本日から読み始めたのは「漢字の成り立ち 「説文解字」から最先端の研究まで」(落合淳思、筑摩選書)。
私は白川静の出版物はかなりお世話になった。ほとんどの一般向け著作は読み込むというよりも読み飛ばしてきた。甲骨文字の字形的な解釈に基づく漢字の独創的な解釈と体系化、呪術的な観点からの文明論的な解釈、万葉論などの日本と中国の古代の文化史的な解釈はとても刺激的であった。
ただしいつも不満に思ったのは、考古学的な新しい知見、解釈の考古学的裏付けが希薄に思えた。むろん白川静の研究の時期は中国の文化大革命期でもあり、肝心の中国における研究や考古学的な進展が見られなかった時期に重なっていることは不幸であった。
例えば「章」の字について「入墨のための針である辛(針の形)に、墨だまりを加えたもの」(「」中国古代の文化」第1章)と記している。しかしこのような器具の考古学的裏付けは残念ながら見かけていない。
さらに文字が神聖王権の誕生とともに成立したということについては、なるほどと思う。しかも甲骨文字が成立した古代中国と、万葉の時代との比較文明論はとても刺激的である。しかしその比較をするには、さまざまな前提の検証がされないと一般化するのは難しいのではないか、という違和感はぬぐえなかった。戦争のあり方、祭祀の違い、タブーや穢れの観念の違いなどを無視してはいないか、などの疑問が常に湧いてきた。
白川文字学、漢字体系化からもうかなりの年月が立ち、考古学的な進展も見られるなか、白川静の批判的な継承を求めてこの書物を購入した。
しばし、古代漢字の世界に遊びながら、楽しみたいと思う。
本日は第1章と第2章は漢字の成り立ちの概要である。ここを読み終わった。第3章以降がが楽しみな書物である。
「1980年代以降に研究者が減少し、字源研究についてもほとんど行われなくなった。過去の研究者が権威化したことも研究を妨げる要因であった。‥残された研究者たちも彼らの学説に反駁しにくい状態になった。結果として「漢字の成り立ち」は30年以上も前の古い研究が中心であり、誤解や曲解が多い。」(はじめに)