Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は春一番が吹くのであろうか?

2016年02月12日 23時04分56秒 | 天気と自然災害
 横浜では、本日は午前中は日も当たらず、寒かったが夕方にかけてそれほど気温は下がらなかった。それでも最高気温は予報の13℃を下回り、10℃にとどかなかったようだ。明日はかなり気温が高くなるとのこと。明け方の最低気温が8℃、最高気温の予想は18℃となっている。春一番が吹くということらしい。
 大倉山の梅林を見に行きたいと思いながらまだ行っていない。来週には行きたいとおもいながらも、いつ行けるかはっきりしない。来週は月曜から金曜まで毎日予定が入っている。しかし水曜・木曜の午後は開いている。

 昨日見損なった日没、本日の夕方は雲が厚くて富士山は見えなかった。明日も一日中曇、なかなか思うように晴れてくれない。

ブラームス「ピアノ協奏曲第1番、第2番」

2016年02月12日 22時00分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 横浜では、本日は午前中は日も当たらず、寒かったが夕方にかけてそれほど気温は下がらなかった。それでも最高気温は予報の13℃を下回り、10℃にとどかなかったようだ。明日はかなり気温が高くなるとのこと。明け方の最低気温が8℃、最高気温の予想は18℃となっている。春一番が吹くということらしい。
 大倉山の梅林を見に行きたいと思いながらまだ行っていない。来週には行きたいとおもいながらも、いつ行けるかはっきりしない。来週は月曜から金曜まで毎日予定が入っている。しかし水曜・木曜の午後は開いている。
 昨日見損なった日没、本日の夕方は雲が厚くて富士山は見えなかった。明日も一日中曇、なかなか思うように晴れてくれない。

   

 本日は午後は横浜駅の有隣堂を巡ってから喫茶店で1時間ほど読書。帰宅後はブラームスのピアノ協奏曲の第1番と第2番、二つとも聴いていた。特に新しい感想を得られたわけでもなく、新しい感興が湧いたということもないが、やはり聴き慣れた曲は心が落ち着く。

伊藤若冲「菊図」

2016年02月12日 19時59分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 伊藤若冲は菊の作品を多く描いているようだ。昨年の「若冲と蕪村展」でも2点の「菊図」と題した水墨画の作品が展示されていた。彩色画でも菊を背景に描いたものがあるし、水墨画でも主題ではなくとも背景に使われている作品もある。
 前回取り上げた縦長の作品と今回の横長の作品の菊はずいぶんと雰囲気が違う。菊の種類も違うだけでなく、ちょっとくだけた雰囲気で描いているようだ。切られたか、踏みつけられたか、風で倒れたのか、萎れかかった菊が下に横に倒れている。よく見ると上を向いて咲いている菊も盛りを過ぎたように見える。前回取り上げた菊は小菊だろうか。今のポンポン菊のような雰囲気もある。今回の菊は厚物咲の大輪のようだ。ただし、丹精を込めて育てられたのではなく、打ち捨てられたようでいてどこか逞しさを見せる花である。花弁の間も空いていて、密生度が低い。葉も大きくはない。しかし倒れても、また盛りを過ぎてもなお秋の大気に向かって上を向くという生命力に若冲は着目したのだろうか。
 同じ水墨画でも、端正な描き方と、この作品のようにどちらかというとざっくばらんな描き方との差があるようで、比べることが出来たのはいい体験であったと思う。
 菊というのは、「無欲な隠者の象徴」のように扱われている。賛者は「宮脇愛雲(元暉)」については詳細はわからないらしいが、「気は秋を凌(むかえ)るが為に健やかなり、香は露を飲むに縁(よ)りて清し」(読み下し)と図録の解説に記されている。

本日は寒い

2016年02月12日 12時29分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩の予報では本日は少し暖かなくなるようなことであったが、朝から日は当たらず気温が上がらない。セキセイインコも餌の取り換えと籠の掃除の間外に出しただけで、終わり次第すぐに部屋の中に入れた。
 昨日友人との新年会では、液晶の見過ぎに注意するべきだと縷々指摘を受けた。指摘されるとおりである。字を書くこともなく、ものを考えるスピードでキーボードをたたいている。これまで、ウォーキングやジョギングをして夕方になると物が二重に見えていたが、最近はお昼過ぎに繁華街に買い物に出るときにはもうものが二重に見えるるし、焦点が定まらない時がある。以前心配になって脳のMRI検査をした時には脳に以上はなかった。眼科医は目の緊張による筋肉の疲労で焦点を合わせられなくなってくる、目を休めるように云われた。またその時にメガネの矯正の度合いを落として緊張を和らげることにした。
 液晶画面を見る時間を少なくしないといけないようだ。分かってはいるのだが‥。

「恩地孝四郎展」(その4)

2016年02月12日 11時06分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
     

 「東京国立近代美術館ニュース第615号」は恩地孝四郎展について二つの論考が掲載されている。最初に掲載されているのが和田浩一宮城県美術館学芸部長の「恩地孝四郎-「版」と揺らぎの表現」。この論考は3点について述べている。
 ひとつは恩地孝四郎のワシリー・カンディンスキーからの影響については昔から指摘はされていたらしい。恩地孝四郎が明確にカンディンスキーについて語ったのはないようだが、その可能性についてこの最初の部分に触れている。少しわかりにくいも表現であるが、根拠はあるようだ。
 カンディンスキーが絵画に抽象表現を最初にもたらした先駆者であり、恩地孝四郎も版画の分野で嘲笑表現を確立している。「模倣」ではなくいい意味での「影響」、触発と私は感じ取っている。
 むかし恩地孝四郎の作品を見た時私はすぐにカンディンスキーの世界に近い、と感じたことがある。
 私の子どもが小さい時、カンディンスキーの絵を見て体を揺らしながらひとりで物語をつぶやいていた。自由に空想を馳せる姿に私は感動した。またそのような力を持つ作品を創出するカンディンスキーという画家にあらためて注目した。何か絵画の原点を見るような体験であった。
 そんな力を恩地孝四郎の作品も持っていると思った。単なる模倣ならこんな力は発揮できないと思う。カンディンスキーの絵画は精緻で細かい描写も多い。版画という制約を生かして単純化、簡潔化へ進化している。描かれる形体の単純化、簡潔化は、得てして単純な繰り返し、安易な様式化へと下降していくのだが、恩地孝四郎の作品にはそのような片りんは感じられない。それが「模倣」ではない所以でもある。
 このことは、和田浩一氏の論考のふたつ目の論考、「「版」の揺らぎ」へと結びつくのではないか。「恩地は、版画での制作において複数性には無頓着だった。実際一枚しか摺られない作品が多く、複数枚摺られても状態は異なっていた。恩地は、版画における「版」を、作品を安定させたり管理したりするものと捉えていなかった。むしろ絵画と同じような感覚で、自由に表現を紡ぎ出すための手段と捉えていた」と記している。
 職人芸としての刷りや版木制作という過程を否定してそこで版画の「現代性」を獲得したということになる。むろん職人性を保持しながらの「現代性」獲得を私は否定しているのではない。恩地の方法論がそこに向かったということである。
 三つ目の指摘は恩地における具象と抽象の関係、混在についての評価である。これについては別に触れたい。