山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

古代日本に海人族あり

2024-10-26 21:05:39 | 読書

 オラが縄文人に興味があるのをブラボーさんは見抜いていて、その縄文人を凌いだ海人族の勇往なエネルギーを描いた漫画・諸星大二郎の『海神記(カイジンキ)』3巻(潮出版社、1992~1994年)を送ってくれた。時代的には空白の4世紀と言われる古代日本を揺るがした九州から北上する海人(アマ)らの物語だ。この時代の歴史研究は今後の考古学の成果を期待したいところだが、著者が90年代に海人族に早くも着目したところは群を抜く視点でもある。まさに、漫画ならではの想像力の手法が生かされた世界が展開されていく。

  

 邪馬台国の卑弥呼が亡くなり、その後ヤマトから派遣された倭軍が朝鮮半島に介入していくなか、この頃より7世紀頃まで戦火にいた渡来人が日本に移住していく、という背景がある。。第1巻表紙にある「七支刀(シチシトウ)」は百済王から倭王に贈られたものだが、本書ではミケツという少年がその宝剣を持つ。柳田国男が海の神は子どもの姿をしているという民間信仰があったことを伝えていたが、著者はそれをヒントに海神(ワタツミ)を海童(ワタツミ)として登場させ、混乱する諸国平定のヤマ場で宝剣を掲げていく。なお、当時の九州は統一されたクニはなく、「末羅(マツラ)」「伊都(イト)」「奴(ナ)」などの小国家が分立していた。

 

 著者は百済亡命者の軍人が海人族を担っているというパワーの強さも配置している。また、博多周辺で交易を担っていた安曇族もそこに参画している。が、安曇族がなぜそこに関与していったか、そしてなぜ山奥の長野「安曇野」に移住したのかが興味あるところだ。祭事にはデカイ大船の山車を繰り出す理由のからくりもそのへんにあるようだ。これだけでもドラマになる。残念ながら本書はそれには触れていないが、続編があればきっと掲載されていくことだろう。

 

 海を舞台とした物語だけに海の持つ人間の存在を超えるパワーを勇壮に描いているのも本書の見どころだ。また、丸太をくり抜いただけの小船や百済人が乗っているモダンな大船などその描写も時代考察を研究されているのがわかる。そのほか、服装・装飾・刺墨・仮面などもよく調べてある。

 個人的には、著者の人物の表情がどの作品も生硬なのが気になる。登場人物が多いせいか、だれだったかしばしばわからなかったので、登場人物をコピーして読んだのが正解だった。髪型・髭・帽子・刺青・眉毛などの違いが分かってきた。

  

 著者は、「古事記」や「日本書紀」をずいぶん読み込みながら同時に解明が充分されていなかった海人たちの進取の生き方にスポットを当てているので、読んでいて歯ごたえがある作品になっている。神武東征をモデルにした気配があるがスーパーヒーローが出てこないのがいい。また、シャーマンの女性の存在が大きいのも時代を感じさせるとともに男性中心になりがちな歴史物に堕していないのも好感が持てる。また、海童の子どもらしい振る舞いが戦乱の多い物語ではホッとする。

  

 日本人のルーツ・古代日本の成り立ち・神道のルーツなど根源的な問題と対峙しながら描かれた本書のスケールの魅力に強烈なファンがいる。そのため著者の作品は入手が困難なものが多い。ぜひ、続刊が望まれるがその壁の大きさに著者は呻吟としているに違いない。しかしながら、現代の宗教が世俗的に堕し、「どうにも病んだ世界に見えるのに比して、古代の神々は混沌とした力強い生命力に溢れているように思える」という著者の結びが珠玉な輝きを持つ。

       

「古代における神と人々との拘わり」を「海の匂いでまとめた物語」にしたいという著者の狙いは遅筆で苦しんだぶん、読者に伝わっていると思えてならない。私小説風の狭いミーイズムがアニメや漫画を席捲しているなか、本書の壮大なダイナリズムは記念碑的な作品となっている。

 

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