Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「定家明月記私抄」 3

2020年08月04日 22時32分43秒 | 読書

 午前中と午後とで、「図書8月号」と「定家明月記私抄」(堀田善衛)を読む。「図書8月号」と読了。



 「定家明月記私抄」は、数日振りにページをめくり、「堀川院題百首」「西行との出会」「花も紅葉もなかりけり」「後白河法皇死」「再び明月記欠」「心身甚だ歓楽」「九条家の人々」の7つの節を読み終わった。 本日読んだの「後白河法皇死」以降の4節。

「わが国の政治史の不思議の一つは、禁中に相変らず盗賊が入ったりはしているけれども、宮廷側においては平氏と源氏が交替しても自分たちがそのままで存続するであろうことに何等の疑念をもたず、その疑念のなさそのものが存続のための最大の武器になっているという不思議である。そこに何故か、という問いはない。何故か? この不思議を不思議としないところに、おそらくわが国の政治史の最大の特徴があるのであろうし、頼朝ももとよりそれを不思議とせず、されば弟である義経の踪跡ばかりを追いかけるという仕儀となる。」(「堀川院題百首」)

「(崇徳上皇は)皇を取て民となし、民を皇となさん(保元物語)――これほどに猛烈な革命的言辞を成した人は、日本の歴史には他に親鸞ただ一人なのである。革命とは、皇を取て民となし、民を皇となさん、という意志以外の何物でもない。‥西行は配流後の崇徳院に対して、ほとんど説得説伏をでもするかのようにして恨みを解け、とすすめているのであるが、それは思想問題についての、思想家としての自信なしには出来ないことであったろう。(西行は)一つの時代の取りなし役、今風にこれを言えば黒幕、あるいはフィクサーの役を果たしているかの観がある。」(「西行との出会い」)

「“霜冴ゆるあしたの原のふゆがれに一花さける大和撫子”作者(定家)の実情が不在であることが一層はっきりする‥。書斎にあって、おそらく夜更けて闇を凝視しながら必死になって作歌を続けている定家の苦業が目に浮かぶ。しかしこの一首は珍しく可憐である。」(「花も紅葉もなかりけり」)

「“なにとなく心ぞとまる山の端にことし見初むる三日月のかげ”「なにとなく」といういい方は、この頃からしきりに言い出されたもので、西行、慈円などにも多く、時代閉塞の様相が顕在しはじめると、人は「なにとなく」などという曖昧なことばを口にしはじめるもののようである。」(「花も紅葉もなかりけり」) 





図書8月号 2

2020年08月04日 20時14分53秒 | 読書

・こぼれるということ          藤原辰史
「赤坂(憲雄)さんはある村であるおばあちゃんに出会って、訪ねて行ったら「愚痴ばっかり一時間」しゃべられ辟易したあと、別のところで聞き書きをしているうちに、この愚痴がこの村の「社会構造」をあらわしていることに気づくということろです。反省しました。一時間五十分を無駄と感じるようになってきているではないか。」
「資料を読むことも、結局は死者が語りこぼしたものも、語りきれなかったものを、もろとも聞き拾うことであり、だからこそ、読み手の人生もかかっている。そのような態度で史料にむかわないと、AIの書く歴史学に持っていかれるのではないか、いや、歴史学はだんだんと情報処理に変化しつつあるのではないか、と思うのです。」

・奇想の花               橋本麻里
「たった一種の青いアサガオから膨大に枝分かれし、文字どおり千変万化を遂げて咲いた花の、単純に美しいと称えることも出来ない、グロテスクでさえある、その姿。それはたとえば、伊藤若冲や曽我蕭白、狩野山雪といった絵師たちにも向けられた言葉ではなかったか。明末清初の中国に興った「正」ではない、「奇」なるものを志向する文人の精神や、世俗を超越する者こそ聖人に達するという、陽明学左派の「狂」を尊ぶ思想は、十八世紀京都に流れ込み、既存の美を打ち破ろうとする絵師たちの骨格をつくった。‥江戸の人々の心性に触れ、「奇」へ、「狂」へと向かう濁流の波頭に咲き誇るのは、捩れ、膨らみ、引き裂かれ、襞を重ねた異形の花だ。」

・善と悪の不条理            長谷川櫂
 たっぷりと皮肉を込めて50年後の世界からこの世を眺めている作者は、
「この国には「全国民にマスクを二枚ずつ配る」というブラックユーモアに税金を使う首相も、感染症対策を自分の選挙運動と混同する都知事もいなかったのである。」


ミンミンゼミ

2020年08月04日 11時08分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨晩は23時半すぎから25分ほどの夜のウォーキングに出掛けた。この時間になると車もほとんど通らない。
 南の空には、西寄りから東にかけて、木星・土星・月が直線状に並び、美しい。そして東の空には火星が上って来ていた。北の空には羊雲が美しく並んでいた。残念ながら星はほとんど見えない。そして情けないことに西の空の記憶が無くなっていた。確かに折り返し地点までは西にむかっての尾根道なので西の空を見上げたと思うのだが、記憶に残っていない。

 昼間、横浜駅の近くの広い公園でセミの写真を撮ってきた。ミンミンゼミと思ったが、体の緑色があまり目立たない。羽が透明なのでクマゼミか?とも思ったが、体長が短い。自信がなくなった。近づいた時すでに鳴いていなかった。
 サクラで有名なこの公園、セミの声があまりしない。百メートルも離れていないお寺の墓地からの蝉時雨の方がよく聞こえるほどであった。
 友人に写真を送ったら、ミンミンゼミで間違いなさそうな意見であった。

★身に貯へん全山の蝉の声        西東三鬼