(第1日目)
白馬駅からバスで栂池高原へ、さらにゴンドラリフトとロープーウェイを乗り継いで栂池自然園へ。ここには一周約3時間半の周遊コースがあるが、これは省略。早速登山口より登山開始。
朝は家を6時半に出たため横浜線・八王子経由で中央線に乗ったが気分的にはゆとりがある。4時台の出発というとやはり寝不足になり、列車の中でも熟睡できず、登山道にたっても気分的につらいものがある。今回は楽だった。
その故か、極めて快調にあるき3時間20分のコースタイムであったが、2時間調度で白馬大池山荘についた。
途中白馬乗鞍岳(2436.7m)頂上では前回下りで見た巨大なケルンが今回もお出迎えがあった。道を思い出した。

白馬大池山荘は何年か前に妻と、猿倉-白馬岳-白馬大池山荘(泊)-白馬乗鞍岳-栂池と縦走したときに泊まった小屋である。そのころとまったく変わらず真っ赤な山荘の趣きはやはりちょっと異様だ。むかし感じたようにこの白馬岳の風景には合わない。少なくと私の趣味ではない。しかしこれがトレードマークとして定着している。しかも場所としてはいいところにある。遠くからも見えてこれがいいのかもしれない。
前回気がつかなかったが、ここは携帯電話が通じない。しかもこの受付の手続きをするや否や、この小屋は事前連絡が基本だから次回からは予約電話を入れてから来て欲しい、とまず一言の注文。ちょっとムッとしていると追い討ちをかけるように、「明日泊まる予定の朝日小屋は完全予約制だから事前に連絡しないといけない」といわれた。
テレホンカードを購入して朝日小屋まで連絡せざるを得ないのかと観念すると、「ここから1時間の船越の頭までいけば携帯が繋がるから、明日朝に連絡できる」とのこと。遭難対策・緊急対応も含めて携帯電話が当然のような状況になってるが、今時携帯電話の通じない小屋というのも珍しい。その当の朝日小屋も連絡先は携帯電話ではない。どうもこの山域では携帯電話はあまり歓迎されていないようだ。
さらに翌日のコースを記入すると、栂池からこの小屋までの所要時間を聞かれた。2時間というと「では大丈夫だ。コースタイムで10時間かかる」とのご託宣。私の容姿から無理かもしれないと判断されたのだろうか。こうなったらコースタイムには含まれない白馬岳経由コースも含めてどうしてもこなしてやろうと意地になった。

小屋からは東に携帯電話が通じるようになるという船越の頭、その向こうに小蓮華山までが見える。北東に雪倉岳、朝日岳をのぞむことができ、展望は良好。大池の脇に小さな雪田が残り、ロープで囲われていた。よく見ると雷鳥が1羽小さな岩の先に座りくつろいでいる。そして雛が3羽いる。
私がそれよりも感心したのは、小学校の低学年と小学校入学前と思われる子供が母親と一緒にそれぞれに一眼レフカメラに三脚を取り付けて、一心不乱にその雷鳥をカメラにおさめようとしていた。じっとカメラを構えていたり、雷鳥の雛の動きにあわせて実にたくみにカメラを操作している。母親からカメラの基本を教わったのであろう。大人も顔負けでなかなか堂に入っているというより、その真剣な、熱中している姿に感心した。
私と同様に周りの大人も視線は雷鳥半分、この子供半分のようす。子供が集中して何かに取り組んでいる姿を、久しぶりに見た。私は30分ほどその場にいたが、この子供二人は飽きることなくこの撮影に没頭していた。私がその場にいく前から、その場を離れた以降も撮影に没頭していた。幼稚園児や小学校低学年児に一眼レフカメラ、贅沢と言えば贅沢かもしれない。
しかし小学生以前から続けて何かの手段を媒介として、自然に感動しそれを表現として定着する手段を持っているということは羨ましい限りだ。人は、私も含めて、手段はあるのにそれを活用することが出来ない。一瞬活用しても継続出来ない。しかしこの子たちには使いこなして表現を継続しようとする意思が感じられた。
夕食はカツカレー。カツがなかなかのボリューム。他の単独の高齢者には食べるのには少ししつこかったようだ。子供づれには歓迎されるメニューであったようだが、若い男の宿泊者を除いてほとんどの方が残していた。私はひそかにお替りをしようかと思ったが、まわりの方が残しているのでつい見栄をはって遠慮した。山小屋にとって多数の登山者が押しかけるこの季節、メニューに苦労は付き物とは思うが、高齢者の多い昨今の山小屋、このボリューム満点のカツは少々高齢者にはつらいメニューと思われた。
カレー自体は昔からの山小屋の定番である。人の少ない山域の有人小屋では昔はほとんどがカレーであった。何処の山小屋でもカレーなので泊まるたびにカレーとなり、3日間連続して夕食はカレーが出され、まずくはなかったがやはりうんざりしたことがあった。随分昔、登山に熱を入れ始めたころの南アルプスの時で、それ以来自炊やテントにこだわってきた。ふとそんなことを思い出した夕食であった。
この日のカレーが、「いつものようにカレー」なのか、あの日は「たまたまカレーだった」のか、連泊してみないとわからないが、久しぶりで山小屋でカレーを食べた。
白馬駅からバスで栂池高原へ、さらにゴンドラリフトとロープーウェイを乗り継いで栂池自然園へ。ここには一周約3時間半の周遊コースがあるが、これは省略。早速登山口より登山開始。
朝は家を6時半に出たため横浜線・八王子経由で中央線に乗ったが気分的にはゆとりがある。4時台の出発というとやはり寝不足になり、列車の中でも熟睡できず、登山道にたっても気分的につらいものがある。今回は楽だった。
その故か、極めて快調にあるき3時間20分のコースタイムであったが、2時間調度で白馬大池山荘についた。
途中白馬乗鞍岳(2436.7m)頂上では前回下りで見た巨大なケルンが今回もお出迎えがあった。道を思い出した。

白馬大池山荘は何年か前に妻と、猿倉-白馬岳-白馬大池山荘(泊)-白馬乗鞍岳-栂池と縦走したときに泊まった小屋である。そのころとまったく変わらず真っ赤な山荘の趣きはやはりちょっと異様だ。むかし感じたようにこの白馬岳の風景には合わない。少なくと私の趣味ではない。しかしこれがトレードマークとして定着している。しかも場所としてはいいところにある。遠くからも見えてこれがいいのかもしれない。
前回気がつかなかったが、ここは携帯電話が通じない。しかもこの受付の手続きをするや否や、この小屋は事前連絡が基本だから次回からは予約電話を入れてから来て欲しい、とまず一言の注文。ちょっとムッとしていると追い討ちをかけるように、「明日泊まる予定の朝日小屋は完全予約制だから事前に連絡しないといけない」といわれた。
テレホンカードを購入して朝日小屋まで連絡せざるを得ないのかと観念すると、「ここから1時間の船越の頭までいけば携帯が繋がるから、明日朝に連絡できる」とのこと。遭難対策・緊急対応も含めて携帯電話が当然のような状況になってるが、今時携帯電話の通じない小屋というのも珍しい。その当の朝日小屋も連絡先は携帯電話ではない。どうもこの山域では携帯電話はあまり歓迎されていないようだ。
さらに翌日のコースを記入すると、栂池からこの小屋までの所要時間を聞かれた。2時間というと「では大丈夫だ。コースタイムで10時間かかる」とのご託宣。私の容姿から無理かもしれないと判断されたのだろうか。こうなったらコースタイムには含まれない白馬岳経由コースも含めてどうしてもこなしてやろうと意地になった。

小屋からは東に携帯電話が通じるようになるという船越の頭、その向こうに小蓮華山までが見える。北東に雪倉岳、朝日岳をのぞむことができ、展望は良好。大池の脇に小さな雪田が残り、ロープで囲われていた。よく見ると雷鳥が1羽小さな岩の先に座りくつろいでいる。そして雛が3羽いる。
私がそれよりも感心したのは、小学校の低学年と小学校入学前と思われる子供が母親と一緒にそれぞれに一眼レフカメラに三脚を取り付けて、一心不乱にその雷鳥をカメラにおさめようとしていた。じっとカメラを構えていたり、雷鳥の雛の動きにあわせて実にたくみにカメラを操作している。母親からカメラの基本を教わったのであろう。大人も顔負けでなかなか堂に入っているというより、その真剣な、熱中している姿に感心した。
私と同様に周りの大人も視線は雷鳥半分、この子供半分のようす。子供が集中して何かに取り組んでいる姿を、久しぶりに見た。私は30分ほどその場にいたが、この子供二人は飽きることなくこの撮影に没頭していた。私がその場にいく前から、その場を離れた以降も撮影に没頭していた。幼稚園児や小学校低学年児に一眼レフカメラ、贅沢と言えば贅沢かもしれない。
しかし小学生以前から続けて何かの手段を媒介として、自然に感動しそれを表現として定着する手段を持っているということは羨ましい限りだ。人は、私も含めて、手段はあるのにそれを活用することが出来ない。一瞬活用しても継続出来ない。しかしこの子たちには使いこなして表現を継続しようとする意思が感じられた。
夕食はカツカレー。カツがなかなかのボリューム。他の単独の高齢者には食べるのには少ししつこかったようだ。子供づれには歓迎されるメニューであったようだが、若い男の宿泊者を除いてほとんどの方が残していた。私はひそかにお替りをしようかと思ったが、まわりの方が残しているのでつい見栄をはって遠慮した。山小屋にとって多数の登山者が押しかけるこの季節、メニューに苦労は付き物とは思うが、高齢者の多い昨今の山小屋、このボリューム満点のカツは少々高齢者にはつらいメニューと思われた。
カレー自体は昔からの山小屋の定番である。人の少ない山域の有人小屋では昔はほとんどがカレーであった。何処の山小屋でもカレーなので泊まるたびにカレーとなり、3日間連続して夕食はカレーが出され、まずくはなかったがやはりうんざりしたことがあった。随分昔、登山に熱を入れ始めたころの南アルプスの時で、それ以来自炊やテントにこだわってきた。ふとそんなことを思い出した夕食であった。
この日のカレーが、「いつものようにカレー」なのか、あの日は「たまたまカレーだった」のか、連泊してみないとわからないが、久しぶりで山小屋でカレーを食べた。