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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

音楽体験の不思議

2016年02月23日 22時39分27秒 | 読書
 本日は横浜駅まで2往復も歩いた。風邪でダウンしている妻に代わり横浜駅のスーパーまで買い物と、いつもの内科に薬を処方してもらいいったん帰宅。夕方から再び関内に所用があり横浜駅までは歩いて出かけた。帰りも横浜から歩いて帰宅。結局2月に入ってやっと4回目の1万8千歩超え。風邪でダウンしていたこともあり、2万2千歩超えの日はわずか2日しかない。しかし回復時点で無理をすると回復が遅れたり、再発したりするので無理は禁物。自重しなくてはいけない。

 朝に続いて、シューベルトの2つの「4つの即興曲」を収録しているCDを聴いている。不思議なことにこれまでよりも耳に心地よく聞こえる。
 何回聞いても惹かれなかった曲が、ある日ふと心に大きく響いてくることがある。こういう体験をするとこの曲が自然に頭の中に入ってくる。次に聴いた時になんとなく懐かしい曲をきいているような気持ちになってくるものである。
 むろん逆のこともある。これまで聴くたびに心地よかったり、次から次に次のメロディーが自然に頭に浮かんできた曲が、まったく頭の中で反応しなくなることもある。ただしこういうことは長続きしない。いつの間にかそんなことがあったことは忘れてしまっている。気がつかないうちにその曲の記憶は元に戻っている。
 一度でも心地よく頭の中に響くとその記憶が長い間残る。鮮明な記憶ではなくとも、その音楽を耳にすると気分が同調するように馴染んでいるのがわかる。
 音楽の3要素(旋律、和音、拍子)とは別に、その曲の持つ何らかの要素が頭の中のある要素と響き合うと、すっと記憶の抽斗の中に抵抗なく入っていくような感覚である。うまく文章や言葉や文字では説明できないもどかしさがある。

 こんな体験を分析的に記述したりする能力は私には無いのでこれ以上は言及しないが、俳句や短歌などについても、言葉の意味よりも先に韻律として頭の中にすっと入ってきて、あとから意味を捉えようとすることがある。意味から入る俳句や短歌よりも、この場合の方が好みのものとして私なりの評価が高いものがある。

 私はこの感覚だけをたよりにこれまで音楽や、俳句や短歌や詩の世界と付き合ってきたと思う。

 芸術に限らず、周囲の世界を受け入れる場合すべてについて当てはまることで、取り立てて記述しなくてはいけないような重大なことではないかもしれないという思いもある。


シューベルト「4つの即興曲」(D899,935)

2016年02月23日 11時54分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日はショパンの4曲の即興曲を取り上げた。4曲一組の即興曲の形をショパンはシューベルトの「4つの即興曲」を念頭に作曲したといわれている。
 ショパンの4曲の即興曲は1837年から1842年にかけて作られている。一方シューベルトの「4つの即興曲」(D899)ははじめの2曲が1827年に出版され、4曲揃っての出版は1855年まで待たなくてはならない。また「4つの即興曲」(D935)は1838年に出版されている。
 ショパンは即興曲という形式の示唆はD899から受けたかも知れないが、念頭に置いたのはシューベルトの遺作といわれるD935の方かもしれない。断定は私などには難しい。

 D899は30分ほどの曲。ショパンの4つの曲すべて合わせても20分ほどの曲と比べて10分ほどの長いだけの曲だが、印象はシューベルトの方がずっと大曲に聞こえる。それは最初の曲が10分以上という長さであることにある。第4曲が極めて印象深い曲想でフィナーレのように余韻を感じるためでもある。シューベルト自身はD899の時には特に4つまとめる意志はなかったようであるが、結果としては第2曲、第3曲から受ける印象からも4曲まとめて聴くのに適した有機的な構成になったと感じる。即興曲という名称を付すことで、ソナタなどの3楽章で一曲、という趣向ではなく、分離してもまとめて聴いても良いという自由度の高い曲の有機的な構成を自覚的に追求しようとしたのではないか、私は想像している。

 D935は合わせて36分ほどの曲になる。こちらはの4つの曲の関連はどうだろう。より緊密だという捉え方とそれほど重視しない捉え方とがあるようだ。第3曲は11分ととても長い。変奏曲という形式により第3曲だけでひとつ世界が成り立っている。有名な甘美なメロディーは、4曲の中ではちょっと異質に聴こえる。しかし私はひとつの曲として意識して聴くようにしている。

 こんなことを考えながら、ショパンの念頭にあったというこのシューベルトの2つの「4つの即興曲」を聴いている。
 ショパンもシューベルトも、即興曲は最晩年に造っている。小品によるピアノ曲が大きな流れとなる始めと全盛期に位置すると云われる二人の曲を並べて聴くのもいいものである。

 なお、このCDの演奏はラドゥ・ルプー、1982年の録音となっている。