Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

歯の治療終了

2016年02月01日 22時08分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 右下の奥歯のひとつがダメになり、12月22日という押し詰まった日に抜歯した。それから3回通って本日ブリッジが完成した。たった4回で出来上がった。風邪で1週間ほど遅れたので本来は先週中に治療が終わっていたはずである。最終日の今日は9000円余りを支払ったが、それ以前の3回とも500円未満であった。これで当面は歯の心配はしなくていいみたいである。9000円の出費は痛いがやむを得ないと思える範囲である。今後は歯の治療にかかる費用は少しずつ増えていくのかもしれない。
 今回通っているときに注意を受けたのは歯間ブラシの太さ。いつもは一番太いものの次に太いものを使っているが、奥歯については一番太いものを使うように云われたこと。全部ではないものの、それだけ歯と歯の間が開いたということである。昔は前歯には少しの隙間もなくきれいに整然と歯が並んでいたが、今は無惨な並び方である。それも歳だからやむを得ないとあきらめるしかないようだ。通って2回目の時に歯科衛生士から「とてもいい歯で、うらやましい」とも云われた。お世辞としても嬉しいものである。
 入れたばかりの歯の具合は特に問題はない。今のところまったく違和感なく過ごしている。もっとも先週の金曜日に既に仮に装着しており、違和感がなかった。

 本日は底冷えのする寒さであった。14時ころに家を出た時にはほんの少しパラついたような感じもしたが、傘の世話になることもなく澄んだ。17時過ぎに横浜駅から戻る時には、いっそう雲が厚くなってはいたが、降るような気配はまったく感じられなかった。

明日は午後から組合の会館で作業の予定。本日は早目に就寝の体勢に・・・。

本日の衝動買い2冊「ニュートン3月号」&「絵でわかる日本列島の誕生」

2016年02月01日 18時47分13秒 | 読書
 本日つい衝動買いしてしまった本が2冊。ともに有隣堂の横浜西口店で購入した。
 1冊はニュートンの3月号。記事の中に「NASAの土星間探査機カッシーニがとらえた衛星(タイタン、イアペトゥス、テティス、エンケラドスの最新画像」というのに惹かれて、手に取って見ているうちに、レジまで自然に足が動いてしまった。価格は1199円。
 これは一般書籍のコーナーでの衝動買い。このあと、離れたところにある科学関係のコーナーまで行って地球物理学のコーナーで地震学と地球物理学の本を眺めていた。つい「絵でわかる日本列島の誕生」(堤之恭、講談社、2376円)の目次を見ていて、「第三部日本列島の形成史、第9章日本海形成」の項が目に飛び込んできて、これもまたそのままレジに持ち込んでしまった。これが2冊目。
 ニュートンは画像を眺めながら短い解説に目をとおすと、読んだ気がして、理解した気分になるという効用がある。しかし2冊目は何時になったら目をとおし終わるかまったく自信はない。若い時なら購入したら、読んで理解した気分になってお終い、ということもあったかもしれないが、この歳になっては恥ずかしくて言えない。
 しかしいつになったら目をとおすのだろうか。このようにわかりやすい本が出版されているというのは嬉しいことである。

小さな商店街の微かな変化

2016年02月01日 10時12分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨年私の住んでいる団地の傍のお店2軒と病院1軒が廃業した。いづれも突然で驚いた。いづれも団地の傍の尾根道のバス通り沿いにあって、時々利用させてもらっていた。
 中華料理店が1軒。中華料理というよりも気楽に入ることのできる大衆食堂的なお店で、安くて美味しいお店であった。出前もずっとしていた。夏ごろに突然張り紙が出て、閉店となってしまった。1月に一度位はお店に夫婦ででかけて、ビール大瓶1本とお酒1杯と定食1人前と餃子1人前、コロッケか冷奴1人前で2000円位。妻の帰りが遅い時に私一人で入るとビール大瓶1本と御飯の小盛の定食で1000円でお釣りが来たこともある。団地ができて約50年、このお店は40年位の歴史であったろうか。タクシーの運転手がよく利用していた。お店の人にバス通りですれ違って挨拶をして翌週にその店に入ろうとしたら張り紙がしてあり、驚いた。今度お店の人に会ったら言葉を交わしたいと思っているが、5カ月たってまだそれを果たしていない。
 もう1軒がお寿司屋さん。実は昨日ウォーキングの時に気がついた。シャッターに「12月31日をもって閉店、44年間ありがとうございました」と記載されていた。こちらは年に3回くらいしか利用していないのだが、新鮮で美味しいお鮨であった。私はちらし鮨と浦霞がいつものパターンであった。時々は焼魚や刺身、てんぷらなども頼んだことがあるが、多分80過ぎの店主のつくるものは美味しかった。実は父親の葬儀の時の仕出し弁当をお願いした店でもある。44年間ということは、私が高校を卒業して仙台に下宿をしていたころに開店したことになる。
 さらに内科の医師が夏に「急逝」ということで廃業した。娘の通った幼稚園(ここも廃園になって10年は経つ)のすぐ前にあり、小学校で云えば校医のような病院であった。娘は直接は通院したことはないが、集団の検診などで見てもらったはずである。この医院も少なくとも30年以上は開業していたことになる。
 一昨年には銭湯が廃業してコンビニに生まれ変わった。精肉店と八百屋とはとうに廃業してしまった。学生向けの洋食屋も数年前に廃業した。
 昨年はごく身近な店と医院が廃業してしまい、随分長くこの団地に住んでいることと、自分が歳をとったことをあらためて思い至った。
 新しい店もいくつか出来ている。コンビニ3軒と大型の薬局。食事をする店は焼き肉店が出来ている。コンビニと薬局以外は利用することはまずない。団地の高齢化が進んでいる現状では、高台を下ったところのスーパーよりも尾根道にスーパーが欲しいところであるが、なかなか難しそうである。
 尾根道の点在している商店街、人の利用はあまり無いのだが、変わらないようでいて少しずつお店の消長がある。その消長とともに自分もまた歳を取っていく。