Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は17℃と暖かい予想

2016年02月28日 23時29分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 21時30分位から弱い雨が降ってきた。予報どおりである。「レインアイよこはま」で見ると5ミリ未満の雨である。そして間もなく、日付が変わる前には止みそうである。
明日は9時ころには雲もなくなり、気温も17℃と高くなる予想となっている。
 鼻水と啖の症状はかなりおさまっている。後1日か2日で完治するように思っている。しかし近年稀に見るしつこさ、しぶとさである。横浜駅にある有隣堂で立ち読みをしているときも、ゴホンゴホンと咳が止まらない客が少なくとも3人はいて苦しそうであった。図書館でもゴミ箱にチリ紙がたくさん捨てられていた。
 このしつこい風邪、インフルエンザではないといわれているが、予防接種を受けた4種以外のインフルエンザが流行っているのではないかと、疑う人もいる。私の友人も盛んにそんなことを云っている。素人の我々が嘘の発信元になってはまずいのだが、何となくそんな意見に組みしたくなる気持ちもわからないではない。
 妻も咳と鼻水と痰が苦しそうである。しかし内科医から薬を処方してもらったこともあり、私よりは早く回復しそうな気配でもある。私よりも先に完治してしまうかもしれない。複雑な気持ちである。


横浜の市立図書館

2016年02月28日 22時07分55秒 | 読書
 本代が嵩むので出来るだけ図書館利用をすることにした。神奈川大学の図書館は、エクステンション講座の受講生は閲覧のみで貸し出しはしていない。しかし揃えてある図書の充実度、本の状態の良さにはびっくり。また閲覧室も大きな机とゆったりとした椅子が供えられ、静かで落ち着く。入館には毎回受講講座などを記入しなくてはいけないのが面倒ではあるが、そんなことよりも読書環境が確保できることの方がうれしい。しかも家から極めて近い。
 なんとか貸し出しができるようになってもらいたいが、これは高望みのしすぎだろう。



 本日は横浜市立図書館におもむき、図書カードを作成してもらった。さっそく貸し出しを受けようとしたら、その図書がこの図書館に無く、他の区の図書館からの取り寄せとなった。他の2冊は貸出禁止図書で中央図書館まで閲覧に行く必要があるとのこと。
 各区にある横浜市立図書館は閲覧コーナーがほとんどない。基本的に貸し出しが中心で読書を楽しむ場所ではない。しかも本日は日曜だったこともあり家族連れが多く、2~3歳の子どもの運動場と化していた。とてもではないが読書などしていられない。

 郷土史関係の図書等は充実しているが、他の分野の蔵書の傷み具合はかなり進行している。蔵書の傷み具合がそれなりに進行しているということは、公立図書館の宿命でもある。貸し出しが少ない図書館ならば存立が危うくなる。

 ネットに登録すると、予約した本の状況をメールで知らせてもらえるようなので、登録してみた。
 貸出については、図書カードの登録番号で管理しており、利用状況などがすべて記録されているというのはあまりいい気分ではないが、背に腹は代えられない。


「称名寺貝塚」展(横浜市歴史博物館)

2016年02月28日 19時07分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 横浜市歴史博物館の「称名寺貝塚-土器とイルカと縄文人」を見てきた。
 「称名寺貝塚」、縄文時代後期初頭の「称名寺式土器」というのは聴いたことはあるが、実際にその展示と解説を見たのは初めてである。この形式は西日本からもたらされたらしい。一方でイルカ漁の技法は北からの影響ないし、関東地方での独自の技法らしいとのこと。
 称名寺貝塚の大きな特徴はイルカの骨が大量に出土していること、とのことである。これは縄文中期以降遺跡が小規模になり人口減少が著しい時期に、この遺跡ではイルカ漁により大規模な集落が維持できたことが特徴ということをギャラリートークで解説を受けた。納得できる話でもあるが、一方で、称名寺以外の入り江ではなぜイルカ漁がおこなわれて食料の確保が行われなかったのか、という疑問が湧いてくる。まだまだ納得できる理由・説明はないような気がする。
 女性をかたどった土偶は「一般的に女性と云われるが、食物をもたらす女神ではないか。古事記のオオゲツヒメ神話などと関連付けられるのではないか」との指摘は面白かった。殺害された者の屍体の各部から栽培植物が生じるという説話は、東南アジアから大洋州・中南米・アフリカに広く分布しているとのことある。
 一方で男根をかたどる石棒の出土に基づく祭祀や、住居跡の様子などの展示・説明もあり、勉強になったギャラリートークであったと思う。
 土器の形も紋様も初めて目にするようなものもあり、興味深かい。

   

「幕末・明治のプロイセンと日本・横浜」(横浜開港資料館)

2016年02月28日 09時30分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日の2か所目は横浜開港資料館で開催していた「日独修好150年の歴史「幕末・明治のプロイセンと日本・横浜」」展。
 2011年が日本とプロイセンが通商条約を結んで150年ということであったとのことである。1860年当時、プロイセンが北部ドイツの32か国を代表して日本と交渉したが、結局幕府はプロイセンとだけアメリカ以降7番目の通商条約を結んだとのこと。この条約から11年後の1871年にプロイセンはヴィルヘルム一世とメッテルニッヒのもとドイツを統一しドイツ帝国が成立している。
 プロイセン人の見た長崎・江戸・横浜の風景はもとより、シーボルトの残した足跡や、日本からヨーロッパに渡った最初の源氏物語全巻などの資料が魅力的であった。
 いつも開港資料館の企画展の場合、展示を見てから資料を読み取って当時の勉強をすることにしている。展示目録や資料などはユーラシア文化館などよりは丁寧に作成されていて、展示を思い出しながら資料を読むというのは理解が多少は容易である。
 一昨年9月にはスイスとの修好150年ということで、スイス人の見た幕末のスケッチなど興味深く見ることができた。スイスが6番目の修好でドイツの前身プロイセンが7番目ということはようやく覚えた。今回も使節団の描いたスケッチや写真など興味深かかった。江戸城や亀戸天神、洗足池、池上本門寺のスケッチは茶屋などが克明に描かれていた。将軍家茂のプロイセン国王宛の信任状や幕府の外国奉行の公文書などこれまでにないスケッチ・写真・文書であり、スイスの時に続いて興味深かった。