Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

自句自解(5) 眩暈

2010年02月09日 00時35分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★荒梅雨の雲黒々と眩暈かな
 40度前後の高熱と頭痛がようやく薬によっておさまり、ほっとしたのもつかの間、丸一日たって夕食後の服薬をすませた直後から、激しい眩暈が襲ってきた。
 夕食後、梅雨の末期の3日連続の雷を伴った夕方の雨とそれをもたらす黒々とした分厚い雨雲を見ていた。病院の窓越しであったが、久しぶりに雲の動きをじっくりと追うことが出来た。
 点滴台を曳きながら個室の洗面所に赴き、歯磨き・小用をすませて戻ろうとした瞬間、床がゆがみ、波うち、天井が頭にのしかかってきた。何が起こったかまったく理解できなかった。地震かと思ったものの、周囲では音は何もしない。気分が悪くなり、点滴台にすがろうとしたが支えきれない。足もまっすぐに地面に下ろすことが出来ない。ベッドの横まで2~3歩にじり寄り、かすかに認識した手すりにすがったが、ベッドに乗れない。
 この時初めて、目が飛び出るように、私の意志とは関係なく左から右に回転しているように感じた。これが眩暈というものかと感心しつつ、黒目の動きにあわせて部屋が回転していると理解した。へたり込みつつ「眩暈が‥」と無意識に叫んだらしい。無意識にナースコールを押したのかもしれないが、記憶はない。看護士が駆けつけ、ベッドに横たえてくれた。
 駆けつけてくれたのが早かったため点滴も外れず、床に倒れなかったが、ベッドの上でも目が勝手に幾度も左から右に動いた。目をつぶれば船酔いのようになった。ベッドから落ちるような錯覚があり、敷布を力いっぱい握り締めていた。高熱と頭痛の時とは別に「これでおしまい」と心底から思った。
 どのくらいの時間耐えていたか定かではないが、医師が駆けつけ「薬の副作用」との指摘。まさかこんなに激しい眩暈とは予想しなかったようだ。30分ほど経ってようやく眩暈はおさまった。しかし体や心が無意識に受けたショックはかなり大きかったようで、この恐怖は2~3日続いた。
 しかし「薬をやめるわけにはいかない」とのことで二週間、妻か看護士の立会いのもと飲み続けることを申し渡された。幸いこの日以降の眩暈は、少しずつ軽くなったものの、服薬のたびに軽い吐き気・うわ言・意識喪失を繰り返した。妻から「うわ言で悪魔の薬だといっていたよ」と指摘された。
 一ヶ月の入院後、この時のことを少しずつ思い出しながら、表題のような句を作った。
 この句では経験したことをうまく言い表せていないという不満がつよいまま放置し、句集の候補にもいれずにいた。
 荒梅雨という語感がいいか、黒南風という言葉がいいか迷った。黒い雲のかたまりの内部から雲が成長し、這いずりながら雨を降らす様子と、切羽詰った眩暈の回転とが絡み合うような句にしたいと考えた。
 そんな劇的な、強い調子が俳句に当てはめられるべきものなのかは私にはわからないが、眩暈と黒雲の動きを絡めて見たい。
 
 今でも、もう少し何とか作り直したい句である。