大江健三郎が亡くなったとのニュースを昨晩聞いた。88歳と聞いた。死因が老衰とも聞いた。まだまだいろいろと発信をしてもらいたい人であった。
中学3年の1966年頃に新潮文庫で『死者の奢り・飼育』を読んで始めて大江作品に接したが、特に感想は抱かなかったと思う。1971年頃に岩波新書の「沖縄ノート」、そして1972年に同じく「ヒロシマ・ノート」を読んだ。これはじっくりと読んだ。
どちらかというと「ヒロシマ・ノート」よりも「沖縄ノート」のほうが衝撃が大きかった。沖縄の問題に真剣に目を向けるようになった。1980から86年頃にかけてようやく初期からの作品をまとめて読んだ。「遅れてきた青年」、「個人的な体験」、「万延元年のフットボール」、「洪水はわが魂に及び」、「ピンチランナー調書」「同時代ゲーム」は記憶に残っているが、その後「M/Tと森のフシギの物語」を途中で投げ出してから、読むのをやめてしまった。内容に着いて行けないもどかしさと、能力の限界を感じて、つらかった思いがあった。
さらに天皇制を無化するに、周縁の、特に四国というごく狭小な地域の共同体を対置する方法論について行けなかった自分が今では恥ずかしい。
また氏の独特の文体が、英語の時間にならう直訳の日本語のように鼻についてしまって先に進めなくなったことも大きな要因である。今でもあの文体に対する違和感が強い。それが理由で読まなくなってしまったのはとてももったいないことだとわかっているのだが・・・。
それ以降は、政治的な場や、その他の集会での発言などに注目することばかりが多くなってしまったのは、自分ながらもったいないと思って来た。しかし肝心の文学を読み続けようという気力が湧かなかったのは返す返すも残念である。
2011年の東日本大震災での原発事故以降の活発な発言には特に注目してきた。
20代初めから今まで、私に大きなインパクトを与え続けてくれた方であった。