島津義久は島津家第16代当主で、3人の弟(義弘、歳久、家久)と共に、家臣団を率いて九州統一を目指した武将です。1611年、国分城にて79歳で亡くなりました。
義久の墓は、鹿児島市の福昌寺と霧島市国分の金剛寺跡・徳持庵跡の3箇所にあります。このうち、国分の二つの墓を紹介します。
国分の金剛寺跡にある島津義久の墓。城山公園へ登っていく途中にあります。
立派な三重石塔です。義久の遺体は鹿児島の福昌寺に埋葬されましたが、ここには抜歯が納められました。
隣にある丁丑戦亡之塚(ていちゅうせんぼうのつか)。西南戦争で亡くなった国分出身者の霊を慰める塚です。
両側に立派な石灯籠が並んでいます。これは明治13年の建立。
亀に乗った面白い形の像もあります。
塚の近景。
真応上人の墓とお堂。
真応上人は鹿児島出身で、近江、京都、伊勢等の住職を務め、1671年から金剛寺の住職になりました。
多くの石塔が並んでいます。
国分の徳持庵跡にある義久の墓です。
徳持庵にあった分骨を埋葬した墓です。
道路の向かいにある義久公之蹟と仁王像。
義久公之蹟。
仁王像。案内板はありませんが、徳持庵にあったものと思われます。