Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日はイタリアン

2022年04月25日 22時54分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は妻と外食、家の近くに出来ていたイタリアンの店に入ってみた。清潔で明るくて、若い夫婦がやっていた。好感がもてる店であった。また来たいと思わせる店であった。
 明日は10時から「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち」展(4.22(金)~7.3(日)東京都美術館)の事前解説のオンライン講座である。すでに資料は打ち出してある。楽しみにしている。

 午後は妻が通院ということで、私は横浜駅傍の喫茶店で読書タイムを死ながら待機。明日はもう1冊の本「酒宴/残光」(吉田健一)を持参予定。


「人類の起源」 その1

2022年04月25日 22時05分06秒 | 読書

   

 整形外科の帰りに横浜駅まで出て、オフィス街の安い喫茶店で読書タイム。「人類の起源」(篠田謙一、中公新書)を読んだ。すでに読み始めており、本日で第2章までを読了。

「一般に生物進化では、隔離によって集団の分裂が起こり、その状態が長く続くことで種分化して、異なる種が成立します。‥けれども、数十万年の人類進化の歴史を概観すると、分化とともに交雑がホモ・サピエンスを形成するために重要であったことがわかります。我々は孤立の果てに単一の種として地球上に立っているわけではなく、過去の多くの人類をその中に包含しているのです。この事実こそが、人類という特殊な生物の本質をあらわしているようにも思えます。」(第二章「私たちの「隠れた祖先」」)

「ネアンデルタール人とデニソワ人が持っていて、ホモ・サピエンスにはない変化を持つ遺伝子が六一個発見されたのです。‥(その中のひとつの遺伝子をiPs細胞に組み込んでの培養した脳皮質)オルガノイドは現代人のものに比べるとやや小さくて表面の凸凹が多く、神経細胞同士をつなくシナプスの数は減少していました。脳で働くひとつの遺伝子のたった一ヵ所の配列が変わっただけで、肉眼でできるほどの変化が現れたのです。‥このオルガノイドは神経の活動量は多いものの同調性は低く、ホモ・サピエンスのほうが機能的に優れているとも報告されています。」(第二章「私たちの「隠れた祖先」」) 


天気は上々

2022年04月25日 14時47分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会ニュースの原稿の全体が出来上がり、他の役員と印刷会社に送信できた。これからまだチェックがあり、訂正などもあるかもしれないが、ひと段落。
 午後から組合の会館に出向かなくても、良くなった。メールのやり取りで用をすますことが出来た。これで本日の予定が少し楽になった。

 これより整形外科にいって診察。
 天気は上々。整形外科の帰りに横浜駅に行って、コーヒータイムと若干の読書タイムが出来ると嬉しい。外が見える喫茶店がいい。


明日は忙しい

2022年04月24日 23時33分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 天気予報通りに雨があがり、しかも雲が切れて晴れとなった。明日は湿度は高めだが晴れて24℃まで気温も上がる予報になっている。
 本日は休養日にしたので、明日の午前中は23日(土)の退職者会の総会の写真の整理と、その報告を掲載したニュースの記事を仕上げる作業である。午後には組合の会館まで出かける必要もできた。
 夕方には整形外科に行くことにしている。結構忙しい。

 右膝がまだ痛む。動き始めの動作はゆっくりでないと痛みが走る。明日は杖を手放せない。


本日からの読書は‥

2022年04月24日 21時29分49秒 | 読書

   

 午後から降り始め、未だに降っている。日付が変わるころには晴れの予報であるが、この雨の様子を見ると雨は上がるかもしれないが、晴れるようには思えない。

 本日「この道」を読み終わり、これから「酒宴/残光」(吉田健一、中公文庫)と「人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」」(篠田謙一、中公新書)をかわるがわる同時に読み進める予定。
 この吉田健一の本の表紙の駒井哲郎の「Cirque(サーカス)」は気に入っている。
 先日購入した「世界5月号」も忘れてはいない。当然にも時々めくってみる。


読了「この道」(古井由吉)  

2022年04月24日 18時23分00秒 | 読書

   

 古井由吉の晩年の短編集「この道」を読み終わった。8編の短編がおさめられている。2017年8月から翌年10月まで隔月で「群像」に連載となったもの。連作のようで、短編集というよりも一つの作品とも言える。
 戦中の空襲体験、戦中・戦後の飢餓の体験、阪神淡路大震災、西日本豪雨被害などの災害時における体験の挿話、長期入院時の死が色濃く漂うエピソードなどなど、さまざまな死の淵を巡る断章ともいうべきものである。
 これほど死が通奏低音のように連綿と続く小説というものが、私の心に響くということは、私もまたそのような老年の自覚が強まっていることの証でもあろう。

「‥孫を持つ身になり、里方でもあるので、生まれ立ての子を預かって日やその泣き声の中で暮らしたことが四度もあり、そのつど、小さな命の盛んさに舌を巻かされた。まるで母体の内からこんな荒涼とした世界に放り出されたことを怒っているように泣き叫ぶ。盥の湯に漬けられると、とたんに泣きやんで、これで医院だといわんばかりの、満足の歓声を洩らす。‥小さい命のいきおいに負けていると感じるにつけ、‥さすがに置いたと思い知らされた‥。」(雨の果てに)

「夜半の机に、一日分の力を使い果たし、肘をついて向かう闇に窓の外の、雨の果てに、赤子の声の立つのを思うことはある。空耳にまでも至らない。あやかしの気配もない。ただひたむきに呼ぶように感じられる。いよいよ命の尽きる間際に、産声を遠くに聞くという話しもある。死んで帰って来た者はいないので、誰も知らぬ境のことだ。遺された者の、死後の生まれ変わりへの願望なのだろう。あるいは飢えに追いつめられた世の、捨てた子や土に返した子の、雨の夜に遠くから呼ぶような声が、寿命を感じた年寄りの耳について、促されて家の者たちもひそかに耳をやったという一同の体験が、年寄りもとうに無くなったころに雨の夜話になり、末長く伝えられたものかもしれない。幻聴に触れた年寄りにとっては、お迎えはお迎えでも、長らく呼んでいた子を、ようやく迎えに行くことになる、こは末期の、はかないながらになぐされとなったか。」(雨の果てに)

「壮年の頃にもそんな離魂めいたこともあったが、よほど追いつめられた折に限った。窮地にあってこそ、短いながら深く眠る。魂を吐き出すほどに昏々と眠る。老年はそんなことがなくても、昨夜の眠りが苦しかったというばかりで、終日、魂がしっくりと身につかぬような心地で暮らす。身体の繋ぎ止める力が弱ったせいなのだろう。来年のことも知れない身には、平穏無事の日常がそのまま、差し迫っていると言えば差し迫っている。午後からまた半日の仕事に就いて、昨日見失った手がかりを何とかつかみなおそうとやや呆然と思案するのも、離れた魂を寄せようとする、招魂に似たところがある。」(行方知れず)

「静まりを忌む習性が今の世の人間にはついている。話の切れ目のわずかな沈黙も怖れる。耳は遠くなったのに騒音に苦しんで世の活動から遠退いて暮らす私自身も、深夜にありたが静かになった上に、もうひとつ静まったように感じられると雑念でもって紛らわしている。‥厄災がいよいよ身に降りかかってくる間際には、内であるか外であるか、瞬時の静まりがはさまるものなのか。」(行方知らず)

「西日本の水害の死者が二二〇人を超えた。行方不明者の数もすくなくない。この行方不明という言葉がまた、私には余計におそろしいように聞こえる。無事と知られる人もあるだろう。死者の数に加えられる人もあるだろう。しかし行方不明のままになる人もある。‥戦争では大勢の人が死んでいる。‥わずかな差で死をまぬがれた人も多かったはずだ。それぞれにとって誰かが行方しれずであり、それぞれが誰かにとって行方知れずであった。行方不明の身を各々、分有していたことになる。行方不明のまま生き存らえた人もあると聞く。‥ひとりの子を遺して、一家一族が全滅したという悲惨な例もある。‥子は親を探そうにも、自分が何処の誰であるか思い出せないので、尋ねる縁もない。‥晩年になり、行方不明の自身を見ることがあるらしい。世の中全体が行方知れずのままに、おのれの行方知れずをいつか忘れて来たようにも思われる。」(行方知れず)


明日は美術史の講座

2022年04月23日 22時25分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 右膝は帰宅後いったんは痛みが引いたものの、少しズキズキし始めた。湿布薬を塗り、痛み止めを服用した。布団の中で足を伸ばしてみたが、膝の後ろ側が突っ張ったようで膝をまっすぐにするには痛みがあった。少し曲げたまま横になっていた。寝付けなかった。
 これより、お風呂でしばらくお皿の周囲を揉みほぐしてみることにした。1か月ほど前の状態に戻ってしまったかのようである。月曜日に整形外科で、リハビリではなく診察をお願いしてみるつもりになった。

 明日の日曜日は10時から「一気に学ぶ世界と日本の美術史」のオンラインによる連続講座の2回目。資料を事前に目を通したいのだが、その気分にならない。とりあえずは打ち出して、予習はなしで受講することにした。
 心配なのは、2時間の講座の中で、膝が痛み出した時の対応。パソコンの前で椅子に座って膝を曲げたままの姿勢も良くない。席を外して膝が痛くない程度に、軽く膝の曲げ伸ばしをするのが有効である。しかし講師のかたには失礼になる。明日の状態にもよるが、痛み止めを服用してから受講するしかないようだ。


膝の回復は甘くなかった

2022年04月23日 20時45分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 右膝の回復の見通しが甘かった。一昨日・昨日と調子が良かったので、杖を持たずに家を出た。組合の会館までは特に膝の痛みは出なかった。
 しかし建物の中で移動しているときに、声をかけられて振り向いたとたんにズキンと痛みが走り、以降総会が終わるまで右足を引きずりながら移動せざるを得なくなった。
 会場内でカメラを手にしながら、移動を繰り返した。次第に痛みがひどくなり、最後は冷汗も出てきた。
 弁当は会場内で参加した会員との懇談をしながら楽しく過ごすことが出来た。痛みは少し引いてきたのはありがたかった。
 懇談会が終わり、会場を片づけてから組合の会館の傍にあるいつも立ち寄る居酒屋での二次会に合流したときはほぼ痛みは無くなった。痛みが再発するのが怖くて、机の運搬などは他の方にお願いした。
 二次会を楽しんだのち、帰宅するには、地下鉄の最寄駅からは急坂を登らなくてはいけない。それはためらわれたので、横浜駅からバスで帰宅。団地の入口の上り坂でまた足をひねり、痛みが再発。

 家に着いてからは、膝を布団の中に入れて温めているうちに、2時間ほどベッドで寝込んでしまった。体力的にも疲れた。

 明日は天気も悪く、午後からは雨の予報。気温も20℃に届かないとのこと。家でおとなしくしていたい。


右膝は改善しつつある

2022年04月22日 21時15分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 右膝の状態は、昨日・本日ととても良い。「良い」といっても階段や急坂の昇り降りはゆっくりと歩いたり、手摺りを使ったりする場合が多い。それでも短い階段ならば手摺りを使わずに降りた所もあった。痛みはビリっとするときもあるが、長続きしたり、力が抜けたりすることも無くなった。
 昨日・本日と杖を突かずに出かけた。支障は感じなかった。

 無理は禁物であるが、少しずつ良くなっているという実感が湧いている。特にこの一週間はその感を強くした。
 またこれまでは朝方、目が覚めると足の筋肉がかなり固まって伸ばすと痛かった。それがこの一週間はそれほど痛いと思わなくなった。数回、両足を伸ばすことで凝りによる痛みはほとんど感じないほどに和らいでいる。

 気温の上昇によるたまたまの改善なのか、まだ見極める必要はある。医師や理学療法士が、回復を実感するには7月までかかる、と言っていた。これから一進一退を繰り返すと思うが、確実に良くなっていくことを期待したい。
 


夏日

2022年04月22日 20時39分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 横浜市の最高気温は14時過ぎで25.7℃と夏日となっていた。確かに14時に出かけたときは温かいというのを通り越して「暑い」と感じた。明日もこの程度の気温になるらしい。

 先ほどらじるらじるで、NHKのFMを聴いたら、ブラームスの「交響曲第4番」が始まった。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮がヘルベルト・ブロムシュテット、昨年8月29日ザルツブルクでの演奏と表示されている。
 「ベスト オブ クラシック」という番組であった。私の好みの曲であり、満足。こういう時は実に気分がいい。

 本日は表紙を含めて35ページの議案書。私の担当部分は4ページ分だけ。一年分の写真を4ページにちりばめてアルバムを作成した。これが輪転機で全部自動で帳合いからホチキス止めまで自動でやってくれるので楽である。人間は紙詰まりなどの起きたときの対応のために見守るだけである。1960年代の謄写印刷と比べるのも恥ずかしいが、こんなにも変わったものかと思う。
 数人で集まって明日の設定のために、お金も含めてさまざまな物品の準備と点検が終わったのが17時半。

 明日の私の仕事は9時半に会館に赴いて、設営、来賓受付、写真担当、終了後の弁当配布、後片付け、打ち上げの下働きといったところ。体力を使うこのような時は酔いが回るのが早い。気を付けないといけない。


ようやく雨が上がる

2022年04月22日 09時55分54秒 | 天気と自然災害

 布団に入った2時過ぎくらいが一番雨がひどいときであった。雨の音が気になって眠れなかった。現役時代の長年の習性で、雨や風の音、川の流れの音に人よりは敏感である。その習性が抜けないようだ。
 3時ころに急に雨の音が弱まり、雨粒が風呂釜やエアコンの室外機の金属、ガラスにあたる音がしなくなった。樹木の葉に静かに当たる雨の音は、人の気分を落ち着かせてくれる。その音に耳を傾けるうちにようやく眠ることが出来た。

 朝は爽快な気分で8時起床。大雨・洪水・雷・強風注意報は大雨注意報をのぞいて解除になっている。大雨の心配もほとんどない模様。

 本日は夏日になるという予報であるが、今の時間は涼しいくらい。陽射しはまだない。午後から晴れれば、熱中症にも注意ということだろうか。

 本日の午後から夕方にかけて、明日の退職者会総会に向けて議案書の印刷・製本作業。明日は朝早くから総会の準備と、10時からの総会。12時前に終了し、13時には後片付けも終わらせたい。


猛烈な雨の区域が迫ってきた

2022年04月22日 02時09分16秒 | 天気と自然災害

 電気を消してお風呂に入った。体や頭を洗うのに電気は要らない。石鹸やシャンプー、手ぬぐいのある場所は手探りですぐにわかる。湯船につかって雨の音を聞いていた。
 雨の音はしだいに強くなり、風呂の釜にあたる音が激しくなってきた。不安を煽るような音に変わってきた。優雅に雨の音を聞く雰囲気ではなくなってしまった。
 レインアイよこはまの画面を見ると、最大で50ミリの雨の区域が横浜市域を南西から北東へ線状に連なっている。80ミリの雨の区域も次第に北上し中区にまで延びている。この80ミリの区域がそのまま北上するのか、微妙なところではあるが、用心しないといけないようだ。
 しかし三浦半島には大雨警報は出ている。そして2時を回ってから、横浜市域では大雨・強風・雷注意報に洪水注意報が加わった。

 さいわいにもこの線状の雨の区域は西から東に移動を始め、東京湾の方向に流れ始めた。このまま東に移動してくれるとありがたいのだが。


「この道」(古井由吉) その5

2022年04月21日 23時07分11秒 | 読書

   

 古井由吉の「この道」から「この道」と「花の咲く頃には」を読み終えた。残りは途中まで読んだ「雨の果てから」と「行方知れず」の2編。

「木の芽のふくらみであったか、あるいは小枝にすがる雨の滴であったか、とにかくそのひと粒ごとに、追憶がやどる、というような言葉に、誰の詩の内であったか、出会ったことがある。若い頃のことだったので、ひとしきり引き込まれたが、そこからぬけ出してくると、追憶というようなことは、自分には縁のあるものだろうかと疑った。苦くて甘いものではあるらしいが、恐怖や屈辱の記憶も都市を経ればそんな味をふくむものだろうかと思った。そう首をかしげたきり、年を取ってきた気もする。そして老年に入り、記憶も取りとめもないようになった頃に、ある日、追憶とは危機ではないかとつぶやいて、何を言っているのだかと自分で眉をひそめた。」(花の咲くころには)

 この追憶というものの把握が私には不思議な印象である。私にとって追憶というのが、屈辱の過去が不意に頭の中に湧き上がってくる瞬間、くすぶり続け消えかった熾火のようなものである。苦くも甘くもない。恐怖でもない。ただしそれが湧き上がる瞬間というのは、生きるバランスを失している危機のときと言えるかもしれない。
 過去は今の危機を反映している。フラッシュバックのように過去の危機を映し出して、今の危機を知らせる本能だと思えた。
 そんな会話・反芻をさせてくれる小説だと思った。
 


強風・雷・大雨注意報

2022年04月21日 20時53分14秒 | 天気と自然災害

 16時半近くになって、横浜には強風・雷注意報が出た。
 20時現在、横浜市域は最大5ミリの雨の区域にすっぽりと覆われている。
 21時半過ぎには大雨注意報も加わっている。

 本日はこれより昼間の読書の続き。

 明日は15時から23日の総会の議案書の印刷・製本作業を組合の会館で行うこととなっている。
 明日は朝から日が射すような予報でほっとした。


3冊の本を抱えて

2022年04月21日 18時10分20秒 | 読書

 整形外科のリハビリの帰りに、バスで神奈川大学のキャンパスへ。生協で岩波書店の「世界5月号」を購入した。同時におにぎりとお茶も買い、キャンパス内に設置された野外のテーブルで昼食。
 若い大学生に混じって白髪で丸刈りのおじいさん一人というのは目立ったかもしれない。しかし安いという誘惑には年金生活の私は勝てるわけがない。490円という生協の弁当には長蛇の列で、そこに並ぶ元気はなかった。

 そののちバスで横浜駅まで出て、コーヒータイムと読書タイム。次回は学食でコーヒータイムという選択をしてみるのもいいかもしれない。そのためにはもう少し遅い時間にキャンパスに行かないと混雑が解消しない。私の学生のころとは違って、昼食休憩が終わると皆授業に出て、生協の食堂も、学食もあっという間にガラガラになる。急に静かになり大学側の営業と思われる本部棟の食堂は、明るくて展望もよく、読書タイムにはうってつけである。

 本日は横浜駅近くのいつもの喫茶店で、古井由吉の「この道」と「人類の起源」(篠田謙一、中公新書)を交互に読んだ。昨日の根を詰めた作業の影響が残っているのか、目がしょぼついたので、1時間くらいで読書は断念。