Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「眼の神殿」(北澤憲昭) 1

2021年01月24日 22時54分28秒 | 読書

   

 二日ぶりくらいに「眼の神殿 「美術」受容史ノート」(北澤憲昭、ちくま学芸文庫)を読む。明日中には第1章を読み終えるはず。少しアクセルを踏み込んで、読み進めたい。

「西洋画を受容するということは、厳密なことをいえば描く法ばかりか「望見るの法」をも同時に受容するということであり、伝統絵画とは決定的に異質なその絵画をこの国に定着するためには、画法の伝習から鑑賞の在り方にまでわたる絵画体験全体の制度的な変革が必要だったのである。」
「高橋由一が不惑にして迎えた明治維新という大転換は、西洋画のための制度的変革を行う絶好の機会であったばかりが、それにつづく「文明開化」の政治過程は西洋画を治術の核心近くに位置づけるはずであった。‥由一は、作画に従事するばかりではなく、西洋画を社会的に活用し定着させていくさまざまな事業にかかずらっていくことになるのである。画塾を開いて後進を育成し、油絵の展覧会を開き、油絵展観場を講演し、西洋画材の製造を指導し、日本で最初に絵画雑誌を発行するなど、その事業は多岐にわたるものであったのだが、これ以外にも施設=制度に関する企画やアイディアが山ほどあって、「高橋由一油画史料」には博物館、美術館、美術学校などの設立や改革に関する起案書や願書の類が数多くおされられている。」
「由一は明治一四年(1881)に、美術という名の神殿そのもののような奇妙な建築物の構想を記しとめている。すなわち「螺旋展画閣」構想がそれである。」

 第1章の第1節「洋画史の舞台 高橋由一の画業=事業」にはこのように記されている。第1章は以下、この「螺旋展画閣」をめぐる記述である。


小雨がふたたび

2021年01月24日 17時57分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 15時半過ぎにウォーキングに出かけた。1万余歩の周回コースを選んだ。最後の12分ほどのところで雨が降り始めてしまった。1ミリ未満の弱い雨でダウンのコートの前面が濡れてしまった。コンビニで温かいコーヒーを購入してイートインコーナーで飲みながら雨があがるのを待とうとしたが、緊急事態宣言を受けてイートインコーナーが閉鎖となっていた。やむなく、雨の中を歩いて帰宅。
 油断といえば油断である。降水確率は60パーセント以上であった。

 昨日は一日家に閉じこもっていたので、寒い中でも気分は爽快であった。眼鏡が息で曇るので明るいうちは眼鏡をときどき外して歩いた。体はとても暖まった。
 マスクインナー(マスクサポーター?)とマスクとの間に両面テープなどを使って工夫をしているが、眼鏡の曇りは期待したほど軽減しない。難しいものである。寒さが厳しいほど曇りも著しい。


雪は降らなかったが寒い

2021年01月24日 15時00分07秒 | 天気と自然災害

 結局は雪にはならなかった。ホッとする反面でどこか残念だったという気持ちがないとは言えない。
 お昼過ぎには雨も上がった。しかし雲に覆われて薄暗く、とても寒い。風も少し強い。

 先ほどまで記念誌の編集作業。あまりピッチは上がらない。根を詰めすぎても疲れてしまうので、本日の作業はこれにて終了。

 寒いが、雨が上がったことでもあり、夕方には散歩に出かけたい。昼食食べた後は、明後日の夫婦で受診するがん検診の問診表に記載を済ませた。朝9時過ぎに受付なので、明後日の朝はあわただしい。前日の夕方から食事制限になる。