Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は早出

2022年11月28日 21時32分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は底冷えのする一日であった。薄手のセーターの上に、木綿の上着を来て出かけたが、薄手のダウンのコートにするべきであった。木綿では風を通すので寒かった。

 明日は退職者会のイベントの一つとして北鎌倉での散策。午前中で終わるとのことで、歩く歩数は5000歩程度らしい。ここ3日ほど杖を突かずに外歩きをしている。しかし明日は用心のために杖と折りたたみの傘をリュックに入れて参加することにした。

 ただし、明日は午後には雨が降るとの予報である。また気温が20℃を超えるという予報もあり、着ていくものに迷っている。午前中に実施かどうかの連絡があるとは思うが、8時過ぎには家を出るので、現地の集合場所で判断を聞くことになりそう。中止となってもたぶん飲み屋に直行パターンと思われる。昼間から呑める店があればの話だが。

 


せっかく親切にしてくれたのだが‥‥

2022年11月28日 18時52分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 15時を過ぎてしまったが、いつものように横浜駅までバスで出てみた。毎日のルーティンのように有隣堂で本の立ち読みと棚を見ながら新刊情報などをそれとなく探り、家電量販店でカメラやプリンター、インクなどの値段や新製品の様子を見て回ったのち、喫茶店で1時間ほどのコーヒータイム。
 読書は30分程度。「菊帝悲歌」の第3章を半分ほど。ピカソの作品のように多視点で文章の主語や場面が変わることで文章に緊張感があり、密度の濃い文章と思う。悪く言えば頭は時々混乱する。画一的な義務教育の作文ではきっと文章の悪い例として書き直しを命じられるのかもしれない。
 さて帰り際、信号のない横断歩道の5mほど手前で、早々と乗用車が私の横断を待っていてくれた。反対車線には路線バスが乗客を載せてやはり一時停止をしてくれた。思わず頭を下げて交差点まで早足で歩いてしまった。横断歩道の中ほどで右膝にピリッと痛みを感じ、足を引きずりやっと横断歩道を渡り終えた。
 止まってくれたことに感謝しながら、申し訳なくて早足になってしまった。妻に報告すると、「杖は突いていなくても、身なりで十分70歳以上に見られているのだから、どうどうとゆっくり歩けばいいの」といわれてしまった。
 せっかくの親切を素直に享受しないと、かえって無理をして体を悪くしてはいけない。しかし分かってはいるものの、わざわざ止まってくれたのに、のうのうと歩いていては申し訳ないという気持ちになるのを振り払うわけにもいかない。
 なかなか難しいものである。杖を突いているほうが、この場合は足を痛めなかったかもしれない。さいわい膝の痛みはいつもの系統のバスに乗っている間に元に戻ったようだ。


「ピカソとその時代」展 その1

2022年11月28日 14時05分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 キュビズムの時代、パブロ・ピカソと私の好きなジョルジュ・ブラックとは、1908年以降親密な交友関係にあり、お互いのアトリエを行き来していた。展覧会では親切なことにこの時期の二人の作品を並べている。取り上げたブラックの作品は日本の美術館所蔵のものである。

                

 ここではこの時期のブラックの《女のトルソ》(1910-11)と、《パイプのある風景》(1914)、及びピカソの《帽子の男/ジョルジュ・ブラックの肖像(通称)》(1909-10)、《ポスターのある風景》(1912)を並べてみた。
 いづれも人物や対象が直線によってカットグラスのように区切られていると同時に、周囲との境界が曖昧にもなっている。対象の質感・量感が希薄でもある。色彩もまた同系統のグラデーションに解体している。
 しかしピカソは、おそらくこの志向に満足できず、対象の量感・質感にこだわる方向へ、そして曲線と色彩の復権をめざしたのではないだろうか。ピカソからするとブラックの志向とずれが生じたと思われる。



 私はピカソの《マ・ジョリ》(1914)を今回初めて見ることで、ピカソは描く対象物の量感・質感をキュビズムの新たな方法として曲線と色彩の復権で果たそうとしたのではないか、と推察してみた。
 ピカソには多くの女性が関わっているが、こちらの作品も当時の恋人のあだ名を作品名にしていると解説されている。
 ブラックが第一次世界大戦に従軍・負傷して後にピカソとの交流は絶たれてしまうが、その原因について今回私なりに納得したように作品を具体的に並べて感じることが出来たと思う。ブラックの作品がこれ以降どういう展開を見せるか、この視点で作品を追って考えてみたいと思う。