Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

間違いの指摘をするということ

2016年02月21日 11時21分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝の4時45分には強風注意報も解除となった。今回の南岸低気圧は事前の予報よりも風が強くならなかったのではないだろうか。朝から暖かい陽射しで穏やかな一日になりそうである。
 横浜駅12時の集合、16時近くまで国会周辺の集会予定となっている。肝心の退職者会の小旗を会館に忘れた。実は昨日わざわざ会館までその旗を取りに行った。だが、3階で用事を済ませているうちに、旗のある4階に取りに行くことをすっかり失念していた。情けない話である。
 昨日何度も推敲をして9割方出来がった原稿を打ち出して妻に見てもらった。すると何と8か所も間違い、ないし言い回しがしっくりこない個所が見つかった。たとえば同音異義語、単語の重複、敬語の間違い、脱字‥。指摘をされてすっかり意気消沈、疲れてしまった。
 私も他の人の文章であると、間違いはいっぱい目につく。客観的に見ることができるからだ。そして公的な、あるいは組織としての文章では当然気にすることなく指摘をする(むろん指摘の仕方はやさしく)が、個人的な文章では極力指摘するのは遠慮している。
 指摘をされた時の打撃はとても大きい。有名な小説家の文章でも(さすがに出版に際しては誤字脱字等は直っているが)、言い回しの重複や、段落の分け方の不具合、説明不足、代名詞の不具合などが目につくことが多々ある。中学生の時に国語の教科書に載っているある短編小説について授業中にそのような指摘をしたら、先生から「指摘していることは正しいかもしれないが、小説の流れ、文章の流れからすると重箱の隅をつつく方向に君自身の思考を持って行く危険もある。受け入れる度量も必要だ」というような趣旨の指摘をされたことがある。その時は言われていることがよく理解できなくて、「フン」と思っていた。多分かなり小生意気な言い方だったのかもしれない。しかし40歳も近くなってからふとそんなことを思い出して、その時の教師の思いが少し理解できたように思う。
 今回は妻に依頼をしたのであり、組織としての新聞の原稿であり、指摘はとてもありがたい。客観的に目をとおしてもらうということの大切さを毎回のように教えてもらえて感謝である。だが、依頼もされていないのに指摘をするには、やはり相手の気持ちを考えながら、ということが肝心である。人との付き合いの肝要なところは当たり前のことでもいつもどこかで再確認をしながら生きていかないといけない。歳を取ると余計に大切だと思う。


横浜の大雨洪水警報は解除

2016年02月21日 00時20分19秒 | 天気と自然災害
 昨日の23時33分に大雨・洪水警報と雷・波浪注意報が解除になった。強風注意報が継続である。「レインアイよこはま」を見ると40分ほど前には神奈川県に降っていた雨はほぼ上がっている。
 ベランダから空を見上げると全天うす曇りで、十五夜=望月の前の日の月である小望月がちょうど天頂にかかっている。うすい雲に透かして見る満月に近い月はなかなか見ごたえがある。雲の濃淡に月の光が変化するのを見ていると飽きない。
 荒れた天気が落ち着いたとき、月が見えたり星が輝いているのを見つけると嬉しいものである。そして月の空、星空が晴れやかな気分を引き立ててくれるようだ。

 これから明日の出席予定者の名簿を急いで作成してから就寝予定。作成するのを忘れていた。湯冷めしないうちにあと30分で仕上げてしまいたい。