フキちゃんらが模索してきた冒険遊び場の場所がついに決まった。フキちゃんの自宅から歩いて5分ほどの小さな広場と森だ。地主の方のご厚意で使用できることとなった。数年の間、いろいろな所でやってきたがなかなか定着しなかったが、地元の方との信頼関係が実ったというわけだ。
冒険遊び場は、こぎれいな公園ではなく、子どものニーズにあったガラクタがあり、泥や水があり、火を焚ける場所だ。それは1979年、世田谷の「羽根木プレーパーク」が日本での第1号だったが、近隣からの顰蹙と妨害の難産な歴史でもあった。
それは、建築家の大村虔一・璋子ご夫妻が海外のプレーパークを視察してきて、日本に導入・提案してきた運動でもある。それが全国に広まり、2020年度には全国に458団体が活動しているという。一般的には遊び場がなく緑の少ない都市が中心の活動だが、過疎地での活動はよけいに困難が極まる。こどもがもともといないし、その「迷惑」場所を受け止められる地元じたいが空白状態になっている。
それをあえて突き抜けていっているのがこの二人の若い夫婦だった。今までその試みをやってきた若手の先人もいたし、それをオイラも若干のお手伝いもしていたが、それは事実上停止状態となっている。その意味で、今回の根拠地が決まった意味は大きい。つまり、イベントはいつでも「やらない」という逃げ道があるからでもある。それを常設の場所を決定したということは、そこに、希望を実現しようとする「意思」「覚悟」を改めて掲げたことになる。
定例会は第4日曜日にし、毎週火・木曜日が平日例会といち早く決定して、すでに活動を開始していた。オイラもあわてて第1回のオープン定例会に馳せ参じた。そこは住居表示の出ていない中山間地の場所でもあり、なかなか目的地にたどり着けなかったが、なんとか到着。すでに、10組ほどの親子が集まっていた。ヤギとニワトリが出迎えてくれた。背景のこんもりとした森も使わせてくれるという。
不登校の子どもも常連メンバーとしてそこにいる。そうした子どもや親にとっては、この空間はなくてはならない場所となっていくに違いない。きっとこれから、大きな問題や困難が襲うだろうが、それを突破しようとするパワーがここにはみなぎっている。また、それをさりげなく応援しようとする若い夫婦の輪が行くたびに増えてきているのを実感する。まるでこういう場を待っていたみたいだ。
この森のすぐ隣には、八幡神社が鎮座していた。このプレーパークは結果的にまちづくりにも貢献している。最近のせちがらい暗いニュースが飛び交う世界の真ん中で、この希望に満ちた人間群のなんという輝きだろう。ここには、忠君愛国の御旗も尊王攘夷のスローガンもない !?
あるのは、肩の力を抜いてあるがままで生きていこうとする謙虚さがある。無理して背伸びしたプロパガンダもイデオロギーも必要としない。子どもとともに成長していこうとする当たり前の「人間力」があるだけだ。神の御名においてこの空間を鎮護してくれるよう八幡神社にお願いするばかりだ。