Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

講座の選択

2016年02月26日 23時00分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 4月からの神奈川大学のエクステンション講座のカタログが昨日届いた。正式な申込みは3月1日からであるが、取りあえず申込み講座をピックアップした。
 これまでよりはずっと少なく、6講座で23回に絞ってみた。その内2講座2回は無料の講座。むろん金銭的にもずいぶん軽減となった。空いた時間はどうなるのか、朝寝坊が増えるだけかもしれない。

 咳と鼻と痰はまだ完全にはおさまっていないが、昨日よりはずっと楽になった。鼻紙の消費量も半分以下で済んだ。妻から貰った薬を本日も1回分貰って服用。このまま収束してほしいものである。

 暖かい穏やかな陽射しに誘われて14時過ぎに横浜駅まで歩いてみた。昨日に比べると歩数は半分近くであるが、気持ちよく歩けた。

 岩波書店の「図書3月号」到着。今回は三浦佳世氏の「グレコと価値の左右」が面白かった。連載の3回目、いづれも楽しみに読んでいる。今回指摘されて初めて気がついたが、エル・グレコの「受胎告知」は確かに他のルネサンスの画家の受胎告知とは大天使ガブリエルとマリアの位置が左右反対である。ダ・ヴィンチの受胎告知も確かに右にマリア、左に天使であった。
 五世紀までの初期キリスト教ではグレコのように右に天使、左にマリアであったとのこと。「右をよしとするキリスト教文化において、天の御遣いに価値を置くか、聖母に価値を置くか、時代の意識が構図に反映されているのかもしれない」と結語している。これは記憶しておこうと思う。
 この連載はなかなか面白い。

 明日も良い天気のようである。風邪の回復状況にもよるが、横浜歴史博物館の企画展「称名寺貝塚 土器とイルカと縄文人」、横浜開港資料館の「日独修好150年の歴史-幕末・明治のプロイセンと日本・横浜」、横浜ユーラシア文化館の「貿易都市マニラの栄光―考古学が語る太平洋航路の成立と発展」のいづれかを狙っている。

ブラームス「スケルツォ、バラード、ピアノ小品集」

2016年02月26日 20時44分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 一昨年の9月に取り上げたCD。1年5カ月ぶりである。収録してある曲は、スケルツォ作品4(1851年)、バラード集作品10(1854年)、ピアノ小品集作品76(1878年)。それぞれ19歳、21歳、45歳である。作品4と作品10が最初期の作品ということになる。それ以前の作品は作曲家地震が廃棄してしまっている。作品76は第2番の交響曲の翌年である。ブラームスの後期の内向的な作品群の入口にあたる曲とされている。
 演奏者のコワセヴィッチによって1983年に録音されている。

 作品10のバラード集はなかなかいい。シューマンがこの年にデュッセルドルフで自殺未遂を起こし、ブラームスは駆けつけたその地で書き上げた、と解説に記されている。しかし初演は1860年(第2と第4、演奏クララ・シューマン)と1867年(第1と第4、演奏ブラームス)と分けられている。
 作曲された1854年はブラームスとクララ・シューマンの関係が始まった年とも云われている。私は第4曲がもっとも好みである。前半はシューマンの影響が色濃く出ているらしい。

 作品76は4曲の間奏曲と4曲の奇想曲(カプリツィオ)のそれぞれ3分未満の8曲からなる。初演は1880年にハンス・フォン・ビューローによるという。どちらかと優雅に聴こえる間奏曲と、流動的な奇想曲が交互ではなく、どういうことでこの順番になったかは調べてもわからなかった。
 8曲をひとつの曲としてとらえると、第1曲から第5曲へと少しずつ盛り上がり、第6曲、第7曲がなだらかな丘の頂点にあるようだ。第8曲で軽快に丘を降りて終了ということなのだろうか。

「恩地孝四郎展」(その6)

2016年02月26日 14時25分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 恩地孝四郎展で女性像三点に惹かれた。ひとつは敗戦直後の1946年の作品「あるヴァイオリニストの印象(諏訪根自子像)」である。
 諏訪根自子についてウィキペディアの記事を要約すると「1920(T9)年~2012(H24)年。13歳でデビューした日本の女性ヴァイオリニスト。可憐な容姿であったことから国民的な人気を得て「美貌の天才少女」と一世を風靡したほか、ヨーロッパに渡ってベルリン・フィルなど各地の交響楽団と共演を果たして国際的に活躍した」また「1943年にヒトラーの政権の宣伝相ゲッベルスから贈られたヴァイオリンはストラディヴァリウスと伝えられているが、その真贋やゲッペルスの手に渡った経緯(ユダヤ人からの略奪または正規購入)など、以前の所有者名など、詳細は判明していない」となっている。ファシズムの嵐に翻弄されたヴァイオリニストでもあるようだ。
 恩地孝四郎と諏訪根自子の接点はわからないが、恩地が音楽に多大の関心を示していたことはすでに記した。1990年代まで活動をされていたということだが、残念ながら私はその演奏を聞いたことはない。またその名もこれまで恥ずかしながら聞いたこともない。
 写真で見る限り細面の方である。1946年といえば彼女は26歳、しかし私にはこの作品からは華やかな印象も、若さも感じない。弱々しさと頼りなささえ感じる。顔の表情と弦を持つ弱々しい右手によってもたらされる印象が大きい。世界を駈け回った輝かしい音色はどうしても想像できない。恩地自身がどのような印象を持っていたかも不明である。だがしかし、印象に残る作品である。
 印象に残るのはヴァイオリンのフォルムを何となく想像するような左右の黒い曲線と、弦を持つ弱々しい初心者のような右手、そして俯き目を瞑った顔によると思われる。



 残りのふたつの作品は1948年の「アレゴリー」というシリーズの#1「家族」と#2「廃墟」である。今回の展示では恩地の描く女性像は必ず「母性」と結びつく方向を示している。赤子を抱いたり、身体に胎児を宿していたりしている。1920年代に盛んに作られた裸婦像も私には母性を前提とした女性のイメージだと思う。
 しかし戦後に現われた女性像は具象的な作品ではそのような「母性」は拒否されている。
 アレゴリ-#1の「家族」は倒立した男の下肢と胎児と女性のトルソ、ひょっとしたら倒立した男の足の先に見えるのは女性の切り離された首にも見える。これらが、バラバラに関係を断ち切られて浮遊している。ベルトコンベアーのような動力機械が濃い色で前面に配置されている。とても奇妙で残酷で、色彩は明るいが印象は暗い。
 母性や男女の関係が切り裂かれている時代を表しているのか、恩地の夫婦間の断絶なのか。実生活からは後者ではなさそうであるが、戦争・敗戦という時代を潜り抜けた何かが気になる。
 #2の「廃墟」も株には都市の廃墟のような風景に見える。焼け残った家屋と樹木だろうか。そして男のような首が横たわっている。女性が艶めかし気に裸で横たわり、その上には雲のようなものが漂っているように見える。
 私のこの横たわっている女性が恩地の作品に登場する女性像ではもっとも艶めかしく感じられた。
 廃墟となったのが都市風景だけでなく、あらゆる価値が廃墟となり、男女の関係までもがその破壊によってもたらされた貧困と飢餓の中で破壊された時代をどこかで象徴しているように受け取るのは飛躍しすぎだろうか。際限のないエロティシズムの世界に時代が移行し、その背後には死と隣り合わせの廃墟が横たわっているという暗い印象を持った。