Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

立秋

2020年08月09日 21時14分52秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★秋立や川瀬にまじる風の音       飯田蛇笏
★人声のうしろより来て秋立つか     加藤楸邨

 昨日が立秋であった。しかし横浜の最高気温は34.2℃であり、太陽の陽射しもものの影も真夏の様相。
 セミの声は盛夏を過ぎたようにも感じないこともない。せめて木蔭の微かな風に秋を感じて見たかった。だが、笹の葉すらそよとも動かなかった。
 本日は14時過ぎから街中ウォーキング。あまりの暑さに喫茶店のアイスコーヒー以外に自動販売機で冷たい水とスポーツドリンクを購入。小さな公園で塩分と水分の補給。

 


《長崎平和宣言》

2020年08月09日 12時40分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での「平和宣言」は以下のとおり。

《長崎平和宣言》

 私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。
 どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。
 75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。
 私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。
 被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。
 今年は、核不拡散条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。
この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
 “残り100秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。
 3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。
 被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。
 昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。
 世界の皆さんに呼びかけます。
 平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
 今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
 この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
 若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。
世界各国の指導者に訴えます。
 「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
 核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
 そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
 東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
 新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

        2020年(令和2年)8月9日             長崎市長 田上富久

 


長崎忌

2020年08月09日 10時53分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩の夜の空は全体的に靄がかかったように視界は悪かった。また薄雲が空全体を覆い、木星と更待月だけをかろうじて見ることが出来た。木星の隣りの土星も、月の傍の火星も、夏の大三角も見えなかった。

 夕方から階段室に迷い込んでぶつかりながら飛び回っていたアブラゼミが、玄関扉のすぐ前で仰向けに転がっていた。死んでしまったのかと思い、土に戻してあげようと手を触れると、まだ生きていることを主張して翅を強く震わせ、鋭く鳴いて勢いよくぐるぐる回転した。
 その勢いと大きな鳴き声に思わず手を引っ込めて、そのままにした。
 朝、アブラゼミはそのままの仰向けの姿勢で相変らず玄関扉のすぐ下にいた。手を触れると昨晩のように鳴く。しかし昨晩のような勢いと大きな音ではなかった。階段室を行き来する人に踏まれてしまったり、歩く人を驚かしては本意ではなかろうと、妻が塵取りで掬うと弱々しく動いた。
 妻は、コンクリートの床では悲しい、少しでも静かに最後のときが迎えられるようにと思ったようだ。かといってそのまま土の上に置くのもまた可哀そうだ、ということで、そっとツツジの葉の上に寝かせるように置いた。バランスよく葉と小枝の上に留まっているが、少しでも動くと土の上に落ちていまうかもしれない。しばらく妻はその姿を見つめてから戻ってきた。

 そんなアブラゼミの最後のときのお膳立てをした本日は、長崎の原爆の日。広島の原爆の日は夏、昨日の7日が立秋。原爆の日は夏と秋にまたがる。

★首上げて水光天に長崎忌        五島高資