせるな」「やめちまえ」「明日からユニフォーム着てくるな」「誰がそんなことを教えた」‥‥。ひとりの声である。これは教育ではない。これを電車が来るまでの7~8分聞かされた。
身体を通したさまざまな対話、他の人間との関係の習得、人間の行動の予測、合理的な体の動かし方・反応の仕方、瞬発力と持久力の違い、ルールの重要性、さまざまなことがらの基本を身に着けることが「体育」「スポーツ」の基本である。
これを教わることができないのは、この少年野球のチームに入った者の一生の不幸である。このチームの子からは将来もスポーツをしようとする者は出て来ないだろう。それ以上に人間不信となってこの集団からはなれていくだろうと思った。
人間不信を生む集団、ここに思い至り私は暗澹とした気持ちで帰路に着いた。
現代のスポーツの報道を時たまスポーツ紙やテレビのニュース番組でみることがある。その報道の在り様は、集団からの異質な分子の徹底した排除の論理である。報道する側はみずからの属する集団の論理をそのままに体現しているのであろう。あの徹底した排除の論理は職場でのぎすぎすした厳しい競争論理の職場が透けて見える。集団では多様な個性の集合とその許容の微妙なつりあいの上に成り立つ。外野と外野を利用する外的要因と、ファンと称する余計なおせっかい集団と、それに右往左往する報道と、報道が依拠すると称する「大衆」、これを政治的に利用する集団、もはやこれはスポーツの論理ではない。集団の規範の強固な押し付けが高じて異質なものの排除にまでいたっている。これが日本のあらゆる場面に普遍的な集団性になっているのだろうか。身震いがするほど、いやな想定である。
しかし、この排除の論理を体現するような先の少年野球の「指導者」の言動が、日本のスポーツの世界の主流になのかもしれない。スポーツ科学の進展はあるかもしれないが、集団に対する指導と教育方針は、50年前から何らの進歩もないのかもしれない。そうではないことをひたすら願うのみだが、昨今の風潮からはそれを想定するのは難しい。個人競技では幾分は趣が違うが、どうだろうか。