鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

島津義久の墓

2017-05-02 | 史跡

島津義久は島津家第16代当主で、3人の弟(義弘、歳久、家久)と共に、家臣団を率いて九州統一を目指した武将です。1611年、国分城にて79歳で亡くなりました。

義久の墓は、鹿児島市の福昌寺と霧島市国分の金剛寺跡・徳持庵跡の3箇所にあります。このうち、国分の二つの墓を紹介します。

 

国分の金剛寺跡にある島津義久の墓。城山公園へ登っていく途中にあります。

 

立派な三重石塔です。義久の遺体は鹿児島の福昌寺に埋葬されましたが、ここには抜歯が納められました。

 

隣にある丁丑戦亡之塚(ていちゅうせんぼうのつか)。西南戦争で亡くなった国分出身者の霊を慰める塚です。

 

両側に立派な石灯籠が並んでいます。これは明治13年の建立。

 

亀に乗った面白い形の像もあります。

 

塚の近景。

 

真応上人の墓とお堂。

真応上人は鹿児島出身で、近江、京都、伊勢等の住職を務め、1671年から金剛寺の住職になりました。

 

多くの石塔が並んでいます。

 

国分の徳持庵跡にある義久の墓です。

 

徳持庵にあった分骨を埋葬した墓です。

 

道路の向かいにある義久公之蹟と仁王像。

 

義久公之蹟。

 

仁王像。案内板はありませんが、徳持庵にあったものと思われます。

コメント (4)
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