Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

図書8月号 1

2020年08月03日 22時48分37秒 | 読書

 いつものとおり覚書として。要約でもキーセンテンスでもなく、気になった個所をピックアップしたもの。引用がないものも眼をとおしたもの。目をとおしていないものは記載していない。

・表紙「黒い雨」        司 修
「私は、『詩集 原子雲の下より』を読みました。‥私はこの詩を見に見たいと、陽が沈み、薄暗くなった部屋の中で、机に乗せた腕に顔を支え、じっと窓ガラスの小さな染みを見つめていました。あたりが真っ暗になってから、直径三ミリぐらいの染みが、真夏の山手線で入り込む白昼夢のごとく膨らんでいくのを見ました。

・マスク            村上陽一郎

・抱擁             小池昌代

・玉露とパイプとコロッケと   みやこうせい
   ――ある日の吉田一穂

・虚言の文学者         四方田犬彦

・ロシアヘイトの根源      亀山郁夫

・アリスのいないお茶会(前篇) 吉田篤弘

・ゴッホの《ひまわり》 パリ編(上)   正田倫顕
「(ひまわりを描いた作品は)確認できるだけで、31枚の作品を描いたことが分かる。オランダ時代に1枚、パリ時代に13枚、アルルで10枚、サン・レミで4枚そしてオーヴェール・シュル・オワーズで3枚ということになる。以外にもアルルよりもパリで描いた作品の方が数が多い。」
「当時のフランテ図はひまわりは装飾モチーフとして人気があった。‥ゴッホがバリで多くのひまわりを描き始めたのは、こうしたフランスにおける流行も関係していたであろう。」
「ゴッホの《ひまわり》に目を遣ると、葉をなくし、種を結んで、枯れかかっている。‥ずっしりとした重みを
感じさせる。切断された花冠はまるで無造作に遺棄されたかのようで、明らかに死へと接近している。‥こまわりをこの状態で描いたことに、画家の独創性があるだろう。」
「それまでもゴッホはぐったりとくたびれ、傷つき、消耗した人やものに惹きつけられてきた。《馬鈴薯を食べる人たち》‥《悲しみ》‥などで人生の辛苦を感じさせるモチーフを取り上げてきた。喜びよりも哀しみを重んじたゴッホには、真正面から向き合うべき課題であったのだ。」
「ゴッホは(1877年の4枚のひまわりの連作の)枯れかけたひまわりで何を表そうとしたのだろうか。‥これらのひまわりは室内で一定期間、鑑賞されたあと、不用になって捨てられたものとも考えられる。‥‥(にもかかわらず)ひまわりからは明るく明るく力強い波動が放射され、エネルギーが漲っている。本来悲しむべき暗澹たる死、生物にとっての最大の否定的出来事である死、それが別様に表れて出ているのだ。ひまわりは人間が考えるような意味での死を超えて、今ここで充足している。しかも花と環境は対立しているのではなく、境界をこえてつながり、響き合っている。いわばひまわりという局所特異点に、全宇宙のエネルギーが凝集しているかのようなのだ。何の変哲もない場所が特別な中心として、波動の源を占めている。そして花には多数の種が宿り、‥。死の中に生があり、生の中に死がある。」
「この絵をX線で撮影すると、ワイングラスをもった自画像が浮き上がる。ひまわりの背後にはゴッホの姿もぴたりと重なっているようなのだ。‥ここには画家とひまわりの一致というテーマも垣間見られるであろう。」

 最後引用が長くなったけれども、なかなか牽かれる連載である。注目しておきたい。もう一度じっくりと読みなおしたい。

 


「夢」を語る

2020年08月03日 21時08分55秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨日は「夢とは、夢をいくつも捨て続けて一つの夢だけを抱いて、この世にさよならをいうまでの時間」と記述した。もう少し書いてみたい。

 まずは、この世にさよならするときに抱いている「夢の形」とは私は何をさして言っているのだろうか。「抱いている夢」だから達成はしていないものである。
 どだい、夢はかなえられてしまえば夢ではない。夢はかなえられないから夢である、ということに気がついたのは20代後半になってからであった。
  私は、最後の眠りにつく前に、自分がこだわってきたことは何なのだったのだろう、という内省の時間が欲しいと思う。このこだわってきたことが「夢」なのだと私は思う。何事につけきちんとこなしたい、どんな短い文章でも自分の思うとおりに読む人に不快な念を持たれないように、誤解を生まないように綴りたい、そんなこだわりを持ち続け来たことが「夢」なのかもしれない。
 北斎が、「せめてもう10年、いや、あと5年でもいい、生きることができたら、わたしは本当の絵を描くことができるのだが」という言葉を残したそうだが、「本当の絵を描く」ことにこだわってきた画家の生涯をとおした強い思いが詰まっていると私は感じた。
 あのような優れた画家にして「本当の絵」への強い思い、そのような技量とは無縁の私にもどこかで解るような気分になる言葉である。
 一生涯、何かを求め続ける思い、これが欲しいと私は思う。それはどのようなものでもいい。自分の生涯を振り返ったとき、「俺はこれにこだわって来たんだ」というものがあることは幸せだと思う。

 もうひとつ。小学生の内に、一生涯追い求めたい夢を一つ持て、と教えるのだと聞いた。私はそれを聞いて愕然とした。どうして10歳前後の子どもに一つの夢だけを持てと、強制するのだろうか。そんな夢のない人生を教えてはならない。今の教育制度を支える人たちはどんな不幸な人生を送ってきたのだろうか。
 10代の頃は夢はとりとめもなくたくさんあって当たり前である。むろん一つの夢を追うのを否定はしない。しかし一つの夢に絞らななくてはいけない理由などどこにもない。一つに絞られてしまったら、それは夢ではなく義務でしかない。夢を悪夢に転化させてはならない。
 年齢を重ねとともに夢は変わっていく。それが成長というものである。変わっていくもの、それが夢である、という地点に立てないならば、子どもを教えてはならない。子どもに夢を押し付ける大人になってほしくない、と心から願っている。
 そして同時に、「夢はなくともいい」といってもいい。人生の最後にたとえば「人に誠実であり続けた」と思えるならば、それもまたいい「夢」を実現したといえる。夢は具体的なものである必要などどこにもない。

 「夢は心に抱く儚いもの」ではない。「達成できなくともこだわっていけるもの、こだわり続けてたいもの」が夢であり、これはそう簡単に毀れるものでも忘れ去るものでもない。

 別の言い方をすれば、「誰の心にも残るもの、誰もがこだわっているもの」それが「夢」であるともいえる。
 


睡魔に襲われる

2020年08月03日 11時53分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝から眠いこと限りなし。パソコンの前で作業をするつもりが何もしないうちに寝てしまった。
 高校生のころに授業でよく寝た。当時と違って、注意されたり、怒られるわけではないので、パンダが座ったまま寝ているような姿で、誰に気兼ねすることもなく寝た。そして自分のいびきの音に目が覚めた。
 ここまで眠いと、もう眠らないという抵抗は無理。午前中の仕事は断念。ふたたびベッドへ直行。睡魔が襲う、という表現がぴったり。
 昨日は確かにいろいろなことをこなしたが、それほど体力を酷使したつもりもない。

 本日の午後は理容店、軽めの街中ウォーキング、そして読書タイム。ここ数日読書タイムが確保できていない。一昨日岩波書店の「図書8月号」が届いていた。これをリュックに入れて出かける予定。