Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日の予定

2023年05月10日 22時25分29秒 | 読書

 昨晩の書き写しは「方丈記」の第五段の初め。鴨長明の後半生を記載している。よく読むと隠者風という風には読み込めず、ずいぶんと人間社会に興味津々、社会に認められたいという欲求が強いことがわかる。
 社会に対する異様ともいえる関心、野次馬的な目があったからゆえに、方丈記が成り立っていることをあらためて認識。

 一水会展、菊池洋二展は明日に行く予定だったので、明日は予定が無くなってしまった。少しゆっくりと読書でもしたい。まずは「図書5月号」と「時を越える美術」を読み終えてしまいたい。


もう言ってしまおう

2023年05月10日 21時21分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほどは中学・高校のころの美術の先生のことを少し振返ってみた。私はどうも学校に馴染めない性格のようで、小学校4年生以降、いつも力あるものに諂う教師の存在と、彼らへの違和感が次第に増幅していった。

 中学・高校と一貫のミッションスクールだったが、中学一年から、国語・数学・理科各科・美術の授業には割と馴染めた。音楽は歌わされること以外はおもしろかった。英語は馴染める教師と馴染めない教師が両極端で自分でも嫌になり、途中で放り出してしまった。今でも語学への苦手意識は強烈である。

 教科の好き嫌いと教師との肌合いはとても大事であるが、相関関係からずれている場合も多々あった。英語しかり、日本史・地理、地学など。日本史・地学はおもしろいと思ったが、教師とは馴染めなかった。
 地理の教師は中学一年末に提出をさせられた課題を高校三年になるまで、その教師の机の下にほこりにまみれたまま放置された。6年間続けて「いつ返却してもらえるのか」と聞くたびに嫌な顔をされ「そのうち」と不愛想に返答された。卒業後に教員室にいったらその提出書類の山は消えてなくなっていた。生徒にさんざん苦労させて作らせた課題をゴミのように扱う教師に心底腹が立った。
 世界史は楽しく学ばせてもらったが、日本史はあまりに重箱の隅をつつくような授業で、性に合わなかった。体育は中学1年のしょっぱなからダメという烙印を勝手に押されたことが6年間尾をひいた。

 一番おもしろいと思ったのが、現代国語である。教師はかなり個性の強い教師が多く、お互いにあまり仲が良くなかった。しかし私はどの国語の教師にも好感をもった。一人の教師は読み込みの感性が鋭かった。もう一人は自分の考えを押し付けることなく、生徒同士の意見をとことん議論させて、生徒に気づきをさせることに力点をおいていた。
 「議論」と自己主張に自信を持つこと、自分の意見が修正が必要な場合はそれを取り繕うことなく表明することの大切さを教えてくれた。古文の老教師も印象深かった。新古今和歌集の魅力を教えてもらったことが今でもありがたいと思っている。

 体育教師4人からは、押さえつけることの無意味さ、軍隊の教練のように管理する側の身勝手さを反面教師として、嫌というほど味わった。朝ギリギリで登校する生徒の前で鉄の門扉を締め始め、足を取られて転びそうになる私などを、門扉を押しながら笑って見ている体育の教師の顔はおぞましかった。そのような体育の教師におべっかをいう他の教科の教師のあまりの卑屈さに反吐が出そうであった。

 ブラザーの半分は、カナダで貧しい生活脱出のために修道院に入り、日本で一旗あげようという山師的なブラザーであった。教育の理想に燃えたブラザーでも、鼻持ちならぬ「遅れた日本人」という色眼鏡で我々を見ている者もそれなりにいた。尊敬できるブラザーは中学生の私でもすぐに見分けがついた。
 カナダ人の校長は私の嫌いな教師を擁護すること、かなり露骨であった。そのカナダ人校長を日本から追い出したことで、労使紛争は好転した。

 残念だったのは、物理の先生が私の卒業後、ほどなくして亡くなってしまったこと。まだまだ若い先生であった。大学合格直後と一年後にご自宅におもむき、保健室の先生であった若い看護師のお連れ合いも交えてビールを飲んだのが忘れられない。数学の先生には担任としても、進路相談でもずいぶん世話になったが、労使紛争の勃発直前に亡くなったと聞いた。私の支援活動で恩返しがしたかったと思ったものである。議論をさせてくれた国語の先生は労組の委員長をされていたが、紛争が勝利した直後に亡くなられた。

 そんな学校もずいぶん変わったと聞く。あんな管理教育のお化けのような教育体制ではないようだ。もう59年から54年前の話である。


もう言ってしまおう

2023年05月10日 21時21分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほどは中学・高校のころの美術の先生のことを少し振返ってみた。私はどうも学校に馴染めない性格のようで、小学校4年生以降、いつも力あるものに諂う教師の存在と、彼らへの違和感が次第に増幅していった。

 中学・高校と一貫のミッションスクールだったが、中学一年から、国語・数学・理科各科・美術の授業には割と馴染めた。音楽は歌わされること以外はおもしろかった。英語は馴染める教師と馴染めない教師が両極端で自分でも嫌になり、途中で放り出してしまった。今でも語学への苦手意識は強烈である。

 教科の好き嫌いと教師との肌合いはとても大事であるが、相関関係からずれている場合も多々あった。英語しかり、日本史・地理、地学など。日本史・地学はおもしろいと思ったが、教師とは馴染めなかった。
 地理の教師は中学一年末に提出をさせられた課題を高校三年になるまで、その教師の机の下にほこりにまみれたまま放置された。6年間続けて「いつ返却してもらえるのか」と聞くたびに嫌な顔をされ「そのうち」と不愛想に返答された。卒業後に教員室にいったらその提出書類の山は消えてなくなっていた。生徒にさんざん苦労させて作らせた課題をゴミのように扱う教師に心底腹が立った。
 世界史は楽しく学ばせてもらったが、日本史はあまりに重箱の隅をつつくような授業で、性に合わなかった。体育は中学1年のしょっぱなからダメという烙印を勝手に押されたことが6年間尾をひいた。

 一番おもしろいと思ったのが、現代国語である。教師はかなり個性の強い教師が多く、お互いにあまり仲が良くなかった。しかし私はどの国語の教師にも好感をもった。一人の教師は読み込みの感性が鋭かった。もう一人は自分の考えを押し付けることなく、生徒同士の意見をとことん議論させて、生徒に気づきをさせることに力点をおいていた。
 「議論」と自己主張に自信を持つこと、自分の意見が修正が必要な場合はそれを取り繕うことなく表明することの大切さを教えてくれた。古文の老教師も印象深かった。新古今和歌集の魅力を教えてもらったことが今でもありがたいと思っている。

 体育教師4人からは、押さえつけることの無意味さ、軍隊の教練のように管理する側の身勝手さを反面教師として、嫌というほど味わった。朝ギリギリで登校する生徒の前で鉄の門扉を締め始め、足を取られて転びそうになる私などを、門扉を押しながら笑って見ている体育の教師の顔はおぞましかった。そのような体育の教師におべっかをいう他の教科の教師のあまりの卑屈さに反吐が出そうであった。

 ブラザーの半分は、カナダで貧しい生活脱出のために修道院に入り、日本で一旗あげようという山師的なブラザーであった。教育の理想に燃えたブラザーでも、鼻持ちならぬ「遅れた日本人」という色眼鏡で我々を見ている者もそれなりにいた。尊敬できるブラザーは中学生の私でもすぐに見分けがついた。
 カナダ人の校長は私の嫌いな教師を擁護すること、かなり露骨であった。そのカナダ人校長を日本から追い出したことで、労使紛争は好転した。

 残念だったのは、物理の先生が私の卒業後、ほどなくして亡くなってしまったこと。まだまだ若い先生であった。大学合格直後と一年後にご自宅におもむき、保健室の先生であった若い看護師のお連れ合いも交えてビールを飲んだのが忘れられない。数学の先生には担任としても、進路相談でもずいぶん世話になったが、労使紛争の勃発直前に亡くなったと聞いた。私の支援活動で恩返しがしたかったと思ったものである。議論をさせてくれた国語の先生は労組の委員長をされていたが、紛争が勝利した直後に亡くなられた。

 そんな学校もずいぶん変わったと聞く。あんな管理教育のお化けのような教育体制ではないようだ。もう59年から54年前の話である。


「神奈川一水会作家展」&「菊池洋二油彩画展」

2023年05月10日 18時35分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 好天の中、午後になってから神奈川県民ホールで開催している「第44回 神奈川一水会作家展・一水会公募作品展」を見てきた。
 同時に一水会展にも作品を展示している「菊池洋二 油彩画展」を見てきた。会場は県民ホール向かい側の画廊。
 菊池洋二氏は、私の中学・高校の時の美術の先生。私は絵を描くことはまったく不得手で不肖の生徒であったが、美術作品の見方や美術史の講義は熱心に聴いた。とても勉強になった。有難い恩師である。
 高校卒業後、学校に足を向けることは無かったが、教師の組合と理事会の間で労働争議が起きたとき、先輩と同窓生に声をかけられて支援に入った時、組合の書記長をされていてびっくりした。それ以来ずっとお付き合いを再開した。もう退職されているが、古典の開催や一水会の展覧会は見に行って、声をかけてもらっている。
 私たちが中学1年だったか、2年だったかの時に学校を出たばかりで、私たちを教えてくれた。先生はいくつになっても先生であるが、どことなく「兄貴」的な感じが今でもする。風貌だけでなく、画風も若々しいのがうらやましい。菊池先生は何しろ行動的である。写生に国内だけでなくスペインやポルトガルにも足を延ばし、長期滞在をしながら現地で最後まで仕上げることを徹底されている。
 私は先生の構図と明るい色彩の配合、とりわけ空の描き方が気に入っている。本日も丁寧に作品の解説や、写生場所の説明をしてもらった。数点欲しい作品もあるが、いかんせん飾る場所がない。それ以前に値に追いつかない。