Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

春一番か

2016年02月13日 23時17分56秒 | 天気と自然災害
 本日は春一番が吹いたようだ。春一番の定義は次のとおりとのことである。
「立春(2月4日頃)から春分(3月21日頃)までの間に、暖かい南よりの毎秒8メートル以上の強い風が吹き、前日より気温が上がる日のことをいう。」
 東京でも21℃を超え、横浜でも20℃を超えた。ともに8メートルを超えている。

 みなとみらいまでを歩いて往復した。薄い化繊のサマーセーターとペラペラのウインドブレーカーで自宅から歩き始めたものの、途中から両方とも脱いでしまった。さすがに帰宅時の夕方は風も冷たくなったが、それでもサマーセーターはリュックにしまったままで歩いた。

 明日も天気は荒れるらしい。


「村上隆のスーパーフラット・コレクション展」(横浜美術館)

2016年02月13日 22時39分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

   

 本日は横浜美術館に出かけた。「村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで―」を見てきた。ホームページには次のように記されている。

★この展覧会は、現代日本を代表するアーティスト、村上隆(1962~)の現代美術を中心とするコレクションを初めて大規模に紹介するものです。
村上隆は、東京藝術大学にて日本画初の博士号を取得。現代美術と日本の伝統絵画、ハイカルチャーとポップカルチャー、東洋と西洋を交差させた極めて完成度の高い一連の作品で世界的に評価され、海外の著名な美術館で数々の個展を開催してきました。
アーティストとしての精力的な創作の一方で、村上隆はキュレーター、ギャラリスト、プロデューサーなど多岐にわたる活動も展開しています。特に、近年、独自の眼と美意識で国内外の様々な美術品を積極的に蒐集し続けており、その知られざるコレクションは、現代美術を中心に日本をはじめとするアジアの骨董やヨーロッパのアンティーク、現代陶芸や民俗資料にまで及んでいます。村上隆にとって「スーパーフラット」とは、平面性や装飾性といった造形的な意味のみに限定されるのではなく、時代やジャンル、既存のヒエラルキーから解放された個々の作品の並列性、枠組みを超えた活動そのものを示しており、「芸術とは何か?」という大命題に様々な角度から挑み続ける作家の活動全体(人生)を包括的に表す広範かつ動的な概念と捉えられるでしょう。
圧倒的な物量と多様さを誇るこれら作品群を通して、村上隆の美意識の源泉、さらには芸術と欲望、現代社会における価値成立のメカニズムについて考えるとともに、既存の美術の文脈に問いを投げ掛ける、またとない機会となるでしょう。(ゲストキュレーター:三木あき子)

   

 まず目についたのが、白隠慧鶴の作品、曽我蕭白の「草山水図、寒山拾得図、草山水図」の三点セット。黒織部の茶碗、李朝期の「銘花雫」茶碗、スリップウェアの陶器、中村一美「黄色い柵状の行」「恵那」、アンセルム・ライラ「無題(オットー・フロイントリヒのために)」、ガブリエル・オロスコ「サムライツリー30」「サムライツリーIT」などに惹かれた。

                     

 しかしこの収集癖、収拾の根拠は何なのだろう。誰でもがコレクターとしての思いはある。自分にとっての全世界を獲得したい、自分の世界を網羅的に俯瞰してみたい等の思いは共通である。だがこの所有欲と、世界を理解したいとの思いの乖離を前に誰もが「断念」という時代を経て大人となるものでもある。村上隆という人間、ひょっとしたら社会との関係をどこかで断念してしまった可能性すらあるのではないか、という疑問が頭から離れない。
 そんな思いをした。多分村上隆をいうアーティスト、コレクターを理解するためには、私との間に横たわる大きな溝ないし、無限の彼方の亀裂を超えなければいけないようだ。
 だが、一方で意外とこの亀裂乃至溝は簡単に超えられるかもしれない。そのカギは何なのだろうか。意外と身近にあるかもしれない。亀裂の認識と、簡単に超えるかもしれないという観念の間の往来が鑑賞の妙味なのかもしれない。

フランク「交響詩」4曲

2016年02月13日 12時26分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 前回我が家のCDの棚にあって失念していたフランチェスカッティのベートーベンのヴァイオリンソナタ全集を聴いてみた。
 さらに昨晩CDの棚を見ていたら、フランク「交響詩集」というのを見つけた。アンドレ・クリュイタンス指揮のベルギー国立管弦楽団、1962年の録音となっている。収録してある曲は4曲。交響詩「のろわれた狩人」(1822)、「アイオリスの人々」(1875-76)、「ジン(魔神)」(1884)、「贖罪」(1874改訂)が収録されている。「ジン」のピアノソロはアルド・チッコリーニ。
 このCDも購入した記憶も、聴いた記憶もまったくない。2005年の発売となっているので、今から10年ほど前に購入したことになる。まず表紙の絵がいい。どこかで見た記憶のある絵である。誰のデッサンであろうか。いくら思い出そうとしても思い出せない。どなたか是非教えてほしい。
 さて、ウィキペディアで検索してみるとフランク(1822-90)には「交響詩」といわれる分野の曲で作品番号があるのはこの4曲の外には晩年に作られた「プシュケ」(1886)がある。また20代の作品である「人、山上で聞きしこと」には作品番号がなく習作の扱いなのだろうか。
 また「贖罪」は教会音楽のオラトリオとして作られた曲。演奏困難のため初演が失敗で、開削が行われ、中間の交響的間奏曲が独立した交響詩として演奏されるようになったらしい。
 フランクは最晩年の「交響曲ニ短調」(1888)とやはり晩年の「ヴァイオリンソナタ」(1886)以外聴いたことがない。本日午前中の作業中に聴いてみたのだが、なかなかいい。交響曲よりも聴きやすい。劇的な展開であるが、フランクらしくどこか抑制的である。
 「のろわれた狩人」の最初のホルンの吹奏、すぐに出てくる弦の長閑な旋律と鐘、この縺れ合いに一気に惹かれた。
 「ジン」はオーケストラとピアノの掛け合いが何といっても聴きどころだと思う。複雑な掛け合いは協奏曲のようにピアノ主導では曲にならないようだ。
 「贖罪」は弦楽合奏の美しさに心を奪われているうちに、弦楽器の刻みの上に金管の吹奏が乗っかってくるところが聴きどころである。トロンボーンが大きな役割を果たすと記されている。低音の抜けたような感じの音質は魅力がある。
 夕方になったらまた聞きたい。