「日本美術の歴史」(辻惟雄)の第5章の第三節「善を尽くし美を尽くし[院政美術]」を読み終わった。
ちょっと時間がかかりすぎた。
「院政時代の文化は古代の幕を引き中世の開始を告げる過渡期にふさわしい変化に富んだ様相を示している。第一に‥鴨長明の「方丈記」に要約されるような末世到来を嘆く隠遁思想の流行する時代であった。第二に大江匡房が「永長の大田楽」の仮装を見て「その装束、美を尽くし善を尽くし、彫(かざ)るがごとく磨くが五都市、金繍を以って衣となし、金銀をもって飾となす」と評したように、遊戯とかざりの時代であった。第三に、美の時代であり、“美形”を追求した時代であった。‥第四に、激動する過渡期の現実に揺れ動く不安の心は六道絵に代表されるような、美とうらはらの醜への関心=リアリズムを生んだ。」(①「末世の美意識」)
「美への傾倒の一方で、病や餓鬼、地獄のような醜とグロテスクの世界からも目をそむけることのなかった院政時代の文化と美術は、奥行きがあり、稀に見る多産で創造性に富んだものということができる。」(同)
「院政時代の美術は‥前期は藤原美術をより繊細化し耽美化したといえるような時期であり、「源氏物語絵巻」‥などがこの時期の産物である。後期になると、‥異なる荒削りな要素を持った「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵巻」などが現れ、運慶もこの中に入れて良いかもしれない。」(同)
ここで私が注目したのが、「③彫刻・工芸・建築」の項の「日本的焼物の登場」。
「高水準だった院政時代の工芸のなかで、焼物だけは技術的にも意匠としても、須恵器のままで低迷していたと以前は見なされていた。だが、最近では、愛知県の猿投窯(さなげよう)に始まる国産窯の新しい動向が注目されるようになっている。‥中国磁気の輸入が減ると釉をごく一部しか施さず、あるいは省略して、自然釉に任すという従来の製法に戻っている。高級志向を棄てて瓶、壺を主とする日常の雑器としての量産に活路を見出した‥。‥縄文土器のあと続く、外国当時の造形にしたがった都主導の焼物づくりに代わって、地方の窯が陶磁史の表舞台に登場してきた‥。遅ればせとはいえ、焼物における和様の意匠の誕生をも意味した。」
陶磁器の歴史は私は無知なのだが、縄文・弥生以降戦国末までこの列島の陶磁器について語られること、教えられることはなかった。中国陶磁器の輸入との関係からの視点も含めて、新たな視点を教えられたと思った。