「マネの絵画」(ミシェル・フーコー)を読んでいるのだが、第1部のフーコーの講演自体は短く、かつ読み易い。理解しやすいものであった。 この本の大半はシンポジウム「ミシェル・フーコー、ひとつのまなざし」というフーコーの死後のシンポジウムである。講演からどれだけ豊富なものを読み解くか、ということではそれなりの議論はあるのだろうが、まだそこまでは私は読み込んでいない。講演自体よりもシンポジウムの方が難解な気がしていいる。
さてフーコーの講演は次の問題意識から始まる。
「〈オブジェとしてのタブロー〉を発明したこと、表象されているもののうちにキャンヴァスの物質性を取り込んだこと。それが、私が思うにマネが絵画にもたらした大きな変化の核心であり、その意味において、マネは印象派を準備することができたものを超えて、クワトロチェント(1400年代、初期ルネサンスから盛期ルネサンス期)以来の西洋絵画において基礎をなしていたもののすべてをひっくり返した‥」
「マネがキャンヴァスという空間を扱うその仕方について。どのように表面、高さ、横幅といったキャンヴァスの物質的特性を用いたのか、‥それが、私の扱う絵の第一のクループ‥。」
「第二のグループにおいて、どのようにマネが照明の問題を扱ったかをお見せしたい‥。タブローの内部から照らし出すような〈表象された光〉ではなく、外部の現実の光をいかにタブローで用いたか‥。」
「第三にタブローに対する鑑賞者の位置をどのように用いたかという問題。‥すなわち〈フォリー・ベルジェールのバー〉です。」
以上の点について12の作品についてひとつひとつ述べている。
さらにマネの作品の構図の特性として、垂直の線、水平の線、そして「奥行きがもはや知覚の対象ではなく、人物の空間的配置や隔たりが、絵画の内部においてしか意味を持たず機能しない記号によってのみ表現されるわうな空間」と述べている。
私はこのフーコーの構図上の指摘はすでに多くの解説で一応は知っているつもりであったが、個々の作品で指摘され、納得できたことも多い。同時にわたしなりにまだ理解できないものもあり、興味深く読んだ。