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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

オミクロン株蔓延

2022年01月04日 21時48分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 オミクロン株がいよいよ蔓延。東京の150人越えもさることながら、沖縄の225人というのは驚愕の数字である。比較しても意味はない、という人もいるが、単純に東京と沖縄の人口比で換算すると、東京での2150人に相当すると思われる。離島の多い沖縄であれば、医療資源も限られている。条件は東京の2150人よりもさらに悪いのではないか。
 しかも米軍によって持ち込まれた可能性が大である。これだけ米軍基地を沖縄にとどめている限り、日本政府は特段の措置を取る必要があると思われる。医療体制も、経済も、厳しいはずだ。本土と沖縄の格差は拡大するいっぽうではないのか。

 さて、明日はモバイルパソコンを持ち歩く必要がある。杖を突きながらパソコンをもって地下鉄と徒歩で会館に向かうのは厳しい。組合の会館は、地下鉄を降りてからはバス停でひとつだが、行きも帰りもバスと地下鉄を乗り継いで利用することになりそう。


新年会が多数

2022年01月04日 21時17分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日の午後は今年初めての退職者会の作業日。幹事全員が集まるわけではないが、ニュースやその他のチラシ類を発送するための作業を行う。1000通余りの発送で、ニュースやチラシ類は5種類はある。半分の20人は集まってほしいとは願っているが、まだ松の内でもあり、なかなか厳しい。
 そのうちチラシ1枚の原稿を作り、先ほど訂正の上、確定原稿とした。明日昼頃に組合の会館に出向いて、1000部印刷予定。最近の謄写輪転機は、コピー機の様に使える。印刷速度も印刷性能も格段に向上している。細かいグラデ―ジョンも再現可能で、12ポイントの文字だけのチラシならば、コピーと見紛うほどである。製本機能もついている。
 作業終了後は、三々五々いつもの居酒屋に集まり、「非公式」の新年会になると思われる。軽く、短時間で終了するはず。

 忘年会がいくつもあったが、新年会もたくさんある。人と会えば、2人であっても新年会となる。コロナ禍、大人数でワイワイガヤガヤとなる新年会よりも、数人で行う忘年会・新年会が多い。一度に会う人数は例年よりも極端に少ないが、回数は確実に増えている。コロナ禍の今のほうが例年よりも肝臓の負担は増えたような気がしている。
 妻に言わせれば、断ればいいだけの話、飲み会が多い言い訳でしかない、とのこと。もっともである。

 6日には今年初めて整形外科に行き、リハビリを再開したい。
 


「世紀末芸術」序章から

2022年01月04日 18時04分01秒 | 読書

 昼前に所用があり、都内まで短時間の往復。昼は都内のタリーズでパスタとコーヒーのセットを頼んだのだが、1000円を超えていたのにはびっくり。残念ながら味も私の口にはあまり合わなかった。これならば近くの美味しい蕎麦屋さんで食べたほうがずっと良かった。
 早々に用事を済ませて、横浜に戻り、横浜駅近くのいつもの喫茶店で読書タイム。

   

 昨年末から読み始めている「世紀末芸術」(高階秀爾、ちくま学芸文庫)を久しぶりに目を通した。全5章のうち序章を読み終わり、第2章に入ったところで目が疲れて終了。
 世紀末芸術について、1894年にベルギーで開催された「自由美学」という展覧会を「世紀末芸術」の出発点としている。

 いつものとおり、気になって付箋をつけたところを書き出しておく。

1894年の「自由美学」の展覧会が持っている深い意味とし、何よりもそれが従来の枠にはまった芸術観というものを、すっかり無効にしてしまう点にあった。‥19世紀の中頃まではきわめて当然のことのように考えられていた芸術の「区分け」が取り払われ、広い視野のもとに眺められるようになった。19世紀の末にいたって芸術世界がいっきょに拡大された‥。‥ひとつはさまざまの芸術のジャンルの間を隔てていた境界を取り除き、諸芸術の交流を可能ならしめたことであり、もうひとつは、文字通り地理的世界が拡大された‥。」(序章「世紀末芸術とは何か」の「1 転換期の芸術」より)
「19世紀における芸術の分業化は、20世紀における芸術の綜合へと大きく転換した。‥「自由美学」はその雄弁な例証のひとつにほかならなかった‥。」(序章「世紀末芸術とは何か」の「1 転換期の芸術」より)

かつての「理想美」がそうであったように、一定の規範に基づいた永遠不動の原理であるよりは、むしろ官能の陶酔をもたらす感覚的な刺戟にほかならなかった。この時代の「美」がしばしば死の影を宿し、罪の匂いをただよわせているのも、おそらくはそのためであろう。死が生を餌食としているように、生もまた死によって養われているからである。‥彼らは美の創造者であるよりは美の使徒であり、美の殉教者だったのである。」(序章「世紀末芸術とは何か」の「3 退廃と新生」より)

イタリヤに始まった500年前のルネッサンスは、写実主義の野望から出発して、その完成によってその後400年間の美術の発展をはっきりと方向づけた。それに対し、19世紀末の第二のルネッサンスは、写実主義の破産から出発して、その徹底的否定によって20世紀芸術への道を開いた。‥第一のルネッサンスを否定し得たがゆえに、世紀末は第二のルネッサンスになり得たのである。」(序章「世紀末芸術とは何か」の「3 退廃と新生」より)