Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

空蝉

2020年08月10日 21時48分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★空蝉の一太刀浴びし背中かな      野見山朱鳥
★あまりに軽き空蝉山河還るなし     小松崎爽青
★少年の机に地図と空蝉と        大木あまり
★机上に風喚びて空蝉旅立てり      庄司たけし
★空蝉の琥珀を抜けし翡翠かな      五島高資

 空蝉が家の前の電柱にしっかりと着いていた。ちょうど私の目の高さにあり、私が道路に出ると目に飛び込んできた。多分今朝羽化したのであろう。
 すぐ隣にプラタナスやケヤキの樹もあるのによりにもよってコンクリート製の電柱に這い登るとは。しかし古い電柱なので表面はざらついており、登り易かったのだろうか。しっかりとコンクリートの肌に爪を立てていた。
 そっと手にとると、背中の割れが妙に生々しく見えた。まだ柔らかい生きた蝉が蠢いているように思えた。空蝉というのは、もぬけの殻ではないのだ、ということがふと湧いた。魂はまだその周囲を徘徊しているのかもしれない。
 粗末に捨ててしまうのがためらわれた。

 


シオカラトンボとアザミの種

2020年08月10日 19時43分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 横浜も最高気温が35℃を超え猛暑日となるのではないか、と予測されていたが、正午直後の34.5℃が最高気温であったらしい。35℃を超えたといって嬉しいわけではない。超えない方が有難いに決まっている。
 こんな中、買い物を妻につきあい、帰途は妻はバス、私は街中ウォーキングに出掛けた。
 途中で秋らしいものは何かとキョロキョロしたところ、近くの公園でシオカラトンボを見かけ、そしてアザミの種を見つけた。シオカラトンボは動きが早すぎて撮影は出来なかった。
 シオカラトンボに限らずトンボは早ければ初夏から姿を見せるらしい。しかし俳句の季語としての蜻蛉は秋である。
 アザミの種は、特に秋の季語として扱われるわけではないが、私には秋の気配がするものの一つである。

★蜻蛉やとりつきかねし草の上      松尾芭蕉
★対岸は輝きにけり鬼やんま       沼尻巳津子


猛暑日になるか

2020年08月10日 11時23分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は退職者会の事務作業。30年記念誌は原稿依頼などが複雑なので、進行管理表を細かく作成してみた。それほどの労力をかけずに完成。ここで休憩のウーロン茶タイム。
 記念誌に加えて、そろそろ退職者会ニュースの9月号の原稿を作成し始めないといけない。こちらは明日からはじめることにした。

 本日も暑い。9時に郵便物を近くのポスト撫で投函しに出かけたのだが、モワッとした熱気に包まれたようで、少々気分が悪くなった。横浜では10時前に32.7℃という表示になっている。もう34℃くらいになっているのかもしれない。

 これより妻の買い物のお供で出かける羽目になってしまった。