Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

先ほどの地震

2022年11月14日 20時59分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ウェザーニュース社は17時過ぎの地震について「南海トラフ地震とは別要因」として、17時30分に次のように配信している。

11月14日(月)17時09分頃、三重県南東沖で深発地震がありました。震源の深さは約350km、地震の規模はM6.1と推定されます。この地震では、震央に近い東海地方ではあまり揺れず、少し離れた関東や東北南部で震度4~3の揺れが観測されました。
関東や東北の太平洋側に揺れが伝わる「異常震域」と呼ばれる震度分布ですが、たびたび起こることであり、地震活動そのものは異常ではありません。
★深発地震による異常震域とは
今回の地震は非常に深い所で発生する「深発地震」と呼ばれるものです。
多くの地震では震央から同心円状に揺れの強い地域が分布しますが、深発地震では沈み込んだプレートに沿って強い揺れが伝わり、プレート境界に近い遠方で揺れが大きくなる現象がみられることがあり、これを「異常震域」といいます。震央の近傍では揺れが小さくても、遠方に強い揺れが伝わることがあるため注意が必要です。
今回の地震では地震波が伝わりやすい太平洋プレートに沿って、北日本や東日本の太平洋沿岸に揺れが伝播したものと考えられます。
深発地震では津波の可能性は小さく、一般的に震源が100kmより深い地震ではほぼ津波の心配はないと考えられます。
オホーツク海や日本海、三重県南東沖から東海道南方沖、鳥島近海などでは同様の深発地震が発生することがしばしばあり、数年に一度M6以上の規模の地震も発生します。一方、一度の地震での余震がほとんどないことも特徴です。
1984年1月1日には三重県南東沖でM7.0の地震が発生し、東京都千代田区や横浜市で震度4を観測しました。こうした地震は津波の発生こそないものの、大きな揺れを伴うことがあるため、注意が必要です。

 少し大きな揺れがあると、決まって南海トラフ地震と結びつけて論評する人も多いようで、それを否定するためにも、このような早めの見解表明が求められているのだろうと思われる。

 確かなことと、不確かなことを混同して不安を煽る言説には振り回されないようにしたいものである。


横浜市内は最大震度3

2022年11月14日 18時09分48秒 | 天気と自然災害

 17時9分頃の地震は、私の住んでいるところで震度3の表示。ゆっくりとした揺れで、遠距離か、超深度か、体感からは判断できなかった。
 テレビの字幕は早く出て、深さが350キロと出たが、三重県南東沖という。東海から西では揺れていない。マグニチュード6.1と大きかった。津波の心配はないとのこと。

 気象庁の発表は次の通り。

14日17時09分ころ、地震がありました。
震源地は、三重県南東沖(北緯33.8度、東経137.5度)で、震源の深さは約350km、地震の規模(マグニチュード)は6.1と推定。
この地震による津波の心配はありません。
[震度4が観測された市町村]福島県:双葉町 浪江町、茨城県:つくばみらい市

 縦揺れは感じることはなかった。ゆっくりとした横揺れで、船に乗っているような揺れであった。震度3くらいとは思ったが、高層ビルではもっと大きな揺れと感じたのではないだろうか。

 

 


「キリスト教美術史」 Ⅱ

2022年11月14日 13時06分14秒 | 読書

   

 「キリスト教美術史」の第4章「ビザンティン美術」まで目を通し終わった。

萌芽期のキリスト教美術は、主に葬礼に関わるもので、個人の寄進によって制作されました。・・・。キリスト教は正統な信仰に基づく唯一の教会としての基盤を固めていきました。5世紀から6世紀にかけて、キリスト教美術は帝国の後ろ盾を得て、ローマ帝国全体へ行きわたり‥。」(第2章「帝国の後ろ盾とキリスト教美術」)

(ビザンティン美術は)西ヨーロッパの美術に比べて遥かに単調に見えることは確かです。時代としては西ヨーロッパのカロリング朝とオットー朝の美術、ロマネスク美術、ゴシック美術、ルネサンス美術と重なっており、西ヨーロッパの美術に大きな影響を与えました。ところが、その逆の現象はほとんど見当たりません。ビザンティン美術は、器用会の規範のもとで教義と信仰を表明するという、ただその一点にとどまるものであり、人々の日常から隔絶した神の視点を保ち続けたという点で、西ヨーロッパの美術とはお菊異なっています。・・・ビザンティン美術は・・・画家個人が解釈を加える余地はありません。‥打ち立てられた教義、説教、典礼の文言を図像によって表すこと、それがビザンティン美術の課せられた役割であり、目の前に見えている現実や、手で触れることができる自分を出来る限り忠実に再現するのとはまったく異なるやり方で、人間を超えた神聖な存在を表現しつづけました。」(第4章「ビザンティン美術」)

遠近法のようにすっきりと合理的な描き方にはなりません。いくつもの視点を同時に保持して、各々の視点から見た時の人物や家具、建造物を、ひとつの画面に集約して表します。‥あらゆる視点から見た時の見え方を、総合して同時に表していることになります。あらゆる視点から網羅的にすべてを見通すというのは、神の目に他なりません。‥屋内でのできごとを表すのに部屋の内装ではなく建造物の外観をえがくというものがあります。‥壁によって遮られて見えないはずの内部をすべて見通すというのもまた、神の視点である‥。ひとつの画面の中に複数の異なる時間が同時に表されます。‥光源もひとつには限定されません。一定の光源から生じ、一定の方向に伸びる影がありません。‥光の源は神ただひとりです。神が光源であるなら、そこに地上と同じ現象としての影は生じません。」(第4章「ビザンティン美術」)

ビザンティン美術にとって最も重要な決まりごととは、不変であること、改変を加えないことです。キリストの使徒たちと、教会の教父以来の伝統を生きる教会。ビザンティン帝国の正教会は、そう自らを位置づけてきました。‥古代教会の教えに何も付け加えず、何も取り去ることなく受け継いできた、その不変の伝統をそそままに伝えていくことが、自分たちの務めであるという考え方です。」(第4章「ビザンティン美術」)

仮に画家自身が想像力を駆使し、独創性を発揮して神の姿を描くとしたら、神の姿が何通りもできてしまいます。画家は既存の図像を手本として、忠実に模倣することで神の姿を描き出しました。‥神を表す図像が、画家によって、あるいは時代によって変化していくようでは、その永遠性を伝えることは出来ないからです。」(第4章「ビザンティン美術」)