18時から「丸山奏&杉山岳 ヴィオラとビアノによる生配信コンサートを視聴した。丸山奏氏は現在イルミナートフィルハーモニーの首席ヴィオラ奏者、杉林岳氏はウィーンで演奏活動中とのことである。チケット代は2000円と格安。
クララ・シューマンの「3つのロマンス」、ロベルト・シューマンの「幻想小曲」集、ベートーベンの「ピアノソナタ31番」、ハチャトゥリアンの「ヴィオラソロのためのソナタ・ソング」、ブラームスの「アルト、ヴィオラ、ピアノのための2つの歌曲」、パックスの「伝説」、カステルヌォーヴォ・テデスコの「海のささやき」、ドビュッシーの「美しき夕暮れ」の全8曲を約90分で。
ヴィオラの独奏曲は限られているが、私は好きな楽器の一つである。今回の曲ではロベルト・シューマン、ベートーベン、ブラームスの曲以外は初めて耳にする曲ばかり。ドビュッシーは聞いたことはあるかもしれないが記憶にはない。
好きな楽器とはいっても、今井信子によるバッハの無伴奏チェロ組曲、ブラームスのヴィオラ・ソナタ、シューマンの「おとぎの絵本」の3枚のCDを聴いただけである。あとは管弦楽曲のヴィオラパートを丹念に追っている。
本日のライブ配信の曲は、私も聴いたことはあるといったものの、ふだんあまり耳にすることのない曲である。
その中では「海のささやき」という曲は印象に残った。
どちらかというとマイナーな楽器によるマイナーなプログラムであるものの、ヴィオラの魅力を充分に堪能できた。
ライブ配信という機会に思い切って申し込んだが、これがコンサート会場ならば、果たして足を運んだかというと、疑問符が付く。
こういう形式なので堪能できたと思うと、楽しい体験を与えてもらってよかったと思う。
★蝉しぐれ捨てきれぬ夢捨てる夢 西岡光秋
人生とは、「夢をいくつも捨て続けて一つの夢だけを抱いて、この世にさよならするまでの時間」とのことである。そのためには若いうちにたくさんの、それこそ捨てても捨ててもまだ残るだけの夢を持たねばならない。はて、私はいくつの夢を持っていただろうか。そしていくつの夢を捨ててきたのだろうか。69歳になろうとている今、果たしていくつの夢を持っているだろうか。
その夢、捨てた夢をひとつひとつ検証したいものであるが、検証しようとすると忘れてしまうのも夢である。私などは朝に目が覚めると見ていた筈の夢を全く覚えいない。それが夢というものの本質だと思っている。
人は夢だけで生きているのではないが、やはり夢をどこかに保持していないと生きていけないもののようである。
夢と云えば、蝶々。
「胡蝶の夢」ということわざがある。「荘子が蝶になった夢を見、人間ということを忘れて楽しく飛び回る。 夢から覚めて自分が人間であることを思い出しあらためて夢の中のことを思うと自身が蝶になったのか、それとも、蝶が荘子になったのか、よくわからなくなった」という故事に基づく。
夢と現実との区別がはっきりしないこと、また、人生には絶対的な確定要素はなく、すべてが相対的なものでしかないとの喩えである。
「胡蝶の夢」を思い出し、本日家から4000歩余りの公園でニイニイゼミと蝶を撮ってみた。
午前中は退職者会の記念誌の作成。送信してもらった資料を貼り付け作業。表紙・裏表紙を入れて40ページのうち約10ページ余は終了。
ここまでは特に難しいことはない作業の連続。これからさまざまな方から原稿を貰い、あるいは原稿依頼を行いながら、時間がかかる作業である。
梅雨明け二日目、朝から晴れ、気温はあがるらしいが今のところ気持ちのいい天候である。午後はいつものとおり、街中ウォーキングと喫茶店での一服&読書タイムとしたいのだが‥。
友人は自宅の周りのセミの声を聞いて、4種類(ニイニイゼミ・アブラゼミ・ミンミンゼミ・ヒグラシ)のセミを聞き分けたという。
私は幾度聞いてもこの団地の中では圧倒的なミンミンゼミの声と微かにアブラゼミしか聞こえない。セミの声を聞き分ける修業が足りないようだ。
セミの写真も撮ってみたい。その機会を狙っている。
セミとは無関係な写真を1枚。