昨日深夜に、「ベテルギウスはまだ爆発しない -減光の原因を探り恒星の質量、サイズ、距離を改訂」という記事をアップした。
実は、久しぶりに22時過ぎに20分ほど夜のウォーキングに出かけて、シリウスがあまりに明るく輝いているのに初めに気が付いて歩くのをやめて空を眺めた。そしてシリウス・プロキオン・リゲル・ベテルギウスのちょっといびつな平行四辺形と、アルデバランと火星の6つの星の輝きが眺めていた。そんなことがあり、帰宅後すぐにツイッターを見たら、あの記事が目に入った。
減光しているときからベテルギウスのないオリオン座、想像し難いと思った。そして異常に暗いベテルギウスに強い違和感を持った。オリオン座だけではない、ベテルギウスが無くなると、冬の星空の魅力そのものが半減すると感じた。
同時にあの記事を読んで、恒星の表面が観測できるという、50年前には信じられないことが実現できているということにも驚いた。
かに座に出現した超新星爆発を見て、定家が明月記に記したことは有名である。生きているうちに超新星爆発を見ることができたというのはうらやましい。だがあえて言えば、定家は明るい星のないところに出現した超新星を見たのである。
ベテルギウスが超新星爆発をすると、これまであった星が満月以上に異様に輝く不思議を見ると同時に、もとは一等星として明るく輝いていた星が数年後、十数年後には見えなくなってしまうということである。喪失感というものも同時に味わうことになる。これはもっと印象深いものになるのではないか。
ただし、ベテルギウスの爆発が地球に何らかの影響を与えなかったという前提である。もしも何らかの影響があってもそれは超新星爆発と因果関係があるとすぐに断定できるのだろうか。いろいろと想像すると限りない。
★オリオンの星座正しく花杏 山口青邨
★凍雲をオリオンのまた一つ出し 篠原 梵
★オリオンの四ッ星冴えて三ツ星も 京極杞陽
★冬銀河男女黙せるまま老いぬ 橋本真理
超新星爆発とは、関係はないけれどもひとこと言いたくなるのが、年寄りの性情。貴族社会が没落していく渦中にいた定家をして「紅旗征戎吾がことにあらず」と言わしめた動乱の時代に思いも馳せたくなる。今の時代が動乱の時代なのか、という疑問もあるが、動乱の時代かどうか、ではなく動乱の時代として考察することもまた、大切なことのように思う。自分の生きている時代をどのような視点で見つめるか、その人の生き方が問われる。