Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

災害の教訓の継承

2021年01月17日 23時08分01秒 | 天気と自然災害

 本日は1月17日、阪神淡路大震災から26年目である。あの日の朝のテレビの放送は今も忘れられない。その日、たまたま政令指定都市の建設関係職場の支部の会議があり、朝7時に横浜を出て、仙台に行き、午後には松島のホテルに入った。しかし神戸・大阪・京都からの参加予定者が到着しない。うすうす大きな地震で、こちらまでは来られないだろうとは思っていたが、あそこまでひどいとは想像ができなかった。
 4都市の方々には携帯電話で連絡を取ろうとしても取れずに、やきもきしている間に少しずつテレビ放送が惨状を伝え始めた。翌朝、名古屋以東の政令市の仲間での支援カンパの取り組みを決め、具体的な支援についてそれぞれの単組を通じて最大限取り組もうということを決めて、早々に解散した。

 翌々日からさまざまな情報を集めながら、生まれたての小さな労働組合の支部であっても、全力で取り組む算段をあれこれを考えたことを思い出す。

 私の立ち上げた支部は、道路管理・下水道管理の職場ということで、大雨・大雪・強風・地震など常に災害配備と背中合わせの職場であった。通常業務と災害時の業務は不即不離の関係であったが、あのような大災害を想定まではしていなかった。
 政令指定都市の職員としてどのような支援ができるのか、行政支援と労働組合としての支援の区分け、実際の組合員の派遣に付随する問題などをひとつひとつ限られた時間の中で精力的に交渉で解決したことは忘れられない。
 同時にその経験を日常業務にどのように生かすか、あの災害対応から何を教訓化して、実際の日常業務にどのように生かすか、真剣に喧々諤々と当局と交渉を続けてきた。その経験は東日本大震災などにも生かすことができた。
 しかしそれが若い組合員や、私が定年退職した以降に、きちんと伝わったかというと自信はない。
 災害というのは、「対策や経験を継承した」とその時は思っても、実際に起きてみるとあたふたするものである。災害時の教訓を日業業務のこなし方に繰り込んでいくことも大切なことなのだが、「なぜこうしたか」が伝わらないといつの間にか忘却してしまう。若い人々が意識的にいつも「災害」を念頭に仕事をこなす「癖」を継続してもらいたいと思う。
 それは私どものような日常的に災害と背中合わせの職場でなくとても、いろいろな職場・地域で必要なことだと思う。

 あの阪神淡路の震災で犠牲になられた方のご冥福をあらためて祈念するとともに、あの災害によって、多くの体験と経験を積むことができたことは私の組合活動の大きな転換点であったことをあらためてここに記載して、記憶の一端としたい。


災害の教訓の継承

2021年01月17日 23時04分42秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日は1月17日、阪神淡路大震災から26年目である。あの日の朝のテレビの放送は今も忘れられない。その日、たまたま政令指定都市の建設関係職場の支部の会議があり、朝7時に横浜を出て、仙台に行き、午後には松島のホテルに入った。しかし神戸・大阪・京都からの参加予定者が到着しない。うすうす大きな地震で、こちらまでは来られないだろうとは思っていたが、あそこまでひどいとは想像ができなかった。
 4都市の方々には携帯電話で連絡を取ろうとしても取れずに、やきもきしている間に少しずつテレビ放送が惨状を伝え始めた。翌朝、名古屋以東の政令市の仲間での支援カンパの取り組みを決め、具体的な支援についてそれぞれの単組を通じて最大限取り組もうということを決めて、早々に解散した。

 翌々日からさまざまな情報を集めながら、生まれたての小さな労働組合の支部であっても、全力で取り組む算段をあれこれを考えたことを思い出す。

 私の立ち上げた支部は、道路管理・下水道管理の職場ということで、大雨・大雪・強風・地震など常に災害配備と背中合わせの職場であった。通常業務と災害時の業務は不即不離の関係であったが、あのような大災害を想定まではしていなかった。
 政令指定都市の職員としてどのような支援ができるのか、行政支援と労働組合としての支援の区分け、実際の組合員の派遣に付随する問題などをひとつひとつ限られた時間の中で精力的に交渉で解決したことは忘れられない。
 同時にその経験を日常業務にどのように生かすか、あの災害対応から何を教訓化して、実際の日常業務にどのように生かすか、真剣に喧々諤々と当局と交渉を続けてきた。その経験は東日本大震災などにも生かすことができた。
 しかしそれが若い組合員や、私が定年退職した以降に、きちんと伝わったかというと自信はない。
 災害というのは、「対策や経験を継承した」とその時は思っても、実際に起きてみるとあたふたするものである。災害時の教訓を日業業務のこなし方に繰り込んでいくことも大切なことなのだが、「なぜこうしたか」が伝わらないといつの間にか忘却してしまう。若い人々が意識的にいつも「災害」を念頭に仕事をこなす「癖」を継続してもらいたいと思う。
 それは私どものような日常的に災害と背中合わせの職場でなくとても、いろいろな職場・地域で必要なことだと思う。

 あの阪神淡路の震災で犠牲になられた方のご冥福をあらためて祈念するとともに、あの災害によって、多くの体験と経験を積むことができたことは私の組合活動の大きな転換点であったことをあらためてここに記載して、記憶の一端としたい。


ブラームスのヴァイオリンソナタ

2021年01月17日 21時04分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 昨日に続いてブラームス。本日はヴァイオリンソナタを徳永二男、伊藤恵の組み合わせである。
 久しぶりに聴く曲であるが、初めの一小節を耳にするととても懐かしい感じがする。過去にそれだけ聴いたということでもある。
 ベートーヴェンという作曲家の曲は隙がなくて聴いているととても緊張する。むろん他の作曲家の曲が緊張感がないということではない。ベートーヴェンの場合、その緊張は疲労につながる。全曲を聴き終わったときに、悪く言うと「さぁどうだ!」という作曲家の顔が目の前に出てくる。「ハイ、恐れ入りました」と私は頭を下げながら、拍手をする。隙のない構成、ち密に作り上げられた楽器から楽器への進行‥、非の打ちどころのない人工的な世界を見せてくれる。
 一方、ブラームスの曲を聴くと自分の呼吸と、和声の進行と起伏が同期して、曲が終わった時も自然と余韻に浸る。曲の終わったという感じは、自分の呼吸がふと我に返った時に訪れる。ブラームスの曲を演奏会場で、納得のいく演奏で聴いた場合、私はきっと拍手を最後の音が鳴ってから15秒も20秒も経ってからするはずである。
 単にブラームスの曲ばかり聴いてきたからというのではない。しかし惹かれるということはこういうことなのであろうとしか言いようがない。
 徳永二男のヴァイオリンの澄んだ音色と伊藤恵のピアノのバランスも私の好みである。ヴァイオリンが主導権を主張していないと思えるところがいい。


ズームの設定でオロオロ

2021年01月17日 13時59分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 10時から12時までみっちりとオンライン講座「「美術の物語」を読む」。本日は冷える。ストーブを点け放しにしてしまった。
 ズームを起動しようとしたら、USBのスピーカーが邪魔をしていたらしく、音声は聴こえてもこちらの声が伝わらずにおろおろ。結局スピーカーを外して、内臓スピーカーに戻したらうまくいった。ところが今度はカメラが作動しなくなり、カメラの設定をやり直して、ようやく問題解決。
 ズームを使うときにはUSBスピーカーの接続を外し、内臓スピーカーに戻さなくてはならないことが分かった。ズーム自体の頻度は高くないので、我慢するしかない。

 これより、いつもの通りウォーキングののち、コーヒー&読書タイム。寒いのでサマーセーターと極薄のダウンでは無理のよう。少し厚めのセーターといつものダウンで出かける。
 うれしいことに、買い物は頼まれていない。