当地、今日は朝から雨。時折、花の鉢が倒れるほどの強風がふいているので外仕事は断念した。
昨日までに農園の植え付けはほとんど終った。
庭も「スイカ」用に残しておいた菜園部分が、「スイカ」の苗が売り切れて手に入らないため、急遽、小粒の黒大豆「黒千石」やほうれん草、小松菜の種を蒔いて埋めた。
春先に種蒔きをしたほうれん草、小松菜、青梗菜、春菊は、数回の間引きで今は15cm以上に育ったため、暫くは朝夕さっと茹でて新鮮なものを食べられそうだ。また今までご近所にも数回間引き菜をお裾分けして来たが、今後もできそうだ。
(小松菜) (ほうれん草)
(青梗菜)
≪2日目午後、「バンクーバー」へ≫
「ブチャート・ガーデンズ」を後にバスで「ビクトリア港」に向かった。
15時発の「大型フェリー」に乗り、「バンクーバー港」に着いたのは16;35だった。
バスで「ベイ・エリア」に行き、「公共マーケット」を15分間散策した。
各種の海産物や名物の「メイプルシロップ」「鮭の干物」や菓子類などが沢山売られていたが、私は何も買わなかった。
バスに戻ると、傍に「トーテムポールの作業所」があったので覗いた。
「バンクーバー」の町を通り、ホテルに向かった。その日のホテルも高層ホテルで、自室は17階だった。
夕食はホテルのレストランで「ロブスター料理」が出た。海老は美味しかったが、付け合せの野菜が塩辛くてほとんど食べられなかった。
≪2日目の「ビクトリア」市内観光と「ブッチャート・ガーデン」≫
11階の室で目を覚まし、18階のレストランでセットメニューの朝食を摂った。食後、窓側をぐるりと回って展望を楽しんだ。
9時に専用バスで市内観光に出た。
「州議事堂」から続く「ガバメント通り」に出、市内を回った。目立つレンガ色の教会があった。
ベイ界隈をぐるりと一回りして「コロンビア州議事堂」で下車した。薔薇が綺麗に咲いていた。
1893年から5年の歳月をかけて建造された「コロンビア州議事堂」前の広場には、「エリザベス女王」の像が立っていた。
そこから海沿いに南東の海岸に沿って行くと、そこは高級住宅街らしく、石楠花が生い茂り、芝生のある瀟洒な邸宅が続いていた。ガイドの説明では、どんなに古い家でも1億円は下らないという。カナダの中では、温暖な気候に恵まれ、石楠花の生育に適するこの地域は、住みやすい所だそうだ。
それから南の丘にある「ビーコン・ヒル公園」に行ってバスから下り、「トランス・カナダ・ハイウエイ」の始点「マイル・ゼロ」の標識前で写真を撮った。公園下に海が見えた。
いよいよ「コロンビア」の観光ポイント「ブッチャート・ガーデンズ」だ。
晴天でこの日の気温は16℃だった。
かってセメントの原料の石灰岩を掘っていた会社の社長夫人「ジョニー・ブッチャート」が、荒れた採掘跡地を庭園にする事を思いつき、造営を手がけて、今では22万㎡の大庭園となったという。
庭は「イタリア庭園」「日本庭園」「ローズガーデン」「水の庭園」など、テーマごとに分けて造られていて、まだ春浅い季節だというのに色とりどりの花で溢れていた。
「日本庭園」の入り口には赤い鳥居が立ち、小さな川が流れ、これまた小さな橋が掛けられ、敷石が敷いてあって、つつじやあやめ、紅葉などが植えてあった。日本人から見ても違和感はほとんど無かったが、「ブルーポピー」が珍しかった。
最後に満開の「キバナ藤」を鑑賞してから「ブッチャード・ガーデンズ」の売店を覗き、カレンダーを買った。最後にティールームに行って「アフターヌーンティー」を頂いた。
ここはイギリスの庭園作りの影響を受けたらしいが、個人経営の庭園なので管理が行き届いていて見応えがあり、私にも参考になる事が多く、十分に楽しめた。
添乗員と港で別れてから一人で街を歩いた。
林檎やキウイフルーツなどの果物をチョコレーで包んだお菓子を売っている有名店「ロジャーズ・チョコレーツ」に入ってアイスクリームボックスを除いたら、珍しい色のアイスクリームがあったので写真を撮らせて貰った。
それからすぐ傍の「セヴンイレブン」に入り、薬を飲むのに必要なミネラルウオーターの1.5L入りのペットボトルが一番安かったので買った。確か2.1カナダドル(225円)だったと思う。
(カナダの水道水は市民は飲むが、硬水なので胃腸が弱い私は飲むことができないのだ。水道水で口をすすいで見たが、少し嫌な匂いがするように感じた)
このコンビニや飛行場の売店で見たところ、全体的にカナダの物価は日本の2倍以上すると感じた。
水を置きにホテルに戻った。回転ドアー前に「尻尾を振る犬」の像があった。
11階の室のベランダに出て下を見たら、そう遠くない所に教会が見えた。フロントで方角を聞いてからもう一度散歩に出た。
海とは反対の山側に歩き始めて7~8分で教会を見つけた。手前に公園があり、真っ赤な石楠花が満開で美しい。葉の陰に大型のリスがいた。
また、公園の外塀に見慣れない紫色の花がびっしりと咲いていたので写真を撮った。翌日現地ガイドからそれが「カリフォルニア・ライラック」だと教えられた。
教会は「ザ・シティ・カテドラル」だった。中に入るとパイプオルガンの演奏中だった。暫く聞きほれた。
6時からの夕食に一旦戻ってから、今度はベランダから見えた少し遠い教会に行ってみる事にした。
行ってみると「セントアンドリュース・カソリック・カテドラル」という大きな教会で、丁度7時から「ゴスペル」の鑑賞会があるという。大人は20ドルの所60歳以上なら15ドルだと書いてあったので、年齢を言って支払い、入場した。既に100人程の人達が礼拝用の椅子に座っていた。私も座った。
7時になると20人の男女が出て来て、アカペラでミサ曲を歌い出した。10分程の休憩を挟んで1時間半のコンサートだったが、澄んだ歌声を聴いていると疲れが取れた感じがして、なかなか良かった。
ホテルに帰り、入浴と翌日の支度をして寝た。
この日は、24時間+時差15時間=39時間を太平洋を越える機内とカナダの西の町で有意義に過した事になるが、疲れた初日でもあった。
今朝5時15分の外気温は10℃。昨日よりも2.5℃も低く凄く寒い。皆さんの地域は如何だろうか。
帰国後、多忙さと疲れでパソコンに向かえなかったが、やっと少し落ち着いたので「カナディアンロッキーの旅」の報告に取り掛かりたい。
≪旅の初日≫(1)
今回は畑仕事や庭仕事で済ませなければならない事があったので、旅支度も直前で何とかやり終え、多少疲れが溜まった状態で家を出た。
冬場の旅ではないので、新千歳空港10;40発「羽田空港」行きの「スカイマーク」を予約してあったが、心配することはなく順調に出発できた。
羽田空港からは地下に降りて「京急成田スカイアクセス」の成田空港直行便に乗車し、少し早めに集合場所に着くことができた。
「京急成田スカイアクセス」の電車内で台湾から来たという7人組みが隣席に座った。
30歳そこそこの夫婦とその1歳と3歳の子ども2人、そして夫婦それぞれの母親だった。
聞くと5日間の買い物旅行で東京に来て、これから成田空港に行き、帰る所だと言う。
私はこどもが小学5年生になった時に初めて連れてツアーに加わり、外国旅行をした事はあるが、こんなに小さい子どもを連れての旅行と聞いて驚いた。大人でさえ外国旅行は行程上も体力的にも大変なのに、大丈夫なのかと思った。
こんなに多くの外国人が、円安が続いている日本へ買い物旅行などに来ていることを、実際に確認できた出会いだった。
成田空港では添乗員に会い、Eチケットを受け取ってから「エアーカナダ」の塔乗手続きをした。
スーツケースは「バンクーバー」経由で「ビクトリア」空港まで頼んだ。
その後空港の銀行で「円」を「カナダドル」に交換した。交換手数料を入れて1カナダドル=107円だった。
17;30離陸予定の飛行機は、50分程遅れて出発した。機内はほぼ満席状態だった。
日付変更線をまたいで8時間飛び、予定通り現地時間10;15に「バンクーバー」に到着した。日本との時差は-16時間だ。
カナダへの入国審査を受けた後、今度は国内線エリアに回り、安全検査を受けてから「ビクトリア」行きのゲートに向かった。
12;30発の小型飛行機は、古いプロペラ機だったので驚いた。
30分弱で「ビクトリア」空港に着いた。日本との時差は-15時間になったので機内で時計を合わせ直して置いた。
「ビクトリア」に着き、スーツケースを受け取り、大型バスでホテルに向かった。
まだ夕刻にならず明るいし、ホテルが「ビクトリア港」のすぐ近くだったので、荷物を部屋に置いてから添乗員の案内で港方面を散策した。気温は初夏で、散策に心地良かった。(このホテルは、18階のレストランからの眺めが最高だった)
「ビクトリア」は「ブリティッシュ・コロンビア州」の州都として発展した街だ。その起源は、1843年に毛皮貿易をする「ハドソン・ベイ社」がここに砦を築いたことによるという。1949年にはイギリスの植民地となり、街に当時の女王の名をつけた。この都市がカナダ連邦に加盟したのは、1862年のことである。
また、イギリスのガーデニングの影響を受けた町でもある。
ホテル前から緩い坂道を海岸目指して下って行くと、程なく「イルカのトピアリー」が私達を出迎えてくれた。
その背後には大きな「フェアモント・エンブレスホテル」が聳えていた。
ベイを見下ろす様に建つこのホテルは1908年に創業し、100年の歴史を誇るホテルである。
ベイには帆船が沢山停泊し、大勢の人で賑わっていた。
この港がイギリス海軍の補給基地だったからだと思うが、湾の少し高い北側は小さな公園が造られていて、表情豊かな「帰港した船員と出迎えた子どもの像」や「船員の像」が置かれていて、後者の像は椅子の隣に座って一緒に写真を撮れる様になっていた。
また直ぐ南側には「ブリティッシュ・コロンビア州議事堂」を臨むことができた。
昨日は農園の作業を済ませてから、11時に伯母が居る岩見沢市に行った。
この度、伯母のケアマネージャーが変わったので、その方が来て話し合った。
伯母は、自信が少し弱くなったように見えた。
ケアマネージャーが帰って伯母と話をしていたら、2時半頃、急に空が暗くなり、雨が降りだした。
3時頃車を出したが、突然、ワイパーを高速にしても間に合わない程の滝のような雨が降り出した。
途中のコンビにで雨宿りをしたが、止みそうにないのでまた走り出した。
その内、次々と雷が落ち始めた。
雨も強まるばかり。反対から来たトラックとすれ違うと、トラックが跳ね上げた水でフロントガラスの視界が何度も遮られた。
危険を感じながらも、やっと我が家に辿り着き、ホッとした。
夕刻まで土砂降り状態と雷が続いた。
新千歳空港では、落雷のために外の作業を中止した影響で、航空機の発着時間が軒並み遅れたらしい。
今朝は晴れたので、早速庭を見回った。
表土が流れたために、一昨日植えたピーマンの苗の根がむき出しになっていた。
大きな牡丹の花びらが、強い雨に打たれて傷んでしまった。
しかし、水不足で赤茶け出して来ていた芝桜が、今朝は緑色を取り戻して生き生きとしている。
薔薇のアブラムシは、強い雨に流されたようだ。
庭の水溜りはすっかりなくなっていて、地球の凄さを感じた。
暫くは沁み込んだ昨日の豪雨が、水蒸気となって地下から蒸発してくれるだろう。
野菜も花もすっかり元気になったようだ。
黄色い「エクスバリューツツジ」と色違いの「ジャーマンアイリス」、紫色の「都忘れ」、「石楠花」「タイツリソウ(別名「華マン草」「フジボタン」)」の今朝の姿だ。
「芍薬」の蕾も次第に脹らんで来た。
天気予報に拠ると、今日は一時雨、気温が次第に下がり、最高気温は10℃を切るらしい。
後で農園の様子を見に行きたい。