Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「日本の裸体芸術」

2024年06月07日 20時02分38秒 | 読書

    

 「日本の裸体芸術 刺青からヌードへ」(宮下規久朗、ちくま学芸文庫)を読み終わった。

文明国からの賓客が刺青を入れたがるのは、外国人の目を気にして刺青を禁じた明治政府にとっては皮肉な現象であった。浮世絵の芸術性への評価も、欧米の評価が逆輸入されてから始まったことと似ている。第二次世界大戦後、軽犯罪法から刺青禁止令が除外されたのは、GHQの高官が強く主張したから・・。刺青は欧米清の視線を気にして禁止され、欧米人の指示によって解禁された。近代の刺青の運命は日本の対外事情によって翻弄された。」(第5章 第2節)

刺青という芸術は生きた人体のはりのある肌と赤い鮮血を通してのみ存在する。年をとるにつれて退色するし、太ったり痩せたりすると図像が変化する。禁じられたり、生身の人間に描かれた刺青の美しさが失われたとき、刺青という芸術も廃れる運命になった。」(第5章 第2節)

もともと日本には、人格や精神と切り離した身体という発想がなく、それをいっしょにした「身」という概念しかなかった。西洋のように肉体を自家や精神と切り離した物質のようにみなす思想がなく、肉体と精神が不可分の関係にあったから・・。刺青こそ、日本の身体観に即した芸術、「身」そのものを芸術に昇華させた・・。西洋のヌード芸術が、人間性を除去した肉体美を称揚したものであったのに対し、肉体美にさしても貴を置かない日本人はそれになじめず・・、本来は切り離せない精神と身体とを無理に分離してしまう心身二元論に基づく肉体という思想ではなかったろうか。」(第5章 第3節)

刺青を入れた裸体は、単なる裸体ではなく、衣を着た状態に近い。衣服も刺青もアクセサリーもおなじような装身の術であり、衣の代表である。刺青が顔や手ではなく、衣に隠れる部分に施されること、刺青の色が着物と同じく濃い藍色をしていること、人前で裸になって労働する人々がもっぱら刺青をしている。政治政府が裸体を信じて無理に衣を着用させたことから、刺青は衣の代用という元の意味を失ってしまった・・。刺青を入れた裸体は、単なる裸体ではなく、凝視に耐えうる強度を獲得している。刺青と衣服が近い関係にある・・。」(第5章 第3節)

わが国はヌードを芸術として消化吸収したというより、芸術という制度を移入する過程でヌードをはびこらせてしまったに過ぎない。・・・芸術として制作しても展示が許されなかった戦前の画家たちは・・一部の例外をのぞいて芸術として自己主張できるようなヌード芸術を確立できなかった。・・戦後の美術家たちは、ヌードというジャンルを所与のものとして、日本の文脈や風土に憂慮するといった葛藤や困難もなく制作しつづけた。その結果、戦後の公募展の会場や公共空間には、創意工夫の見られぬヌードの油彩画や彫刻が氾濫することになった。」(終章)


 「刺青を入れた裸体は、単なる裸体ではなく、衣を着た状態に近い」というのはとても魅力的な指摘、卓見であると感じている。
 また街にあふれる女性の裸体彫刻に私はあまり意味を感じないので、その原因についての指摘は頷ける。
 しかし「戦後の美術家たちは、ヌードというジャンルを所与のものとして、日本の文脈や風土に憂慮するといった葛藤や困難もなく制作しつづけた。」という指摘には留保したい。「葛藤」のなかった「芸術家」の作品が街にあふれたのであり、そうではない「芸術家」の存在、「芸術」という制度に繰り込まれなかった自覚的な「芸術家」の存在も俎上に載せる必要も感じる。次の論稿に期待したい。



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