本日は横浜美術館に出かけた。「村上隆のスーパーフラット・コレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで―」を見てきた。ホームページには次のように記されている。
★この展覧会は、現代日本を代表するアーティスト、村上隆(1962~)の現代美術を中心とするコレクションを初めて大規模に紹介するものです。
村上隆は、東京藝術大学にて日本画初の博士号を取得。現代美術と日本の伝統絵画、ハイカルチャーとポップカルチャー、東洋と西洋を交差させた極めて完成度の高い一連の作品で世界的に評価され、海外の著名な美術館で数々の個展を開催してきました。
アーティストとしての精力的な創作の一方で、村上隆はキュレーター、ギャラリスト、プロデューサーなど多岐にわたる活動も展開しています。特に、近年、独自の眼と美意識で国内外の様々な美術品を積極的に蒐集し続けており、その知られざるコレクションは、現代美術を中心に日本をはじめとするアジアの骨董やヨーロッパのアンティーク、現代陶芸や民俗資料にまで及んでいます。村上隆にとって「スーパーフラット」とは、平面性や装飾性といった造形的な意味のみに限定されるのではなく、時代やジャンル、既存のヒエラルキーから解放された個々の作品の並列性、枠組みを超えた活動そのものを示しており、「芸術とは何か?」という大命題に様々な角度から挑み続ける作家の活動全体(人生)を包括的に表す広範かつ動的な概念と捉えられるでしょう。
圧倒的な物量と多様さを誇るこれら作品群を通して、村上隆の美意識の源泉、さらには芸術と欲望、現代社会における価値成立のメカニズムについて考えるとともに、既存の美術の文脈に問いを投げ掛ける、またとない機会となるでしょう。(ゲストキュレーター:三木あき子)
まず目についたのが、白隠慧鶴の作品、曽我蕭白の「草山水図、寒山拾得図、草山水図」の三点セット。黒織部の茶碗、李朝期の「銘花雫」茶碗、スリップウェアの陶器、中村一美「黄色い柵状の行」「恵那」、アンセルム・ライラ「無題(オットー・フロイントリヒのために)」、ガブリエル・オロスコ「サムライツリー30」「サムライツリーIT」などに惹かれた。
しかしこの収集癖、収拾の根拠は何なのだろう。誰でもがコレクターとしての思いはある。自分にとっての全世界を獲得したい、自分の世界を網羅的に俯瞰してみたい等の思いは共通である。だがこの所有欲と、世界を理解したいとの思いの乖離を前に誰もが「断念」という時代を経て大人となるものでもある。村上隆という人間、ひょっとしたら社会との関係をどこかで断念してしまった可能性すらあるのではないか、という疑問が頭から離れない。
そんな思いをした。多分村上隆をいうアーティスト、コレクターを理解するためには、私との間に横たわる大きな溝ないし、無限の彼方の亀裂を超えなければいけないようだ。
だが、一方で意外とこの亀裂乃至溝は簡単に超えられるかもしれない。そのカギは何なのだろうか。意外と身近にあるかもしれない。亀裂の認識と、簡単に超えるかもしれないという観念の間の往来が鑑賞の妙味なのかもしれない。