本日は2名分の無料招待券を手に入れて、「日本画の革新者たち展-福井県立美術館所蔵」(特別出品 菱田春草《落葉》)を見に行った。
2月16日までの展示ということで、本日でないと二人揃ってはe行けないので、少々慌てた。
出品目録の番号順ではなく、最初の展示が第2部ともいうべき「戦後の日本画」から展示が始まる。さらにそれも目録順では三上誠の「F市曼荼羅」となっているが、加山又造「駱駝と人」という具合になかなか人を喰っている展示である。解説は丁寧であるが、くどいという批判も出てきそう。しかし初心者には好評かもしれない。私は作品をじっくりと見てから解説に目をとおす主義だが、それでも私の知らないことも多く書かれていて、勉強にはなる。展示の最後の方では少々疲れたので解説は素通ししてしまったが‥。
「戦後の日本画」のコーナーでは横山操「川」(1956)の迫力に圧倒された。本日一番印象に残った。「木綿着色」と記載されている。煤を混ぜて顔料を作って描いたらしい。もう一点前期展示で同じ年の作品「網」というのが目録に記載されている。ともに並べて見たかったと思った。静謐な川沿いの街を描いているが、受け取る印象は荒々しくそして力強く押し寄せてくる圧力を感じた。シベリア抑留を体験して敗戦の5年後の1950年に復員する。
初めて横山操という画家の作品を目にして、とても興味が湧いてきた。是非名前を記憶して今後注目していきたいと感じた。
加山又造の「駱駝と人」(1957)は色彩が豊かで横山操とはとても対照的な作品であった。キュビズムの影響があるようでいて、様式美の方に流れていく独特の作品だと思った。加山又造については名前はよくきくが、これまであまり気にかけてこなかった。
星野慎吾「喪中の作品・赤い別離」(1965)も気になった作品である。他の作品へどのように展開したのか気になった。
1950年代というのは日本画にとっても大きな転換期となった時期とは聞いていたが、なかなか魅力に富む作品があると、あらためて気づかせてくれた。
「岡倉天心ゆかりの画家たち」のコーナーでは、やはり特別展示の菱田春草「落葉」(1909)は見ごたえ十分。嬉しいことにこの大作の前にソファーが置いてあり、そこに座ると屏風の前に正座して見る眼の高さとなる。作品との距離もいいと思った。混雑していたら意味はなかったかもしれないが、本日はゆったりと鑑賞することができた。本来見るべき目の位置を想定して展示スペースを作って貰えたのだと理解したい。
私の好きな狩野芳崖の作品が2点、「柳下放牛図」(1884)と「伏龍羅漢図」(1885)。ともに初めて目にした。作品としては「伏龍羅漢図」の方が完成度は高いのかもしれないが、西洋の一点透視の遠近法を試みた割にはゆったりとした画面構成と、牛の背のような尾根のなだらかな線を生かそうとした「下放牛図」に惹かれるものがある。伝統的な中国の画の題材を使いながら、風景画の飛躍を試みた先駆者の足跡が窺える。「伏龍羅漢図」は技法的には革新的なものがあるということであるが、羅漢というものに対するイメージが旧来のものと変化がないと思ってしまう。もっとも羅漢の表情はとてもラフでどこにでも居るような表情のおじいさんに見えるし、すっかり脱力してしまっている龍の表情がこれまでのイメージを超えているのかもしれないが、私には今ひとつ飛躍していないように感じている。欲張りなのかもしれない。新しい羅漢像の創出というのまで明治の革新期に求めてしまってはいけないことなのかもしれない。
その他にも惹かれた作品がある。図録は1600円と高くなかったが購入しなかったので、さらに気になった作品については後日掲載してみたい。
【追記】ミュージアムショップでは図録のほか、ポストカードを含めていくつか物品を販売している。私はいつものとおりポストカードで気になった作品がそろうならばそれにこしたことは無いといつもおもっている。
ただ気になることが毎回ある。それはポストカードが実際の作品を適当に裁断してしまっていることである。実際の作品の肝心と思われる部分をカットしてしまっていることにいつも腹立たしい思いをしている。
ポストカードで両端や上下がカードの縁まで広がっているものは大体が端っこがカットされている。優れた作品をここまで勝手に裁断してしまっていいのだろうか。作品に対する冒とくではないのか、といつも憤慨している。
今回もここに掲げたものは上下左右の縁まで目いっぱいに印刷されてる物は、少しずつではあるがカットされているところがある。他の美術館程大胆なカットは無かったが、肝心の図録にカットされている作品もあった。
横山操の「川」も左右が少し欠けている。これはとてもひどい措置であると思う。この作品、左右の広い広がりが作品の力強さの源泉ではないのか。
狩野芳崖の「柳下放牛図」の右側が少しカットされている。
菱田春草の「落葉」にいたっては、横の広がりを見るとほんの少しだが、図録よりもポストカードの方が広く印刷されている。
ポストカードや図録の製作者に原作をカットしてしまった真意が何なのか、問い詰めたいと思う。私は作品に対する冒涜だと思う。
ポストカードの縁なし印刷ではなく、裁断・カットはしていないことを示すために周囲に余白をキチンと確保して作成してほしいと思う。
色彩については、器械に寄る色彩の感度など限界はいろいろあると思うが、作品そのもののを裁断してしまうのは納得できない。