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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日から7日間予定なし

2016年02月25日 22時46分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は午後から退職者会の取材で出かけた。どういうわけか家を出るのが予定より15分も遅れ、途中で雪柳の写真を慌ただしく撮影したこともあり、結局15分ほど遅刻をしてしまった。写真撮影という依頼されたことには支障はなかったものの、会場に到着するまではかなり慌てた。
 明日から7日間は予定が入っていない。鼻水と啖がまだすっきりと切れない。まずは風邪を完全に治すために2~3日間は家でおとなしくしていようと思う。ウォーキングや大倉山の梅園などにも行きたいし、美術館にも行きたいのだが‥。
 しかし今年の風邪はどうしてこんなにも長引くのであろうか。他の方にいろいろ聞いても周辺の人はやはり長引いているらしいとのこと。私だけのことではないようだ。人並みということのようなので、少しはホッとしている。

 もっとも新聞の原稿作り、本日の写真の整理‥自宅でこなすべきことはそれなりにある。


昨日見つけた雪柳

2016年02月25日 19時46分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連
        

 昨日咲いているのに遅ればせながら気がついた雪柳、家を出るのが遅れて遅刻しそうであったが、急いでシャッターを切ってカメラに収めてきた。帰宅時間は陽が沈んでからだったので、帰宅時には撮影は出来なかった。集合時間に15分の遅刻はやむを得ない事態であろうか。しかし自分でも嫌になるがどうしてこうも時間にゆとりのない生活を送っているのであろう。折角の好きな雪柳の前にして、あわただしいこと限りがない。

★活断層に生きてゆきやなぎ垂れて咲く   日下部正治
★雪やなぎ死者に接するあたりかな     荻原久美子
★雪柳縄文の赤あらわれる         川島忠三郎

 そんな自分が投影されているような第一句に思えた。地震列島に住む我々はこの250年、あまりにも慌ただしく生きてきたようだ。縮小する人口・縮小する経済を素直に受け入れて、無理に背伸びをしない、そのような社会そして政治が必要となっている。
 第二句、散り際に死者・死を仮託するのは桜となってはいるが、散り際の様が似ているだけでなく、長く垂れた枝が地面に接する際の風による揺れもまた、生と死の境に揺蕩っているかもしれない。
 第三句、確かに雪柳の花の咲いている細い枝は赤い。作者をそれを発見した。しかもそれは縄文の赤だという。縄文の赤とは多分その土器の色からの連想だと思われる。しかしそれがどのような関連なのかは作者のみの感得である。それを受け入れられる鑑賞者でありたいと思う。

   

「恩地孝四郎展」(その5)

2016年02月25日 11時21分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ようやく風邪もほぼ治り、久しぶりに恩地孝四郎展の図録をめくる気力が湧いてきた。

   

 前回12日に東京国立近代美術館ニュース「現代の眼615」に掲載されていた和田浩一の論考を引用させてもらった。この論考の最後に「抽象化には、単純化を経て、ややともすると類型化、固定化へと堕してゆき危険」「抽象形態と具象的描写とか共存した作品に習作が多い」と記載されている。
 私もまったく同感なので「私の感覚も捨てたもんじゃないぞ」とちょっと嬉しく思った。特に木版画では単純化という宿命のようなものがあるというが、恩地孝四郎は細密画のような小さな静物や植物抽象的な形態の横にそれとなく配置して、その効果を楽しんでいるようなところがある。私はこの試みが気に入っている。
 抽象的な形態、ここで取り上げたポエム#2では黒い塊やひも状の形態が、それらの小動物や植物によって何かしらの象徴のようにも見えることがある。想像の幅や飛躍のきっかけとなってくれる。そんな親しみがある。
 ポエム#2は1937年という戦争の影が次第に重く圧し掛かってきた頃の作品だが、1944年戦争最末期の「春の譜(ポエム#3)、さらに1948年敗戦直後の海辺幻想にも同様の試みがある。
 この小さな貝殻や小動物や植物に生への執着や渇望、戦争という生を否定する社会へのある種の思いも見て取るのも自由である。また大きな黒い塊に原初の生物の形を見て、進化した動物との対比を見るのも楽しい。
 画家はポエム#2の頃に「日本の絵画は古来空白を持ってきた。だから日本人の白に対する感覚はそうとう洗練されてしていいはず」「在来の日本紙には立派な白がある」と記しているという。
 これらの作品にある塗りつぶしていない空白が違和感なく作品の一部として受容でき、そして効果的に見える白の表現が意識的に採用されたことなどがわかる。