北米における2009年11月、2010年1月の両リコールの対象車である
トヨタ・タンドラ
トヨタの大規模リコールは、2009年から2010年にかけてトヨタ自動車により北米や日本などで行われた大規模なリコールである。
アメリカ合衆国でトヨタ車を運転中に発生した急加速事故について、事故の原因がトヨタ車にあると主張された。これらの事故と原因に関する主張などについて米国で大々的に報道された。この騒動を受けて、トヨタは大規模リコールを実施した。
トヨタはビラー弁護士の訴訟をはじめ、138件の集団訴訟、事故の遺族など96件の民事訴訟の他に、カリフォルニア州オレンジ郡検事局からも起訴され、トヨタ社は米国議会での公聴会での情報提供を要請された。事故の原因調査はアメリカ合衆国運輸省が主導した。このような一連の騒動は、「トヨタ・バッシング」、「トヨタ戦争」とも呼ばれた[1]。
2011年2月8日、急加速問題の原因調査をしていた米運輸省・米運輸省高速道路交通安全局(en:National Highway Traffic Safety Administration, NHTSA)・NASAによる最終報告で、トヨタ車の電子制御装置に欠陥はなく、急発進事故のほとんどが運転手のミスとして発表された。
背景
2009年からはじまる大規模リコール騒動の背景としては、次のようなものがあった。
2004年3月から7月にかけて、米国運輸省道路交通安全局(National Highway Traffic Safety Administration ,NHTSA)がカムリとESの37件の急加速事故を調査した。[要出典]2007年3月に米国の顧客よりトヨタ・タンドラの「アクセルペダルの戻りが悪い」という苦情があったが、トヨタは「安全性に問題はない」と主張し、リコールなどの対応を取っていなかった[2]。その後、2007年9月26日に、レクサスES350とカムリ用の別売りフロアマットがアクセルペダルに引っかかる恐れがあり、リコールを実施。
2008年2月、タンドラのアクセル部品の材質を変更する。 2008年4月19日にミシガン州フリントで77歳の女性が2005年モデルのカムリを運転中、40km/hから130km/hに急加速し、木に激突し死亡した。
ヨーロッパでも2008年12月頃から顧客より「アクセルペダルが戻りにくい」というクレームがあった。翌2009年8月にアクセル部品の材質を変更する。
2009年7月には日本でも、千葉県松戸市の国道にて、ブレーキが効かない(運転者証言)状態のプリウスによる玉突き事故が発生した。これは翌2010年に、国土交通省がトヨタに対して原因調査を指示するきっかけとなった。2010年3月19日、プリウス搭載の事故データ記録機(EDR)の千葉県警による解析で、ブレーキに異常は見られず、構造上の不具合はなかったことが判明した[3]。
ビラー弁護士との訴訟
2003年からトヨタの顧問弁護士であったディミトリオス・ビラー[4]は、トヨタが社内情報開示を隠蔽したとして、2007年に契約を破棄した[5]。翌2008年、トヨタは同弁護士を告訴、370万ドルの退職手当を支給の際に交わした、秘密保持契約違反を訴因としたもので、3350万ドルの賠償請求だった[5]。
2009年7月24日、ビラー弁護士はトヨタを恐喝や名誉毀損などで[6]逆提訴した[7] [5]。トヨタによる組織的隠ぺいは1996年から続いており、組織犯罪取締法(RICO法[8])違反であると主張した[7]。
ビラーによる提訴によって、トヨタの過去の訴訟の再提訴が行われるようになった[5]。例えば、2005年にテキサス州フォートワースで発生した1997年型カムリ横転事故について、屋根がつぶれ四肢麻痺になった運転手は2006年に訴訟を起こし、すでにトヨタと和解していたが、ビラー弁護士は、当時、トヨタ社員より情報隠蔽を指示されたと主張するなどした。トヨタはのちにビラーの主張は誇張で、横転事故は稀であるなどと抗弁した[9]。なお、トヨタとビラー両者の裁判は一元化された[5]。
2009年11月には連邦地方裁判所判事は訴訟を調停機関に委任することを命じた[6]。(ビラー裁判の結審については後述)
経緯
2009年8月カリフォルニア州でのレクサス事故とリコール
ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
コメント