Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の報告

2013年08月26日 22時13分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は大学の同窓会の資料づくりに精を出した。といっても綴じる直前の段階までの丁合いの作業まで。明日午後にはホチキス止めの作業で製本を終らせたい。そして明日に食事会の参加者数をお店に伝えて、準備はほぼ終了となる。あとは当日に仙台に赴き、会場設定などの作業を残すだけとなった。

 翌日は仙台で被災地での復興事業の見学も行う予定。そして終了後私は独りで盛岡に行き、八幡平にバスで登る計画を立てた。雨が降らなければいいのだが。

 そして明日はさらにこのブログのオフ会と称して、コメントをいただく方との飲み会を設定した。これもまた楽しみである。

「浮・透・韻・奏」展

2013年08月26日 13時42分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨年7月8日にこのブログで、「井上雅之自選展(雁皮紙によるコラージュ)」を取り上げた。大納言様の紹介で本当に偶然訪れたのだが、会場におられた井上雅之さんご自身から雁皮紙を利用された経緯や、作品に込めた作者の思いについて説明を受けた。
 夫婦で説明を受けたが、こちらの理解力が説明についていけたかというと甚だ心もとないのだが、私は作品自体はとても気に入った。

   

 そして先週はからずも、「コート・ギャラリー国立 画廊開設19周年企画 浮・透・韻・奏」展の案内を井上さんからいただいた。井上さんを含む4人(井上雅之・川崎耕一・菊地武彦・中野浩樹)の方の合同展と言うことのようだ。



 井上雅之さんはそのホームページで、

「‥2001年、藤沢市にあるギャラリーHIRAWATAの個展で、次のようなコメントを付けた。
  ー「偶然をつくる」、今回の個展の作品も「間」・「方形」シリーズで成り立っている。サブテーマとして「偶然をつくる」という姿勢で制作しました。雁皮紙を墨や柿渋やアクリル絵具で刷毛染めしてコラージュするための材料作りの工程から画面に貼り付けていく工程の間で、皺をよせる、絵具を垂らす、破く(破裂させる)、といった偶然性の強い要素をこれまで以上に意識して、最終的にはそこになければならないという制作姿勢をとった。人(私)は、感動を受けた偶然を体験し、学習することによって再現しようと試みる。同時に偶然は偶然でなくなり人の能力と変わっていく。芸術において、私の絵画において、蓄積されてきたそういった能力が新たな偶然によって放棄され、再現へと向かう。
  偶然はつくることができない。ゼロからも生まれてこない。今までに蓄積されてきた能力に支配されて見えなかったものが飛び込んでくる、そんな現象ではないだろうか。
9年経った今、改めて読んでみると、私にとって「偶然」という誘惑は、しめたと思う時であり新しい展開につながる要素になっている。しかし今までの蓄積に支配されているのか、然う然う出会うものでもない。1999年から小品として始めた「STUDY 108」から「偶(Guu)シリーズ」が生まれ、「Rectangle(方形)シリーズ」が生まれた。そして現在、「See through(透過考)シリーズ」が生まれ、それは嘗ての空気線が「光のかたち」へと進化したもので、大作という大きなスペース向きのシリーズである。」

 また今回の展覧会には、
「私の作品においていつも目標にしていることは、リアリティーと幽玄性という二律背反を同一姐上に獲得することができればということである。
「無作為の作為」という言葉を庭師がよく使うらしい。
例えば落葉を全部きれいに取り除かないで株元や池に落ちた葉も少し残す事があるという。
大きな存在感のある自然を相手に、どこに庭師の内面を象徴させようとするのか、私にとっても大事なことに思えてなりません。
2004年から始まった「See through(透過考)」シリーズは、大気から降り注ぐ光とそれによって見抜かれる私自身の内面の緊張を雁皮紙の線に置き換えて表現したものである。
See throughとは見抜くという意味で見抜かれた私の内面の動は浮遊する光のかたちとなって、前記した内面の象徴、つまりリアリティを得ることができないだろうかというシリーズです。」
という文を掲載している。

 「浮・透・韻・奏」の「透」が井上さんを、その作品の意味を表している。作家の表現意識とそれを表現する手段としての「雁皮紙」との出会いとそれを使い切ることの格闘が理解できる。

 私は芸術表現としての絵画などについて作家の製作工程にとても興味がある。何に悩み、何をどう表現しようとしているのか、その先端での思いに触れてみたいというのが、私のいつもの思いだ。
 このような思いがかなえられるよう期待して、作家の生の声を聞くことができる絶好の機会かもしれないと思い、この企画展に出向いてみたい。

 会期は9.5(木)~9.17(火) 11時から18時 中央線国立駅東口
 9.5の初日にはオープニングパーティーがあるとのこと。
 井上さんからは、パーティー参加のお誘いがあったが、残念ながら今のところ参加できそうもない。別の日にお邪魔してみようと考えている。

   

《追加》
 先に横浜美術館で開催されていた「賛美小舎」-上田コレクション展の記事を書いたのが今年の4月だった。そのコレクションの中に、武田州左という方の作品が含まれていて、私は気に行ったものとして取り上げた。
 実は、今回の四人のうち、井上雅之・川邊耕一・中野浩樹の三名と武田州左の四人で2006年に「青騎士」展を開催されているようだ。どのような集まりなのかはわからないが、いろいろなところで人はつながりがあるのかなぁと感じた。
 「青騎士」という名は、美術好きならばきっと「1912年にヴァシリー・カンディンスキーとフランツ・マルクが創刊した綜合的な芸術年刊誌の名前であり、またミュンヘンにおいて1911年12月に集まった主として表現主義画家たちによる、ゆるやかな結束の芸術家サークル」(ウィキペディア)を思い出すと思う。私はカンディンスキーは好きだだが、この運動について詳しくはわからない。多分そのような志向をもった方たちの集まりなのは想像ができる。
 今回の展覧会も、この「青騎士」の理念を踏まえたものなのかもしれない。少し勉強してから訪れるように使用と思う。