Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日の読書「詞花和歌集」

2021年01月01日 23時12分59秒 | 読書

 本日の読書は、読みかけの「詞花和歌集」(工藤重矩校注、岩波文庫)の巻第五「賀」と第六「別」、および解説の一部。
 「賀」というのは私たちの視点からするとはっきり言ってつまらない。当時の人々にとっては重要な意味があると思われるが、それは私たちにはわからない。表現の必然性がわからないからである。呪的な表現も含めて、考えが及ばない。
 しかし「別」は現代のわれわれの感性に従って読むことができる。ただしそれは当時の宮廷人、政治に携わる人々の思いとはかけ離れている。それでも現代の感性で感興を催してもとがめられることはないであろう。

 例えば、優れた歌とは思わないが、

 もの申しける女の、斎宮の下り侍りけるに供にまかりけるに、いひつかはしける
★帰りこむほどをばしらずかなしきは夜を長月の別れなりけり   藤原通経

 当時のしきたりや斎宮の供の役割の重みや、斎宮という観念の強さは私には実感できない。だから、通っていた女性が男性と別れて斎宮に付き従う、ということに理解は及ばない。双方に「別れる」という意思があったわけではない。
 しかし私たちはそこまでは思わなくとも、一般的に、やむを得ない長い別れの悲しみとして普遍的に解釈することは可能である。その余韻に浸ることはできる。それが、現代のメロドラマ風(といっては失礼かもしれないが)甘い別れの風情であろうと、自分の体験に即して思い入れができる。

 そのような勝手読みをしながら、読むのもまた楽しい。解説を読みながら読む視点を修正すれば、それもまた楽しい。


正月三が日の過ごし方

2021年01月01日 20時46分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 本日は親を伴って、近くのお寺に出向いた。例年は甘酒などをふるまってくれるのだが、今年は「感染症対策」ということで、お守りも甘酒もなし。訪れる人も例年よりはかなり少なく、実にのんびり、のどかな時間であった。
 横浜駅の近くの喫茶店もすいており、昼食にハンバーガーなどを注文。

 バスの本数はいつもは休日ダイヤであったが、今年はさらに少なく、平日の半分以下。それでも行きも帰りもバスはガラガラであった。

 例年ならば、明日の二日の夕方は京浜東北線で大森駅まで行って、親族で集まるが、今年は取りやめた。さらに三日は、近くの箱根駅伝を横浜駅近くで観戦・応援をするが、それも取りやめることにした。
 今年の三が日は本日のお寺訪問だけでおしまいである。明日以降どのように過ごすか、まだ何も考えていない。


謹賀新年

2021年01月01日 06時00分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ことしもこのブログとお付き合いをお願いいたします。
 生きづらい世の中、閉塞感が漂います。しかし「生きていてこその人生」です。
 「生きながらえる」ことが厳しい時代なのかもしれません。どんな時も「どっこい生きている」と開き直って、トボトボでもボチボチでも前に進みたいと思います。

 今年が皆様にとり少しでも明るい年となりますよう祈念いたします。