Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

立冬

2022年11月07日 22時23分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は立冬。二十四節気で冬の始まり。本日より立春(来年の2月4日)の前日までが冬。日は短くなり時雨が降る季節。

★立冬の病みて眩しきものばかり      荒谷利夫
★冬が来る隙間だらけの深山より      飯田龍太
★武蔵野はもの枯れ冬に入るひかり     加藤秋邨

 第1句、病んだ身から見れば、枯葉が舞い、木々の枝の間から明るい空が見えるようになると、世の中がいっそう明るく見える。しかも日が低くなり、眩しさがきわだつ。人は冬になると気分的にはうつむき加減になるが、病を持つ身だからこそそんな冬も眩しさが身に染むように感じることもある。ひょっとしたら作者は入院中か、病床から外を眺めて季節の移り変わりを感じているのかもしれない。それだけではなくとも、私のように杖を突きながらゆっくり歩く身にとっても同様の感慨を持つ機会がある。病の身こそ、自然や時の移り具合に敏感になる。
 第2句、第3句、冬だからこそ、木々の間からの日のひかりにこだわった句を探してみた。そのひかりが冬をもたらす。そんな自然把握は俳句の醍醐味なのだろうと思う。

 5回目の新型コロナワクチン接種をしてきた。換気をよくするため病院の待合室は、微弱だが冷たい風が入ってきて寒かった。立冬であることを実感。これまでの副反応は私の場合は強い倦怠感・脱力感。体を動かしたり、何事かをしようとする気力が湧いてこなかった。そのこともあり明日の予定は何もなく、スケジュール帳は空白にしておいた。


本日から「北斎漫画入門」

2022年11月07日 14時23分38秒 | 読書

 本日から読む予定の本は、「北斎漫画入門」(浦上 満、文春文庫)。久しぶりに北斎の作品と生涯に触れることになる。
 この本については、衝動買いに近い。中身を読んだり、あるいは書評があったわけではないので、今のところは、読んでみないことには何ともいえない。

 

 


読了「名画の生まれるとき」

2022年11月07日 12時43分28秒 | 読書

   

 時間がかかってしまったがようやく「名画の生まれるとき 美術の力Ⅱ」(宮下規久朗、光文社新書)を読み終えた。予定よりもずいぶん時間がかかってしまった。
  今回は次の一ヵ所のみを記してみる。
(『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル)には)一日の過酷な強制労働を終えて帰路につくとき、赤々とした夕焼け空にみな言葉を失って呆然と眺めるという場面が印象的であった。人間は、死と隣り合わせの極限状況においてさえも、夕日に感動できるということに著者は驚いている。夕日の美は、ひれほどまでに人を打つものだが、美術に登場するのは以外に遅い。‥新潟の農村でひっそりと制作しつづけた佐藤哲三の《みぞれ》は、蒲原平野の寒々とした湿地帯に厚くたれこめる雲や水田に夕日が反射する風景を、荒々しい筆触で描いた傑作だ。死の直前に病魔と闘いながら描いたものだというが、作者の心象風景であるとともに、北陸の寒冷な空気と微弱な光を見事に表現している。フランクルの一節を思い起こさせるが、重苦しく困難な状況でも、夕日の紅色はわずかな慰めを感じさせる



 掲出した《みぞれ》は、2005年に鎌倉の神奈川県立近代美術館で開催された佐藤哲三展の図録を利用した。私が佐藤哲三の作品の全容を知ったのがこの時であるが、既に「絵の中の散歩」「気まぐれ美術館」「さらば気まぐれ美術館」で洲之内徹の眼と体験を通してこの画家に親しんでいた。
 実はもっと以前に作品を眼にした記憶があるのだが、それは既視感であって、そんな体験はないのかもしれない。はっきりしない。あるいは、図録の最後の年譜を見ると1987年に日曜美術館で佐藤哲三が紹介されているので、その時に作品を知ったのかもしれない。
 敗戦直後から新潟で教員組合を立ち上げるなどの活動を経て44歳の若さで亡くなる。《みぞれ》は最晩年の作品であるが、私にはそんな若い時の作品とは今でも思えない。老境の画家の作品のように思ってしまう。あの寒々しい夕日の茜色とうつ向きながら歩く人々にはどんな思いが込められているのか、この作品を見るといつも対話をして時間が経ってしまう。