山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

中上健次のよるべなき生とエロスとの相克

2017-03-21 18:13:25 | 読書
 芥川賞受賞作『岬』の続編と言われる中上健次『枯木灘』(河出文庫、1980.5)を読む。
 「灘」とは航海が難しい荒れた海をいう。
 この表題が物語のすべてでもある。
 
                                      
 まともな夫婦・人間が登場しないぐちゃぐちゃな人間相関図の世界が狭い「路地」に出てくる。
 60人くらい登場するので相関図を作ってそれを見ながらでないと人物像がわからなくなる。
 雑誌に連載していたためか重複の描写も少なくない。

       
 そこには、近親相姦・殺人・暴力・差別・血縁がからまる異端の人間・地域の世界だが、熊野という宗教的な借景が物語を包み込む。
 禁断と愛憎の世界が淡々と描写される。
 しかし、自然を描写する手法が人物の心象風景ともなりそれが秀逸な作品となっている。

                                 
 「風を受けとめ、光にあぶられて働く。土がつるはしを引くと共に捩れ、黒く水気をたくわえた中を見せる。
 それは土の肉だった。土の中に埋まって掘り出された石はさながら大きな固い甲羅を持つ動物が身を丸めて眠っている姿だった。
 いや死体に見えた。土の中の石は死そのものだ。肉も死も日に晒され、においを放ち、乾いた。
 掘り出され十分もすればそれらは風景の中に同化した。」

        
 次の作品『地の果て至上の時』をいれて三部作となる。
 『枯木灘』は、生きるという不安と希望と不条理の絡まりあいが汗と血のスパイスで混入された世界だ。
中上健次でないと描けない救いようのない群像の生きざまが丹念に迫ってくる。
 紀伊半島の過酷な自然に生きる暮らしとそこで働く肉体労働の喜びも忘れていない。
   
 
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