Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

一月の星

2021年01月29日 21時37分49秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は少々遠くまで歩いてみた。しかし帰りは日も沈み、寒くなり、遅くなると夕食時に間に合わないとまずいので、バスにて帰宅。1万5千歩ほどになった。
 途中の喫茶店で一服、「眼の神殿」(北澤憲昭)を30ページほど読んだところで友人からメールの来信。そのままスマホでニュースを見ていたら、眼が疲れてつい寝てしまった。気が付いたら30分ほど寝ていたようだ。

★野歩きの果一月の星得たり       細見綾子

 本日は星が見える時間にはすでに帰宅していたけれども、日没が早いこの時期、外を歩いているとつい日没になってしまう。
 寒空で星を見上げると寒さが背中を震わせる。
 そんなときでも星を見上げるのが好きな人にとっては、ウキウキしてくるものである。そんな趣味のない人には理解できないと思われるが、冬は星が美しい。
 オリオン座の星々や、シリウス、プロキオン、ふたご座の星々を見つけると寒さも消えてしまう。そこまで暗くなくとも、夕陽が沈む一瞬の茜色が寒さを和らげてくれる。関東地方からの夕陽は富士山のそばに沈んでいく。冬空ならではの富士山は輪郭がくっきりしている。丹沢を従えて、堂々として、実に鮮明である。
 星の姿や輝き、そして入り日の情景も、雄大である。


バッハ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」

2021年01月29日 20時02分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日朝の作業時間から聴いている曲はJ.S.バッハ(1685-1750)の無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータのそれぞれ第1~第3。演奏はアルテュール・グリュミオーの1960~61年にかけての演奏。古い演奏であるが、録音は鮮明でごく最近の録音の様に聴こえる。
 とても気に入っている演奏である。
 50年も前の学生のころ、先輩がバッハというドイツ人の音楽をフランス人のグリュミオーが弾いていてもいい演奏のはずがない、といったのを聞いてそんなものか、と思ったことがある。当時はLPの時代で、購入しようか迷っていた時に言われた。今となっては意見を求めた人を間違ったのだと思う。あの先輩はこの演奏を生涯聴くことがないのだろうかと思うと、残念な人なのだったと思う。まあともに若かったのだということにしておこう。
 ただしあの時、意見を求めずにLPを購入していたら今頃はこのCDを持っていなかったかもしれない。偶然とは不思議なものである。


冬の空

2021年01月29日 13時20分11秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 午前中の作業は終了。天気も回復したので、これより外出。散歩のようなウォーキングに出かける。コースはいつものように未定、途中でコーヒー&読書タイムとなるとうれしい。
  妻も所用があり、出かけるとのこと。夫婦別々の目的とコースと時間で外出。

★蓋のない冬空底のないバケツ      渡辺白泉
★天ぷらの海老の尾赤き冬の空      波多野爽波

 第1句、「蓋のない空」とは抜けるような透明の空を形容するのによく使われる。秋でも冬でも使われるがここでは冬と限定している。「底のないバケツ」は古くて用をなさないもののたとえにも使われる。遠景と近景の対比という解釈が普通だが、私は「蓋のない冬空」をじっと眺めていると、ふと底のないバケツをとおして冬空を眺めているような錯覚に陥った心境を詠んだのかもしれないと感じた。
 細い筒をとおして遠くのものを見ると鮮明に見えることがある。古いバケツの底を上にかざして空を見上げても、何もなくただ青く、無限に遠くまで空虚が続く。「空」も「底の抜けたバケツ」も人の役には立たないし、普段は意識の外にある。が、厳として存在している。そんな存在に気が付いた句と解釈しても悪くはないと思う。

 第2句、この句も室内の食卓に載ったてんぷらの海老の赤い尻尾と、室外の冬の空の対比と解釈するのが一般出来だろう。だが、冬の温かい日に外でお弁当を食べていても悪くない。容器からはみ出した海老の赤い尻尾と、青い冬の空の対比、さらに無用として食べかすとして容器ごと捨てられる海老の尻尾と、陽射しをもたらしてくれる太陽ばかりに気を取られて存在を忘れがちな青い空。人の意識の外、「無用」のものの対比である。
 ちなみに私は火を通した海老の尻尾は必ず食べる。好物である。バリバリと噛みしめると海老の味がほのかに残っている。そして冬の青い抜けるような空も好きである。こずえの細い枝越しに見ると若い芽が映えて、春を想像できる。