昼前に所用があり、都内まで短時間の往復。昼は都内のタリーズでパスタとコーヒーのセットを頼んだのだが、1000円を超えていたのにはびっくり。残念ながら味も私の口にはあまり合わなかった。これならば近くの美味しい蕎麦屋さんで食べたほうがずっと良かった。
早々に用事を済ませて、横浜に戻り、横浜駅近くのいつもの喫茶店で読書タイム。
昨年末から読み始めている「世紀末芸術」(高階秀爾、ちくま学芸文庫)を久しぶりに目を通した。全5章のうち序章を読み終わり、第2章に入ったところで目が疲れて終了。
世紀末芸術について、1894年にベルギーで開催された「自由美学」という展覧会を「世紀末芸術」の出発点としている。
いつものとおり、気になって付箋をつけたところを書き出しておく。
「1894年の「自由美学」の展覧会が持っている深い意味とし、何よりもそれが従来の枠にはまった芸術観というものを、すっかり無効にしてしまう点にあった。‥19世紀の中頃まではきわめて当然のことのように考えられていた芸術の「区分け」が取り払われ、広い視野のもとに眺められるようになった。19世紀の末にいたって芸術世界がいっきょに拡大された‥。‥ひとつはさまざまの芸術のジャンルの間を隔てていた境界を取り除き、諸芸術の交流を可能ならしめたことであり、もうひとつは、文字通り地理的世界が拡大された‥。」(序章「世紀末芸術とは何か」の「1 転換期の芸術」より)
「19世紀における芸術の分業化は、20世紀における芸術の綜合へと大きく転換した。‥「自由美学」はその雄弁な例証のひとつにほかならなかった‥。」(序章「世紀末芸術とは何か」の「1 転換期の芸術」より)
「かつての「理想美」がそうであったように、一定の規範に基づいた永遠不動の原理であるよりは、むしろ官能の陶酔をもたらす感覚的な刺戟にほかならなかった。この時代の「美」がしばしば死の影を宿し、罪の匂いをただよわせているのも、おそらくはそのためであろう。死が生を餌食としているように、生もまた死によって養われているからである。‥彼らは美の創造者であるよりは美の使徒であり、美の殉教者だったのである。」(序章「世紀末芸術とは何か」の「3 退廃と新生」より)
「イタリヤに始まった500年前のルネッサンスは、写実主義の野望から出発して、その完成によってその後400年間の美術の発展をはっきりと方向づけた。それに対し、19世紀末の第二のルネッサンスは、写実主義の破産から出発して、その徹底的否定によって20世紀芸術への道を開いた。‥第一のルネッサンスを否定し得たがゆえに、世紀末は第二のルネッサンスになり得たのである。」(序章「世紀末芸術とは何か」の「3 退廃と新生」より)