≪首都「バレッタ」観光後、帰国の途に≫
いよいよ3泊したこのホテルとも、分かれる日が来た。
スーツケースを整理し、早めの朝食を済ませようと、まだ明け切らない6時45分頃部屋を出た。
最後にロビー前のベランダに写真を撮ろうと出たら、大声で呼ぶ人がいる。
見ると3階のベランダの男性が私に向かって叫んでいた。
私も大声でどうしたのか聞くと、「自分はパキスタン人(多分そう言ったと思った)だが、ベランダに出て戸を閉めたら室内に戻れなくなった。フロントに伝えて欲しい。」と言うのだ。パジャマ1枚で寒そうにしていた。
直ぐにフロントに伝えたら、係りの人が笑っていた。彼に伝えたことを言ってからレストランに行った。
部屋に戻ってから確かめると、ベランダのガラス戸の室内側に「締めたら外側からは空けられません」と小さな張り紙がしてあった。彼はそれに気づかなかったのだろう。可笑しかった。
9時に出発となっていたので、朝食後、8時から開くと言うスーパーに出かけた。結構大きな店だったので、「ワインチョコレート」「ナイヤガラの干し葡萄」「チーズ」などを仕入れた。「キプロス」で買った「オリーブ油」「蜂蜜」と合わせると、今回はスーツケースが重くなった。(エミレーツ航空はスーツケースは30kgまで許容される)
ホテル前やフロントは、一層警備が強くなっていた。その中で全ての人のスーツケースをバスに積み込み、ホテルを後にして「バレッタ」に向かった。
前日ガイドが話した通り、徐々に天候が悪くなって来て冷たい風が吹き出し、とうとう雨が降って来た。初めての雨の中、「マルタ島」の最後の2時間程を観光した。
①「アッパーバラッカ ガーデン」奥からの展望
バスを降りて公園を横切り、奥の展望台に行って写真を撮った。
「バレッタ」が1565年にトルコ軍の「大包囲戦」に勝って以来、「聖ヨハネ騎士団長ジャン・パリソ・ドゥ・ラ・ヴァレット」により攻撃から身を守る要塞の町に造り変えられたことが良く分かった。
東西1km南北800m程の首都の中に、「マルタストーン」という蜜色をした石灰岩の建物が300もあるという。その内の多くは公共施設として使われている。
この大砲を使った空砲の実演は、毎日2回行われるそうだ。
②結婚式場ともなる「市庁舎」
市庁舎前の大広場では、道路を整備したり、植栽のプランターを置いたり、清掃する大勢の人達がいた。プランターに不審物を隠されないのかなと心配だった。
黒い車が来た。ガイドは「市長さんです。」と言った。
この市庁舎では、申請すれば誰でも結婚式ができるのだそうだ。
③「聖ヨハネ大聖堂」
ここは「マルタ騎士団」の「守護聖人ヨハネ」を祀る協会で、1577年に建立された豪華なものだが、丁度工事中だった。
長さ57m、高さ19mあり、床は縁の人達の墓になっていて、墓碑には色大理石が敷き詰められていた。400以上あるというが、中には骸骨を模様にした墓もあった。
続く建物に「大聖堂美術館」が併設されていた。「カラヴァッジョ」の描いた「聖ヒエロニムス」と「聖ヨハネの斬首」が有名だそうだ。
近くの「騎士団長の宮殿」だったと思うが、2階展示室に入ると1565年の「トルコ大包囲戦」が大型スクリーンに映し出され、「ヴァレッタ」の歴史の一端を伝えていた。(しかしその後、フランスに敗北したり、イギリスの植民地になった事には触れていなかった)
その後、大通を散策してヴァレッタ観光は終り、バスで飛行場に向かって、帰国便の塔乗受付に並んだ。
帰りの飛行機は1時間も遅れたが、何の理由も知らされなかった。お陰で「ドバイ」で「成田行き」に乗り継ぐ時間がぎりぎりだった。
疲れたのか「ドバイ」から日本までの8時間は半分以上寝ていた。