スカイツリーに行く電車の中で、「万葉の時代と風土 万葉読本Ⅰ」(中西進)の「呪と美と--「袖振る」をめぐって」を読み終わった。
巻1の20、大海人と額田との贈答歌として有名な「茜さす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る」の「袖振る」についての論考である。
私も常にこの歌を見るたびに、野守=天智という解釈で、時の権力者の前での露骨ではばかることのない慕情表現という解釈に首を傾げてきた。納得のいく解釈に巡り合えたことがない。
この書では、この歌は春の祝祭における大勢の参加するイベントではなく、野守の不在時の贈答と見立てている。「野守は見ずや」は「天智の耳に入ってしまうのではないか」という恐れと解している。その上で最後の「六 結」で以下のようにまとめている。
「第一に「袖振る」という行為は‥呪的招魂の行為であり、広く東洋の東全体に存した古代的習俗である‥。この神にかけての行為のゆえに大海人の行動は額田を不安と興奮とに陥れたのであった。」
「第二にかかる「袖振る」歌は庶民歌に圧倒的である。‥民衆詩は、呪などというおよそ詩以前のものを基調として成立して来るものである‥(山上憶良や髙橋虫麻呂、大伴家持)らの詩の造型は、民衆詩の造型論理とあい矛盾することなく、積極的に文芸的制作の中にそれを組み入れることによってすら、なされていた。万葉集における民衆詩の生活性とそれを汲み上げる貴族詩の造型の論理を、私は強く言いたかった」
「第三に、(万葉集は)生活的呪と文芸的美とを平然と同一のことばによって表現したことになる。この無節操さ、この詩的自覚の脆弱さは、しかし一方になんと野放図な何とふてぶてしくも逞しいことではないか。‥「袖振る」を民俗学的に解するか文芸学的に解するかといった立場に置き換えてしまうことは、およそ無意味なことであって、この総体としての万葉の資質をとらえることのひとつの手がかりが「袖振る」なのだということを、私はもっとも主張したかった」
難解だけでなく、結論がよく見えないのであるが、私としてはもう少し読み進める中で、理解を深めてみたいと思っている。先を読めばわかる、ともいえないしもう一度この節を読み返すことでわかる、とも断言できない。もう少し時間をかけて見たいものである。