≪「キプロス紛争」は今≫
「キプロス紛争」を記憶している人も多いに違いないが、この国はトルコの南90km程の距離にある。そのため古くからトルコ人も住んでいた。
しかし歴史的には、紀元前700~紀元395年には「ビザンチン帝国」の一州だったし、1191年には「イングランド」のリチャード一世が占領したが、翌年には「フランク人王朝」に取って代わった。
1489年には「ヴェネチア」の支配下に入ったが、1571~1878年には「トルコ」が支配した。
1898年には「イギリス」の支配に変わる中で、1955年から独立運動が起こった。
遂に1960年8月16日、「キプロス」は独立を果たした。
しかし1963年には「ギリシャ系」住民と「トルコ系」住民の対立が起こり、国連軍が派遣された。
1974年「トルコ軍」が島の北側を占拠し、翌年、一方的に北部を「トルコ人」の独立国家にすると宣言したのだった。今も国連は認めていない。
私達は2日目にその境界地域を訪れた。
6~7mの高さの土塁が城壁の様に築かれ、「トルコ」の国旗がたなびいていた。
土塁の下には鉄条網が張り巡らされていて、南側のキプロスの人は立ち入れないようになっていた。
曲がり角に紛争の傷跡が生々しい家が、そのまま残っていた。境界に家が建ち並び、道路を車は普通に走っていた。
土塁の上から南側を見下ろしているトルコ人が数人いた。男性グループに下から大声で「写真を撮っていいか。」と聞くと「OK」だという。1枚撮らせてもらった。
正に「旧ベルリンの壁」と同じだった。武力で一方的に領土を占拠してしまう事が現在でも続いていた。
私達は15分程でその場所を離れた。
これで長く綴った「キプロス」「マルタ」の旅を終了する。
二つとも地中海の小さな島国だったが、温暖な気候と歴史の古さ、交雑した異文化の混ざり合い、そして戦争と紛争の影が今も色濃く残る印象深い国だった。 (完成)