「おくのほそ道」の第44段「福井 等栽」の書き写しを行った。実はこの段、私はあまり記憶になかった。ただ、「いかに老さらぼひてあるにや、はた死にけるにやと人に尋侍れば、いまだ存命し‥‥」という文章がほのかに記憶にあり、この文章と、生きている等栽の家で「妻」と会うという落差に違和感を持った記憶がある。「隠士」があまりに俗すぎる、と感じたのは、十代のころであった。
書き写しをしながら、おぼろな記憶がよみがえってきたのがうれしかった。同時にこの段の印象として、あらたに晩年の久隅守景の描いた「納涼図屏風」(国宝)を思い浮かべた。「あやしの小家に、夕顔・へちまのはへかかりて」とあることの連想でもある。ただし久隅守景の描いた情景は小さな子どももいる一家の風景である。「等栽」と二重写しにはならないが、ちょっと世捨て人のようで訳ありの一家に見えるところが似ていなくもない。月に照らされてはいるが、男も女も伏し目がちで月を見ておらず、物思いにふけっているようだ。なお、久隅守景は江戸前期の狩野派の出の画家で、晩年は加賀藩領域で作品を描いたといわれる。芭蕉の「おくのほそ道」の時代と重なるのであろうか。不明である。
この歳になって「世捨て人」「隠士」のイメージが十代のころと歳相応に変わったというか、ある程度成長したのかもしれない。
しかし芭蕉の文章の落差については、未だよく理解できない。
「おくのほそ道」も残るは3つの段を残すだけとなった。