鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

和気神社の藤

2017-05-10 | 植物

霧島市牧園町の和気神社に行きました。和気神社は、和気清麻呂を祀る神社です。

 

藤まつりが行われていました。

 

入口を入ってすぐのところにある藤棚です。

 

藤棚の中。いい香りがします。

 

赤紫の藤です。

 

和気清麻呂は、769年、僧侶の道鏡が皇位を奪おうとしたとき、これを阻み、道鏡の怒りを買って大隅国に流されました。

大隅に流される途中、宇佐八幡宮に参拝し、猪が護ってくれたという伝説があります。

 

和気神社社殿。

 

境内で飼われている白猪の和気ちゃん。

 

神社の横にも、藤棚があります。

 

花びらの数が多い藤です。

 

藤の大木「五稜郭の藤」です。二の橋を渡ったところにあり、大正初めに植樹されました。

和服姿の美人が、写真を撮られていました。

 

中から見た五稜郭の藤。 

 

展望台に登る途中から見た藤棚です。

 

展望台に着きました。

 

展望台から見た新緑の山。

撮影日:5月6日(藤まつりは5月7日で終了)

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台湾旅行(3)故宮博物院

2017-05-08 | 

故宮博物院へ行きました。

 

到着です。台北郊外の山の麓にあります。

 

二階の庭から見たものです。

 

中に入ると、蒋介石の像があります。

故宮博物院は、蒋介石が毛沢東の共産党軍に敗れ、台湾に逃れたとき持ってきた宝物を展示しているところです。

 

内部の様子。

 

最初に案内されたのがこの器で、非常に貴重なものだそうです。

ガイドが一つ一つ詳しく説明してくれましたが、とても覚えられるものではありません。

  

以前は、写真撮影は禁止だったそうですが、今は許可されています。ただし、フラッシュ撮影は禁止です。

 

翡翠の彫り物。

 

象牙の彫り物。

 

絵画の展示室です。

 

中国の原住民の風俗でしょうか。

 

壺。字は後で入れたそうです。

 

 

 

 

黒の茶碗。

 

これは、時代がやや新しいそうです。

 

仏像。

膨大な数の宝物があり、全部を観ることは困難だそうです。1時間くらいの見学では、ほんの一部を観るに過ぎません。

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台湾旅行(2)忠烈祠

2017-05-06 | 

台北にある忠烈祠(ちゅうれつし)と衛兵交替式を見学しました。

  

忠烈祠の門。忠烈祠は、戦死者などの国家のために亡くなった人を慰霊する施設です。

 

門に、二人の衛兵が立っています。

 

微動だにせず、人形のようです。1時間ごとに交代するそうです。

 

内部から見た門。

 

奥の建物です。

 

前の写真の左右には、このような建物があります。

 

2枚前の写真の建物に、戦争の様子が描かれています。

 

一番奥の建物です。日本でいえば、靖国神社のようなところだそうです。

ここにも、二人の衛兵がいます。

 

前の写真の建物の内部。

 

衛兵の交替式が始まりました。門のところの二人に三人が加わり、ゆったりした足取りで奥の建物に歩いて行きます。

 

奥の建物で、交替式が行われます。

 

観光客が見学しています。

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台湾旅行(1)九份

2017-05-04 | 

台湾旅行に行きました。

最初は、台北の北にある九份(きゅうふん)です。台北から、高速道路で50分くらいです。

 

 

九份に近づくと基隆山(588m)が見えてきました。中腹にお寺があります。

九份は、かつては9世帯の家しかない寒村でしたが、金山が発見されてからゴールドラッシュで栄えました。

 

九份に着きました。斜面に家が密集しています。

1971年に閉山となり、さびれましたが、非情城市という映画のロケ地になったことから、レトロな街並みが人気となり、観光地として脚光を浴びるようになりました。

 

駐車場の近くに、金山の坑道が残っています。

 

階段を登って散策します。

 

狭い階段の両側に、家が密集しています。

 

階段を横切る軽便路。かつてのトロッコ道です。

 

レトロな家並みの階段を登ります。夕暮れ時は、身動きができないほどの人だそうです。

 

レンガアーチの家がありました。

 

九份は「千と千尋の神隠し」の舞台と言われています。これは湯婆婆の屋敷。

 

このお店で、芋団子をいただきました。

 

芋団子。タロイモなどの芋の団子と小豆が入っており、日本のぜんざいに似た味です。

 

階段を横切る基山街の雑踏を散策しました。

台湾の漢字は、中国のような略字でないので、意味が分かることが多いです。

 

近くの展望台からの眺め。台湾の北端になります。

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島津義久の墓

2017-05-02 | 史跡

島津義久は島津家第16代当主で、3人の弟(義弘、歳久、家久)と共に、家臣団を率いて九州統一を目指した武将です。1611年、国分城にて79歳で亡くなりました。

義久の墓は、鹿児島市の福昌寺と霧島市国分の金剛寺跡・徳持庵跡の3箇所にあります。このうち、国分の二つの墓を紹介します。

 

国分の金剛寺跡にある島津義久の墓。城山公園へ登っていく途中にあります。

 

立派な三重石塔です。義久の遺体は鹿児島の福昌寺に埋葬されましたが、ここには抜歯が納められました。

 

隣にある丁丑戦亡之塚(ていちゅうせんぼうのつか)。西南戦争で亡くなった国分出身者の霊を慰める塚です。

 

両側に立派な石灯籠が並んでいます。これは明治13年の建立。

 

亀に乗った面白い形の像もあります。

 

塚の近景。

 

真応上人の墓とお堂。

真応上人は鹿児島出身で、近江、京都、伊勢等の住職を務め、1671年から金剛寺の住職になりました。

 

多くの石塔が並んでいます。

 

国分の徳持庵跡にある義久の墓です。

 

徳持庵にあった分骨を埋葬した墓です。

 

道路の向かいにある義久公之蹟と仁王像。

 

義久公之蹟。

 

仁王像。案内板はありませんが、徳持庵にあったものと思われます。

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