メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

図書館で借りたCDシリーズ~ハウリン・ウルフ ほか

2015-05-10 13:39:36 | 音楽&ライブ
図書館で借りたCDシリーズ。

豊島区の図書館では、DVDは2枚、CDは3枚までしか借りられないのが残念だけど、
予約して取り置きの際も、借りた後も延長がきくのが有り難い。

自分で借りる機械もあって、カードをかざして、台の上に借りたいものを置いて、点数をタッチすればいいだけv

今回探してた本は「閉架」だったんだけど、その場合は、用紙に書いて、カウンターに出さなきゃならない。
でも検索結果を印刷した紙があれば、名前の記入だけでOK。
倉庫から持ってきてもらって、なんだか見たことがあるような気がしたけど、せっかくだから借りてみた

CDはブルースコーナーを物色。
以前から聴きたくても図書館で見つからなかった巨人を2人も見つけて、今回も大収穫

BEST 34/Joan Baez(2枚組)


♪THE HITCHHIKERS' SONG(ヒッチハイカーの歌)だけなぜかパソに取り込めなかった。残念。
ずぅーーーっと探してたアルバム。これでカセットテープも心置きなく廃棄出来るv
バエズの声で聴くディランの曲が好きなんだ。

【ライナー抜粋メモ~三橋一夫】
ドンナ・ドンナ は朝日新聞が「米国では民謡が大人気」という見出しをつけていた。

1960年代、アメリカの『キャヴァリア』という雑誌で、毎年、フォークミュージシャンの人気投票をやり、
女性歌手部門で、上位5位までには必ず、J.バエズ、ジュディ・コリンズ、オデッタ、バフィー・セントメリーが入っていた。
バエズはメキシコ系、コリンズはアイルランド系、オデッタは黒人、バフィーはアメリカ・インディアン。
アメリカを代表するとされていたWASP(プロテスタントで、アングロサクソンのアメリカ人)が1人もいない。

ニューポートで開かれたフォーク・フェスティバルに、真っ赤な霊柩車を乗りつけ、飛び入りで歌って、一夜でヒロインとなったバエズ。
同じく、ディランも一夜でヒーローとなり、かれらはフォークソングのプリンス&プリンセスと言われた。

バエズは「アムネスティ・インターナショナル」(世界から暴力を追放する運動)に参加したりして、
なにかと社会的な部分が報道されがちだが、デビューアルバム以来、プロテストソングはない。
ベトナム戦争のことがレコードになったのは、A&Mに移籍してからだった(1972年)。

♪ドンナ・ドンナ にしても、ミュージカル「ジョー・ヒル」が映画化されて有名になったが、
1930年代の労働運動のヒーローの死をうたったこの歌は、労働組合の中でしか知られていなかった(牛の話じゃないの!?

あるアメリカの音楽評論家は彼女のことを「アマチュアの良さが最も発揮された歌手」と評した。
「作られたもの」に対するアンチテーゼが、最も美しい形で掲げられたのだ。


I Left My Blues in San Francisco/Buddy Guy
このシャウトっぷり、いやあひたすら堪能。

【ライナー抜粋メモ~小出斉「チェス・ブルース・コレクション」


 
私がずっと探していたブラックミュージックシリーズのアルバムは全部チェスレーベルだったんだ!

ローリング・ストーンズが、1965年にチェススタジオで録音したインスト「2012 South Michigan Avenue」。
タイトルは、当時のチェススタジオの住所。

チェスレコード。黒人音楽ファン、とくにブルースファンにとっては、特別なレーベルだろう。
ポーランドからシカゴに移住してきたレオナードとフィルのチェス兄弟が、
1947年にスタートしたアリストクラットレーベルを母体に名前を改めたのが1950年。

今回の「チェス・ブルース・コレクション」は、そんな中からの30枚。
チェスが最も強かったシカゴブルースを中心にしている。

バディ・ガイのチェスから初めてのフルアルバムで、1969年発表。この時点でバディはチェスを離れていた。
60年~67年にチェスに在籍し、活躍していたのに、チェスはずっと放っておいたのは可哀想じゃないの?

ジミヘンもバディのステージに影響されたくらい、凄いパフォーマーだったが、なぜか会社に認めてもらえず、チェスを離れる一因となった。
タイトルは、トニー・ベネットの大ヒット♪I Left My Heart in San Francisco をもじったのが可笑しい。

バディのイメージは、激情型、エモーション100%で突き進む(修造さん的な?w
60年代初期から、さまざまな他人のヒット曲を演奏して「人間ジューク・ボックス」とも言われた。

【ライナー抜粋メモ~ボブ・シュナイダーズ ジョージ・“バディ”・ガイ訳】
第二次世界大戦後に出現したシカゴブルースは、サニー・ボーイ・ウィリアムソンら創始者たちの逝去により
消滅したと感じる音楽学者もいるが、実際には、微妙な変化を受けながら世代交代を果してきた。

60年~70年代をとして、シカゴには新しい世代のブルースミュージシャンが出現しはじめた。
ジュニア・ウェルズ、バディ・ガイ、ルーサー・アリソンなど。

バディは7年間、チェスのハウスギタリストとして働き、自らのレコードも創った。
やがて刺激的なギタースタイルやエキサイティングなステージはトレードマークとなった。


Ain't Gonna Be Your Dog/Howlin' Wolf(2枚組)
 
まさか、ここでハウリン・ウルフさんにお目にかかれるとはっ!! 感激の極みです/感謝 痺れる・・・・

【ライナー抜粋メモ~小出斉】
ブルースが形式を整えたのは、19C終わり~20Cにかけてが定説。
アメリカ南部で生まれた、弾き語りのカントリーブルースが都会に広まり、定型化し、
バンドサウンドに代わり、戦後はエレキが主体になった。

94年に企画された「チェス・ブルース・コレクション」も好評で、第2期もできた。
ここでは、多くが録音から30~40年を経たもの。




【ライナー抜粋メモ~中山義雄 1996】
「あっちの連中は、音楽のことを分かってるつもりになってるんだが、人生ってもんを知らねえんだ」ウルフはこう吠えた。
黒人をホワイトハウスに送り込むと鼻息の荒かった反面、俺はドン百姓だから、と自分を卑下していたウルフ。
英文ライナーを書いたディック・シャーマンは、晩年のウルフのいささか分裂症気味な性格に触れているが、
今まで引っかかっていた、ウルフの2つの顔にまつわる謎が解けたのだ。

ウルフは、ローシング・ストーンズのメンバがシカゴ公演の際に自宅に立ち寄ってくれるものと思っていた。
しかし、誰一人としてやって来ない(ジョンなら絶対行ったんじゃないかな
そこには豪傑揃いのブルース界にあっても、浮かんでくるのは孤独な老人の姿である。

ビル・ワイマンだけはウルフのもとを訪ね、その時の幸せそうな表情を映した写真は『The Chess Box』のブックレットに載っている。

全盛期のウルフは、親分肌の豪傑ぶり。
晩年近くのウルフは、ひたすら孤独と闘い、肉体の衰えから死の足音を感じていた一人の老人でもあった。

アメリカは日本とは逆に、ヨーロッパや日本からの輸入盤は高価で、
ファンはよほどじゃない限り手を出さないというのがマーケットの常識。
アメリカで再発された音源に最上級の形容詞つきで、幻の逸品と謳われていても、
日本では常識の範疇に属するものも少なくない。

1949年、ウルフはウエスト・メンフィスのKFFAで「歌う広告塔」の番組を持ち、
その魅惑の低音でスポンサーの宣伝をし、人気に火がつき、サム・フィリップスのもとで録音を開始する。

モダンとチェスの間で争奪戦が繰り広げられたのは有名な逸話で、結局、チェスが獲得。
マディ・ウォーターズと並び、シカゴブルースシーンの顔になり、2人のライバル意識は確執に発展する。
ウィリー・ディクスンは、マディから「ウルフにばかり良い曲を書きやがって」と言われ、ウルフとの板ばさみで苦労が絶えなかった。



【ライナー抜粋メモ~ディック・シャーマン 中山義雄/訳 1993】
ウルフは、優位に立つ白人文化とうまくやってゆく術を、父から学んだ。

「俺はロバート・ジョンソン、サニー・ボーイ・ウィリアムソンに出くわし、しょっちゅう一緒に遊んで、一緒に演ったもんだ」

「とにかくミュージシャンてのはヤワな代物なんだ。牛みたいに急かされ続けようとすりゃ、
 ヒビだらけになっちまう。もう良い仕事はできなくなっちまうのさ」

♪ママズ・ベイビー などでは、ギターという道具の限界を超えている。

ウルフの人生最期の10年間には、遅ればせながらの評価が与えられ、世を去った1976年の2ヶ月前まで、炎のライヴが続いた。
ウルフは、心臓と肝臓の病との闘いが増していたため、レコードとして残されたものの中には、
無理をして吹き込んだもの、常軌を逸した異様なもの、妥協の産物があった。

彼は何を考えているか見当がつかない、取扱注意だと言われることもあった。
彼には自分の腕ひとつで生きてきた男のプライドがあったのだ。

時に腸を煮え繰り返して、自分には充分なものを与えてくれたことなどない“世界の変化”に裸一貫で向かい合い、とてつもない障害を乗り越えてきた。
『The Chess Box』のインタビューでは、時としてラディカルなまでに変形された自分の歌のカヴァーにまでウルウは感謝していたのである。

コメント

topics~箱根山火山活動 ほか

2015-05-10 12:12:29 | 日記
最近の気になるトピックス。

錦織が4強、準決勝ではマリーと対戦
 

 

 



錦織は準決勝敗退、マドリード・オープン
試合を生で観たかったなあ・・・


ムーミンの記念切手も買ってきたv
 

大ちゃんのまであるんだ/驚

橋大輔が自らセレクトした写真が切手に!
~栄光の軌跡~プレミアムフレーム切手セット 2月26日(木)より全国の郵便局にて予約受付開始

衣装の原寸レプリカを直筆サイン色紙付きでプレゼントって企画もスゴイね・・・


赤塚不二夫さんとか!

赤塚不二夫生誕80周年記念フレーム切手セット ~郵便局のネットショップ~


記念切手の幅が広がって、なんだかやたらと欲しくなってくるから危険


水木しげる(93歳)“ご長寿”マンガ家の連載が“突然”最終回

単行本化したらぜひ読みたい


40過ぎても働かない「中高年ニート」なぜ増える? 豊かな時代の「合理的選択」なのか
意外に共感的意見が同世代のつぶやきに多かったから、まだまだココロが残ってるなと思った。
今の若者の過労で成り立つ年金制度、今の高齢者が残した環境破壊などの負の遺産、
これからの子どもたちは、モーレツなスピードで変化する厳しい世界の中で、
1つ1つを丁寧に見直して、変えていかなきゃならないんだ。


『ビリギャル』番宣
映画の番宣に出てきた教授の言葉が、認知行動療法のことで先日、担当医に詰め寄り顔をされたこととリンクした。

 

 

 

そーだよ。
医師「私は認知行動療法のことはよく分からない」と言いながら、なぜかゴリ押しして、
私「本を読んでもよく分からないので、直接教えてくれる人はいないか?」と聞くと、
医師「日本にはまだそういう医師が少ない」と言う。

それで、自己流でやってて、「そんなに頑張らなくても、ムリせずに」と言ってたのに(ブログで確認)
感情的になると「一切、そんなことは聞いてない!」ってどうゆうことだ???

そもそも定義もやり方も分からずに、自己流でやって、成果を上げるのは難しい。
マンツーマンで教える人がいないのに、個人に任せておいて、それを責めるってどう考えてもおかしい


ネパール地震で被災した女性たち、人身売買され韓国で売春婦として働かされていた

厳しい状況でもっとも被害を受けるのは女性と子どもたち


箱根山火山活動
 

 

以前、旅行でも行ったし、友だちの実家もあるから、心配。
先日、ラジオで専門家が「地震は予測が出来ない」ってゆってた。
賢治の『グスコーブドリの伝記』を思い出した。
これまでの膨大なデータは一体何の役に立っているんだろう?
幸い、今回の避難指示は大涌谷の半径300mのみ。


「火山活動の予測は難しい。短い時は1週間程度、長い時は数ヶ月の場合もある」

「箱根山は富士山のように1つの山であるようなイメージを持たれているが・・・」(現地の旅館主人)
 

昨年の御嶽山噴火の影響
 
GWで観光客が増えるため、念のための対策としてレベルが2となった


ちょうどGWに噴火のニュースが重なって、風評被害による観光客減少につながったんだな

 
レベルの程度は条件によって異なる。基本的には2つの項目が当てはまればレベルを上げるが、今回は1つでも上げた


コメント

大人の新感線『ラストフラワーズ』@WOWOW

2015-05-10 11:03:08 | 演劇・オペラ
大人の新感線『ラスト・フラワーズ』@赤坂ACTシアター

 

 

 

去年の夏に観た大人×新感線の芝居が、上演後すぐにWOWOWでOAされて、
早速、長野の友だちに頼んだのを、先日受け取った。これがラストの依頼。
本当にこれまで、たくさんの録画をお忙しい中ありがとうございました~!!感謝×∞

WOWOWでは、芝居+出演者らスタッフのインタビューも入るからステキv
それにしても早いよねえ。映画上演後のDVD化も、芝居上演後のOAも、どんどん世の中のスピードは加速していく


きっかけ

松「同世代でもありつつ、時代劇をよくやっているから、それ以外のものをいのうえさんの演出で観たいなあって話をして、
  スパイ活劇なんてどうですか?と振ったっていうのが最初」

い「松尾さんが新感線に書くっていうのがイメージ出来なくて、“え、ホント?”そんなことになったら、ちょっと面白いなとは思いました。
  でも、まだどうなるのかな?って半信半疑なところはありました」

松「全然違うからこそ書けるんじゃないかなっていう気がした。
  たとえばナイロンだと横並びな感じがどっかあって、ナイロンに書くってイメージは出来ない。
  新感線ってそのくらい遠かったですよね、当時は。歌舞伎をメインでやってらっしゃるから。青年座か新感線かみたいな


脚本を書く上で・・・


松「僕が新感線に書いた時、観念に逃げないっていうことを頭に置いてて、大人だと急にワケの分からない世界に行っちゃったりするけど、
  それは止めようと思って。“マス”を意識したというか、数万人というお客さんを相手にする場合は、
  いい意味でのベタっていうか、そのベタから逃げないってことは考えました」

い「松尾さんも同じでしょうけど、美意識みたいなのは照れ症みたいなところがあって、中には憎しみとか悲しみが沈んでるけど、
  出し方として気を遣ったところがあって、演出だけじゃなく、出演者の演技が上品だなっていうところがすごくある」



松「WOWOWの上演を逃したら、たぶんもう観れないことになるんじゃないのかなって思っています」





古田「こんなにストレスないものかな。松尾さんから言われたら、とりあえずやれっていうことで。
   20年以上演ってる人たちばっかだから、そこで滞らない。
   “気持ち入れて”って言われてもね、“気持ちなんて要らねえ”って育てられたから」

 
新太さんの帽子から角生えてますよw


お気に入りのシーン




い「よく出来たっていうか、変なムードがあるなって。
  実は、宮藤くんと古田くんが銃の練習をしている、鉄橋の下のシーンがなんかイイなと思って。
  2人で妙な空気が出てて、面白いなあと思ってますね。あのほのぼのとしたシーンは、なんか見ちゃう」



松「僕はやっぱりスパイ映画っていうのは、オープニングが好きなんですよね。これから入っていくぞ!っていう感じのタイトルが出て、
  それを太鼓で演るっていうのは、うまく再現してくれててスゴイですよね。
  スパイ映画なのに和太鼓っていう裏切ってから、SMが入って、オープニングテーマが入って、
  客は戸惑うとは思うけど、小池栄子ちゃんが歌ってる間に頭整理してねっていう。
  とくに『007』とかヒットする音楽が多いじゃないですか」





お気に入りのシーン~出演者
 



古「僕はもう皆川くんの演ってる役、あれ、カッコいいです」
皆「(舞台)下でフツーに話すの止めてもらえます? 聞こえてくるんですよ、演りながら」

古「宮藤くんと2人で解説してるんです。“今日は丁寧だね”とかって」
皆「フツーに恐い」

古「お茶の間でテレビ観てるみたいで」
皆「全然ウケない時もあるし。下に。お客さんも誰も笑ってないってない時があるんです、たまに」

「強いなあ~」ってゆったのはアベちゃん?爆

古「でもカッコいいよ。あの声量で、あんだけ喋れるって、そんなにいないと思うなあ。
  しかも、前半なんてどうでもいい事を言ってるわけじゃない?」(哲さんもカヲルさんの声量を褒めてたなあww

アベ「最近は完全に日本語にしちゃってるよね」


古「あの動きなんだろ? 誰かに言われたのかな?」(私は『博士の異常な愛情~』のピーター・セラーズだと思ったけどw



皆「僕は、最初のじゅんさんとエマさんの、エマさんが“ギャー”っていうところが、今日くらいから“キャー”ってなって」
古「だんだん減ってきたね。おとといぐらいがMAXだったね」

皆「役者がこういう声出そうと思ってた時に出ないっていう。
  みなさん経験あると思うけど、なんとも言えない気持ちになるじゃないですか。
  その戦ってるのをモニター越しに見た時にコーフンしますねえ」

古「“この米ドロボー!”のところも、昨日くらいからもう届かなくなってた。今日は最初から乾いてたもんね」

じゅん「村杉さんが体を張って2人の子どもも守るためには変質プレーに遭っているっていう。
    マイクの壊れる音も“ポン!”って入ってくるんですよ」

アベ「あれ、凄いですよね。あのシーンの村杉さんの安定感はスゴイですよね」

古「他のシーンの安定感のなさたるや、すごいよね。
  でも、蝉は今回、核シーンがスゴイ。“バネバネスミダアアア”のところもスゴイ」爆

じゅん「蝉ちゃんが自分で吹き出した時があって、その後、すごく挙動不審な目で、うつろな目で女の子たちにすがるようになってて、
    “どうしたの?”て聞いたら、“突然、今、自分が何を演っているのか分からなくなって、不安になっちゃって”て」


松尾さんがいつもと違うところ
 

アベ「いつものお祭りっぽい感じじゃないところがすごくイイなって思って。
   古田さんへ、じゅんさんへって、あてて書いてるってところがありましたね」

皆「漢字多くなかった? いつもより、カッコつけて、頭良さそうに見せるぜみたいな」

アベ「こっちは頭悪いじゃん」

皆「そうそう。だから、新感線側に“オレ、漢字知ってるぜ”みたいな」

古「それで、蝉がアワアワしちゃったんだ」

皆「“戴冠式”なんて読めなかったろ?」

古「でも、松尾さんは演出家に逆らわないんだよね、絶対に。時間のムダだと思ってるんだろうね、そんなことは」

アベ「ヒトに演出されている松尾さんを初めて見るから面白かったですねえ。
   で、けっこう頑張るヒトっていうか、毎回変えてくるんだなって、稽古場でもいろいろ試すし。すごい声出てるもんね。
   でも、その“わあああ!!”て(机上のモノをはらうシーン)声で、今日、股関節ヤラれてて、その後、元気なかった」

「カーテンコールの時にしゃがんじゃって、朝礼で気持ち悪くなっちゃったヒトみたいになって」



合同公演をしたことで・・・


い「むしろドキドキする。次、このクオリティでお客さんに要求されたらどうしようっていうw
  ネタもののような顔をして、実はコレは深いから。純粋にネタものを演ろうとした時に物足りなさを感じられるんじゃないかって。
  お客さんに“なんだよ”て思われるんじゃないかっていう漠然とした不安があります」

い「(急にセリフを変えたり)現場に作家がいるって珍しいですからね」

松「ギャグとかも足したり引いたりっていう作業をして、これはイイな、いのうえさんの後ろに張り付いて、
  ギャグを短冊に書いて渡すっていう仕事がしたいですね。なんか寿司職人みたいな気持ちでw」


 


コメント