日本の絵画作品には、江戸時代まで空の表現が無い、というのは私も気がついていた。どうしてだろうと思いつつ、深く考えることもなく過ごしてきた。
西の空は阿弥陀如来の世界として描かれたが、あくまでも阿弥陀来迎図が描かれるためのスペースであった。
チラシには次のような記載があった。「青空を描いた司馬江漢が、蘭学から地動説を学び、科学的な空間意識を持っていた・・・。浮世絵のなかの典型的な空の表現“一文字ぼかし”のように、その表現は形式的、概念的なもの・・・。」
このような把握での企画展、面白い視点でまとめたと感じた。明治以降、「雲や陽光を写しとろうとする」潮流が主流となるが、同時に表現主義、シュールレアリスムなどの影響で、画家の「心象をこの空間に託すように多様で個性的な「空」を描く画家たちが続く」と記載がある。
萬鉄五郎の〈雲のある自画像〉(1912、チラシ裏面参照)の背景に描かれた赤と緑の雲などは何を象徴しているのか、謎である。空や雲の表現が普遍化されないまま画家個人の心象だけに閉じ込められてしまったという側面もあると感じた。
そんななかで、私の好きな香月泰男のシベリアシリーズの一作〈青の太陽〉(1969)は極限状況下での「癒し」としての普遍性を感じる空である。香月泰男がこの作品に添えた言葉「匍匐訓練をさせられる演習の折、地球に穴をうがったという感じの蟻の巣穴を見ていた。自分の穴に出入りする蟻を羨み、蟻になって穴の底から青空だけを見ていたい。そんな思いで描いたものである。深い穴から見ると、真昼の青空にも星が見えるそうだ。」は30代の時から忘れられない言葉であり、そして青い色彩が目に焼き付いている。
一方で〈黒い太陽〉(1961)に添えられた言葉は「真夏の太陽は草原を約がごとく照りつける。夕方西南の地平を転ぶように沈む時、いつも大きく見えて美しかった。しかし敗色日に濃く、緊迫感を増すにつれ、太陽は自ら希望の象徴であることをやめたかのように、その赫光さえ失って中天に暗黒に見えもしよう。」としるし、作品は黄土色の土のような空を背景に暗黒の円で描かれている。この言葉と作品もまた忘れられない。
このシリーズには教育勅語を痛烈にやり玉に挙げた作品もあるが、すでに敗色が濃い満州の地で、これまでの価値や理念が強固なはずの「軍」という集団の中で、戦争スローガンへの失望、国家理念の崩壊・逆転、視点の転換の危機が訪れていたことを象徴させているという理解もできる。
またこの展覧会では「空」を窓として「宇宙」を見つめる視点を現代美術の担い手から紹介している。この試みもなかなか刺激的であったが、もう少し作品の具体例が欲しかった。
なお、イギリスのジョン・コンスタブルの〈デダムの谷〉(1805-17)に再会できたのは収穫。また亀井竹二郎、竹内鶴之助という名を初めて聞き、作品に接した。
欲を云えば、浮世絵に登場する空・雲・雨の表現の流れからは、新版画や川瀬巴水などの作品に登場する魅力的な月や空にも着目した展示が欲しかった。そこまですると大展覧会になってしまうのだが・・・。