メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『星野道夫の仕事 第1巻 カリブーの旅』

2012-03-02 19:32:52 | 
星野道夫の仕事 第1巻 カリブーの旅
星野道夫/著 朝日新聞社

大型本はなかなか持ち歩いて読めないため、時間の余裕のあるうちに借りてしまおう計画w
発行年順に読み進めてきた道夫さんの著書も、数冊を除いてすでに亡くなったあとに出た本に入る/寂
日記やエッセイ集も素晴らしいけど、やはりこうして写真でじかに道夫さんが見た風景をともに見れるのは嬉しい。
これまでの著書になかったショットも多いし。

池澤夏樹さんのあとがき抜粋
「画面の中で、見るものはまず小さく写った動物を見つけ、しばらく後、漂い出す視線の赴くままに、風景の全体を見る。また動物にもどる。細部と全景を交互に何度も見ることで、そこに映ったものすべてを認知し、理解し、愛するようになる。」
とは、まさに私もそうして道夫さんの写真を見てきた

「カリブーの身体には尿を再利用する特別のシステムが備わっている。この動物は尿の六割以上を胃に戻して、失われがちな窒素を回収することでたんぱく質の損失を防ぐのだ。これによって彼らは地衣類の栄養を独占し、北極圏を自分たちの領土として生きてゆく。」

道夫さんの論文によると、75人の村民+124頭の犬ぞり用の犬のために、年間2000頭のカリブーが必要だったという。
単純計算で1人当たり1年に26頭か。月に2頭って考えると、それだけで生きていけるんだと逆に驚いてしまうけど。


カリブーの1年の動きをまとめると、5~6月に出産・子育て→7月から移動をはじめ、
繁殖期→冬は森で越す→3~4月頃に再び出産のために移動を始めるというサイクル。
その移動する間に、ヒトのみならず、クマ、オオカミ、カラスなどの命も育んでゆく。

「個体として精一杯の生きる努力をしながら、個体ではなく種をこそ存続させること」

「カリブーにとって死は悲劇ではなく必然、生に含まれるもの、生きていることの一部である。
 カリブーたちはそれを知っているから、死を素直に受け取る。
 もちろん精一杯の抵抗はするが、あるところを越えると、ふっと受容する。
 大事なのは個体ではない。彼らの死にかたもそれを伝えている。

 一つの幅広い流れとして未来に向かって進んでゆくのは個体ではなく種である。
 個々の動物はこの流れの中で、自らを生かしめ、子どもを生んで育てればいい。それ以上のことは自然が決めてくれる。
 生命とはそういう大いなる流れであり、生きる喜びはその流れに身をゆだねるところから産まれる。
 自然はアラスカ全体を使って、何十万頭ものカリブーを使って、この原理を表現している。
 星野の写真が伝えているのは結局のところ、この自然界のもっとも基礎のところにある原理であり、その具体的な表れの姿なのである」

子どもを生んでいない女性にとっては複雑な心境だけど、自然の大意はそんな感じなんだろうな。

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『星野道夫の仕事 第2巻 北極圏の生命』

2012-03-02 19:32:51 | 
星野道夫の仕事 第2巻 北極圏の生命
星野道夫/著 朝日新聞社

白クマさんの手がハンパなくデカイっ 細かい手作業はムリだね
氷河期の生き残り「ジャコウウシ」は、すごい真ん中分けでかっちょいい!

そして、ときどき忘れた頃に現れるホッキョクジリスさんがやっぱり超可愛い

アザラシの赤ちゃんも真っ白で真ん丸で、雪見大福みたい!

クマも、カリブーも、リスもみんな、なんとも穏やかでやさしい眼をしているんだろう。
ニンゲンにある無用な自我や、自意識なんかが野生動物にはないせいだろうか?

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『星野道夫の仕事 第3巻 生きものたちの宇宙』

2012-03-02 19:32:50 | 
星野道夫の仕事 第3巻 生きものたちの宇宙
動物たちがたくさん出てくる巻で癒される
今年買ったカレンダーに載ってるグリズリーの写真もあるしv

池澤夏樹さんのあとがきに全て書き尽くされているので、以下はそのメモ。

「一枚の写真を一時間見る。その間ずっとそちらの世界に行っている。浸りきっていろいろなことを考える。星野道夫の作品ではそういうことができる」


「写真というのは時間と空間の両方にかかわる表現であって、両者の和は一定している。(中略)
 星野道夫は大変に幅のある写真家で、動物たちの躍動の一瞬を見事に切り取った傑作も多いが、その一方、
 穏やかな時の流れの中に悠然たるアラスカの広大な空間をふわっと包み込んだ作品も少なくない。」


「視覚を持つ動物たちは残らず視線によって周辺の世界と結ばれている。個体どうしの関係はいつも視線のやりとりから始まる。
(中略)両者がお互いの存在を認知したあとは視線のドラマになる。」


「言葉もまた写真と同じように制約の多い表現手段だ。」


「写真というのはそんなに演出して作れるものではない。時と場所を得てそこに居合わせること、これが第一の条件だ。
 そこに行くために、その場に居合わせるために、フォトグラファーは探検家のような旅を強いられる。
 しかしそれは目的ではなく手段に過ぎない。大事なのはその時そこにいること。

「こういう幸福が待っている土地だから、行けばこれに出逢えるから、星野はアラスカにあんなに強く惹かれた。」


「人の手になるものは時として醜いが、自然には醜いものはない。すべてが美しい。この単純な事実になぜ人は気がつかないのか。
 醜いというのは結局のところ、自分たちが作り出したものに対するわれわれの自己嫌悪ではないのか。」


「自然はそれ自体が祝福である。地球の上に生きるものたちがいて、彼らの営みから風景が作り出される。
 そのことがすでに価値であり、善であり、喜びである。
 人もまた生き物だから、いささか道から外れてしまって不自然な生き方をしていても、
 世界を喜びとして受け取る姿勢はまだ持っている。そこへ戻ろうという気持ちもある。」


星野道夫の写真の土台にあるのは幸福感である。一時的にせよ自然の中に帰った時の、絶対に揺らぐことのない幸福感。
 それが彼の作品の中にそっくり写っていることを、ぼくたちは喜ぶ。」


そうなんだ。
わたしがここまで道夫さんの写真に惹かれたのは、単純に自分が好きな動物や自然が見れるだけじゃなくて、
道夫さんが居合わせたその風景の中に一緒に溶け込んで、幸福な気持ちを分け与えてもらえるからだったんだ。

ここまで完璧に一枚の写真を解説してくれたから、他の写真ももっと相応の時間をかけて見たくなってくるが、
現代社会は常に時間との闘い、生活維持などとの闘いの連続で、
こうした素晴らしい写真集をじっくり時間をかけて眺め、
その世界の中にじっくり満足するまで浸ることがなんと難しいことかと、残念に思う。

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『星野道夫の仕事 第4巻 ワタリガラスの神話』

2012-03-02 19:32:49 | 
星野道夫の仕事 第4巻 ワタリガラスの神話
このシリーズの最後を飾る4巻目には、トーテムポールの人の顔のアップなど、
これまで読んだ道夫さんの本に載っていた写真を、さらに拡大したバージョンで、
その時、その場で撮った、他のすばらしいショットも大型本いっぱいに見れる!

このシリーズを編むのに奥さん、出版者の方々などが、大量の写真から丁寧に厳選し、
彼の仕事の集大成を後世にずっと残したいという熱い想いまでひしひしと伝わったきた。
最初はインディアンなど、人を主体として、ほかにも多種多様な動物たち、そしてもちろん広大な自然
本の最後は、日記調になっていて、亡くなる直前までの記録で締められている。

プリンス・オブ・ウェールズ島ってどこかで聞いたことがある。

「海のピエロ」と呼ばれるツノメドリがユニーク!


横型の大型本2ページ分を大胆にフルに使っている、夕暮れ時に見えたクジラの尾の写真がなんて美しい 溜め息が漏れる。
周囲の丸いたくさんの光の円は、海水の反射だろうか?
人の眼には、いろんなものを見ているようで、本当は全ての美しさの1%くらいしか見えていないんだなあ!

クジラは、わたしも大好きな動物で、昔はよくクジラの写真集や生態に関する本ばかり読んでいた時期があった。
今度生まれ変わったら、クジラがイイな♪(ウミガメさんも捨てがたい・・・

クジラがバブルネット・フィーディングで大~きな口を開けた瞬間!
クジラの口の中ってこんな構造なのねえ!驚×5000

エトピリカ

★ラッコの群れ!(ちょっと笑ってる
セイウチは対照的に空ろな眼をして、皮膚は歳を重ねた樹か巨岩のよう!(ちょっと太りすぎではないですか?
海岸いっぱいのセイウチって!

同じ地球の、同じ時間に、こんなコたちも一緒に生きている。
道夫さんが言いたかった「生物の多様性がいかに大事か」てこうゆうことなんだ。納得。


キタオットセイの写真も可愛い!黒いプーさんみたい
大量のプランクトンでスープのように濃いアラスカの夏の海は、
クジラ、トド、シャチなどなどの海獣たちが押し寄せる季節なのね。


氷山に光が当たって真っ青に輝いて見えるのもフシギで美しい!


ハクトウワシのアップにも惚れた! でも、鷲がこんなに群れている様子は初めて見た!驚


【池澤夏樹さんのあとがきからの抜粋】
「見ることは驚くことである。世界がわれわれが見るような姿で目の前にあるというのは、それ自体で驚くべきことなのだ。普段、人は驚くきっかけをつかめないままに、真剣に見るべきものを見過ごしにしている。しかし、何に出逢っても、前に見たものをまた見ていると思ってはいけない。目前に立ち現れるのは常に新しいものだ。新しい驚異だ」


「驚きをもう一つ高次のものに変えてはじめて人は世界と自分の関係を掌握し、積極的な行動に出られるようになる。出会いの驚きの次には、認識と融和が必要になる。われわれは世界と手をつないで踊らなければならない。」


「世界は実はそれを生み出した物語りの子である。被造物である。そういう構図を作ることで、人はあまりに大きな世界の驚異を、いわば反対側に杭を打つようにして、囲い込んだ。世界と自分の対峙の土台を造った。これが真に人間らしい叡智の始まりだった。


「われわれは見えるものに驚かなければならないと同時に、その背後の目に見えないものを畏れなければならない。」


『森と氷河と鯨』が遺著か?

夏樹さんは、道夫さん亡き後の空虚を埋めるためにも、著書に道夫さんも観たと書いてあった
バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学の人類史博物館にある、
「ワタリガラスがハマグリの中から人間を誘い出す神話」をモチーフにしたビル・リードの木彫の作品を見に行った。


「アラスカはじめアメリカ大陸の先住民はかつてベーリング海がまだ歩いて渡れたころに、アジアから渡った人々の子孫である。それから数千年の間、彼らは二つの大陸に離れ離れになりながら、ほぼ同じ神話を保持してきた。」
(これは、こないだF氏と話した事ともリンクした→世界に口伝されている神話にはフシギな共通点があるという


「アラスカは、時を経ても変わらないこと、人間がいた痕跡が残っていないことに意味がある土地である。われわれは自分たちがいた証拠を残しすぎる。醜いものをあとに残すことを誰も恥じない。生まれた時に借りた世界を、自分がいた痕跡をなに一つ残さず、借りた時のままの姿で返せるという誇りを忘れてしまった。」



寿ぐ=喜びや祝いの言葉を述べる。言葉で祝賀する。



最後に道夫さんの言葉。

「ワタリガラスとは、モンゴロイドがたどった遥かなる旅の足跡ではないだろうかと」

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